自分らしい生き方を見つけたい
ここ数年、「自分らしい生き方」について考えることが多くなりました。色々なことがきっかけで、コロナになる前から思っていたこと。
その経緯を整理する。この記事では過去について、書きます。
ー敷かれたレールに乗っかる生き方
親の影響が最も大きいですが、周りからの評価をものすごく気にして生きてきました。人から「すごいね」とか、「えらいね」とか言われたい。それによって自分が認められていることを感じるから。
父親はこんなことを常に私に言い聞かせました。
「いい大学に入って安定した会社に入れば将来安泰だぞ」
親戚にも有名大学を卒業した人が多く、働く企業もそうそうたるラインナップ。「自分もこうなりたい」と思って生きてきました。
そして、テストでいい点を取ったり、いい順位をとったり、模試でA判定をとったりすることで、友達から「すげーじゃん!!」と言われることで自分を保ってきたところがあります。
ーいい大学、いい会社に入ったものの…
高校は第1希望は落ちたものの、多くはないが国公立大への進学者を毎年出している進学校の中の上ぐらいのところに入れました。
大学受験は現役ではそれほどレベルの高くない地元の私立には合格したが、地方の国公立大には落ちました。
もっとレベルの高い大学を目指すべく、河合塾で1年浪人し、世間的にはいい大学と言われる大学になんとか合格。
大学では、周りの学生の学力はさすがに高かったです。優秀な学生は「こんなやつにはとてもなれんわ…」ぐらいの人もいました。
でも、自分よりも学力の低いであろう学生もいたから、「自分はここにいても良さそうだ」と思えました。
大学院に進んでも同じでしたが、教授の先生や先輩方は素晴らしく優秀で、「どんな頭の構造してんねん…」とニセ関西弁が出る勢いでした。
それでもそんなに厳しい研究室じゃなかったからか、修士まで行って無事卒業。
ちなみにその頃先輩から教えてもらって安心した言葉が、「卒論は参加賞、修士論文は努力賞」。つまりは、卒論は書けば通るものであり、修士論文は結果が出なくても頑張ってれば恩赦でぎりぎり通るよ、ということですね。
そんな言葉に救われつつ何とか修論は書いたけど形だけという感じで、やり遂げた感はあまりなしでした。
就職は運よくリーマンショックの前、売り手市場のときだったから、大学推薦で安定した会社に入社できました。
こうして考えてみると、すごくラッキーな環境でそこまで挫折を感じることなくやってこれたんだなと思います。でも挫折を経験してこなかったことが、就職してから仇となって返ってきました。
周りの社員の「できるやつ」レベルが半端なく高いんです。
学力だけじゃない。コミュニケーション力、意識の高さ、視野の広さ、英語力、趣味も仕事にできるんじゃないかと思うくらい詳しい。(おまけにイケメンなやーつも…)
「こりゃマジでやばい…俺やばいかも…」と戦慄し、震えながらも、ぎりぎりの精神状態で頑張ってみましたが、うつ状態になり、休職。
ー自分をちゃんと見つめてきたのだろうか
休職して、悶々と自分の人生について振り返ってました。
敷かれたレールに乗っかり、自分の人生を他人の決断に委ね、自分の考えもやりたいことも何もなく、ただ他人の評価や物質的な豊かさを求めてきた結果がこうだ。
自分の愚かさにダメ出しをして、凹んで、
でもここで踏ん張らねば他の事をやっても同じだ…!と親や周りの意見を鵜呑みにして、気合いで復職をしました。
でもやっぱりだめで、また休職して、そしてまた気合いで復職…
そんなこんなを繰り返し、はや12年。
3年前、母親が長い闘病生活の末に亡くなり、その1ヶ月後に、自分が趣味でやっていたバンドメンバーの大切な仲間が突然の病で他界しました。父親も同じ年に胃がんであることが分かり、胃全摘出の手術。
神様のいたずらかと思うような出来事の連続に、訳が分からなくなりました。その頃は、泣いたりもしたけど、なぜか感情の起伏が少なかったように思います。
そんなことを経て、色んなことを考えました。
・親はいつまでも生きてるわけじゃない(当たり前)
一応サラリーマンとして給料をもらって親から離れて生活しているからステータスとしては自立しているけど、気持ちの中では「何かあったら親が何とかしてくれるだろう」などとどこかで考えている。
・人はいつ死ぬか分からない(当たり前)
これまでも交通事故にあったり病気になったりしてきた。たまたま軽く済んだだけで、色んな出来事が重なってどこかで死んでたかもしれない。運が悪くなかっただけだ。
・今自分が死んだら、絶対後悔する
もし今自分が重い病気になって入院して、体も動かなくなり、考えることしかできなくなったら、頭の中でこれまでの人生を振り返るだろう。そして、絶対に後悔するだろう。
母親に、「幸せになってほしいと願ってくれていたし、自分の身を削って支えてくれていたのに、幸せになれなくてごめんね」と何度も思うだろう。
父親は嫌いだけど、バブル崩壊など厳しい社会の荒波を乗り越えて、家族の生活を支えてきたことは、なかなかできることではない。その努力に見合う人生だったのだろうか。
そして、
自分の人生なのだから、自分でどうしたいのかを考えて、自分なりに行動して、自分で切り開いていかなきゃいけないんじゃないのか?
これまで支えてくれた人のために、幸せになって、他の誰かに幸せを与えられるようになりたい。
と考えるようになりました。
「そうなるのに、何年かかってんだよ」と自分でも思いますが、これが結果です。
そう考えていた矢先にコロナになり、行動しずらい環境に。
それでももう38歳。こんな自分でも、こんな歳からでも、第2の人生は自分で決めて自分の人生を送りたいと考え、色々もがいていこうと思っています。
正直、めちゃくちゃ焦る。お金よりも時間が欲しい。
精神と時の部屋に入りたい。
このnoteも、色々考えたりする中でやってみることにした行動の一つだから、続けていきたいなって思ってます。
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