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見えないものもまるっとぜんぶ

普通に生きていて見えていないものって誰にでもあると思う。単に知らないだけだったり、知ってはいるけれど他のものに混ざって見えなくなっていたりする。そういうものを見えるように、目を向けざるを得なくしてくれるのが私にとっては本で、映画で、勉強で、君の文章なんだ。
だから、毎日の生活に余裕が無い時は視野が狭くなって当然なのだ。見えなくなっていたことを責める必要も悪く思う必要もない。「おっといけない。」って感じで気付ければいい。

見えないのは、見なくても生きていけるから。それでも見ようと思うのは、目を逸らしたまま生きていはいけないと思うから。

その"見えないもの"というのはこの世界には大量にある。具体例を書いたらきりがないけれど、わかりやすいもので言うと人の心。back numberの歌詞みたいだね。back numberを普段あまり聴かないんだけど、"心は誰にも見えないのだから 見えるものよりも大事にするといい"っていう歌詞は耳にする度に刺さる。

めちゃくちゃ怖い顔して怒っているように見える人が実は緊張しているだけだった、なんてことはよくある。逆に穏やかで優しそうな人が実はとても怒っているとか。はち切れそうな笑顔で人生謳歌してそうな人の心が実はボロボロだったり、。他人の心だけじゃなくて自分の心も。気付かないうちに傷だらけで小さくなって今にも消えそうになっているかもしれない。
過去も見えない。100年前の今日ここで何があったのか、この人はこれまでどんなことを経験してきたのか、目には見えない。未来も。可能性も努力も。

見えないものばかりだから、全部わかりやすく文字になって見えたらいいのに、と思ってしまう。でも世界はそうできていないから、想像力を働かせたり話を聞いたりして、どうにかして理解するしかない。その努力を怠ってしまってはいけないと思う。もちろん、自分の生活でいっぱいいっぱいの時はできなくても仕方がない。それでも少しだけ、ひとつまみくらいの隙間ができたら、考えられるようになりたい。

ただ、見えないもののことを集中して考えすぎて苦しくなってしまうのが私の悪い癖なのでそこは気を付けないと。

つまり、目に見えないものも見えるものと同じくらい大事にしたい。この世界中のものまるごとギュッと抱きしめたいくらいだよ。

私の投稿を読んでくれてありがとうの気持ちも、フォローしてくれて嬉しいの気持ちも、あなたの文章好きだよの気持ちも見えないものだから、ここに文字にしておく。ありがとう。好きだよ。



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