見出し画像

チュートリアルは40歳まで。

最近、嫌なご時世ですので自分を奮起させるためにも、前向きに考えることにしています。

ですが、それだけでは「現実逃避」しかねないので、たまには「人生」について考えてみるのも良いかと、暇な時間にボーっと考えることにしています。

その中での、「妄想」の思考シミュレーションの一部を紹介します。

…書いてみたら面白いかと思っただけなので、お暇な方は観ていただければ暇つぶしになるかもしれないです。

自分の置かれた現状とこれまでの人生

私が大人になって、この30年間は日本と言う国が「経済大国」になって、成長を鈍らせていたと思います。

別に祖父母たちの時代のように戦争によって「飢える」ことも、両親たちの時代のように「暇なくて死にそう」ということもなかったので、夢があれば何でもできたかもしれない時代だったかもしれません。

危機感」がなかったので、「人生」については考えなかったのかも知れないです。
生存の危機的なものが身近になかったので、楽しいことに流されていたと思います。

ボーっとしてたら、半世紀生きてましたでは、格好がつかないので言い訳すれば、「全体的風潮」だったと思います。本当ですよ。

渋沢栄一の格言に触発された

「四十、五十は洟垂れ(はなたれ)小僧 六十、七十は働き盛り 九十になって迎えが来たら 百まで待てと追い返せ」 --- 渋沢栄一 ---

40歳を迎えた年に、誰から聞いたかは全然思い出せないのですが、得意げに言っていた定年退職を迎える先輩の誰かから聞いたような気がします。

そりゃあんたらにとっては40代は鼻たれ小僧だよな。」ってはじめは思ってました。

長生きしたい爺さん婆さんの合言葉?とかも思いました。

そういえば、40歳になるまでに聞いたことはあったのですが、実感がなさ過ぎて心に全然引っ掛からなかったので無視していた言葉でした。

何か引っ掛かる。なぜ40代からなんだ?

20代・30代ではだめなのか?何か渋沢栄一は何を伝えたかったんだろう?

その場では答えが出なかったので、だらだら10年ぐらい暇な時に考えてみました。

答えはまだ出ていませんが、自分なりの解釈を入れてみようと思います。

40歳まではチュートリアル

40歳までの人生は2段階に分かれると仮定しましょう。

0~20歳までの「少年期」と20~40歳「青年期」があり、少年期は肉体的成長期で、青年期が精神的成長期とします。

肉体・精神共に成長することによって、真の人間になりそこからが「人生」だと渋沢栄一は考えたのでないでしょうか?

だから、「40歳から」なのでしょうと、勝手に解釈してみました。

私は学がないので、ちゃんとした解釈や証明とかできませんし、渋沢栄一翁の考えなんて分かる訳もないです。

ヒントとかないで考えると他の人の意見とダブる可能性もあるので自己満足でしかないですが、「新発見した!!」って気持ちになれることが好きです。

よって、「40歳までは人生におけるチュートリアル期である」と勝手に言っちゃってます。広まらないでしょうけどね。

先の状況も考えてみます。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,302件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?