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誰もが「自分らしさ」を愛せる世界を創る

2021年7月24日、オリンピックの開会式が終わりテレビはアスリート達の闘いが放映されている。日本は4連休で、各々が好きな時間を過ごしている。今日、全てを考える時間に充てて「自分が何をしたいのか」あるいは「自分は何をすべきでないか」について考えたい。これは、直近の自分の去就ではなく、意思表明でもなくて、単なる自己の言語化である。今日一日のアウトプットはこのnoteである。写真は大好きな竹芝からの眺め。

なぜ、この記事を書くのか

今の仕事には満足している。満足しているというよりも、チャレンジしている状態なので、もっと自分自信を成長させて、担当するプロダクトを成功させるために働きたいという考えしかない。そのため、現状の不満から「今の自分が何をしたいのか?」を考えたいわけではない。身も心もフルコミットできるであろう時間は限られていて、その限られた時間の中で、中長期的に自分がすべきことを言語化しておきたいと思ったからだ。ただ単に、今だけのことに向き合って全力で生きるのではなく、一歩引いた目で自分が世界に対してすべきことについて考えたい。

何度でもスタートアップしたい

社会に出てから5年間ずっとスタートアップ界隈で生きている。人生に一度は大きな会社で働いてみたいと思っている。今の自分の実力が通用するのか、全く通用しないかを確かめてみたいから。

常に新しいことをしたいというわけではない。何かを立ち上げて、少ししたら、また新しいことを立ち上げにいきたいと思っているわけではない。新しい価値を芽吹かせ、育てていき自分の性格では合わない。人には向き不向きがある。この数年で痛感したことだ。今の考えでは自分が強みを発揮できない役割が存在していて、もしそれがプロダクトの成長だとするならば、死にものぐるいで食いついていく所存であるが、自分よりも適任がいるならば任せてしまった方がいい。

グローバルで使われているプロダクトを創るのは本当に難しい。日本で生まれ、世界中で使われている単一のプロダクトは存在しないのではないか。今、自分たちが利用しているグローバルなプロダクトは誕生から10年や20年を経ている。

素晴らしいプロダクトを創るには本当に時間がかかる。自分の全力を10年かけたとしても、成し遂げられるかわからない。そのくらいのチャレンジの方がいい。素晴らしいプロダクトを創り、育てていくためには10年スパンでの投資が必要となるならば、チャレンジできるのは後数回しか残されていない。

全く新しいなんて存在しない

竜とそばかすの姫」を観に行った。僕の考えであるが、美女と野獣、サマーウォーズ、レディ・プレイヤー1にフィーチャされているだろうと思った。要素は様々であるが、良いところが取り入れられている。抽象化された要素が掛け算されて、綺麗に細田さんの作品として仕上げられている。そして、この作品は映画館の大画面で観るという体験を前提に設計されたものであろうと思った。視界に入ってくるBelleの美しさ、歌が本当に素晴らしい。まさにプロの仕事だと思った。また、Spotifyで作中の歌が既に公開されているのは本当に驚いた。

言語は違えど、今までの人類史の中で全く新しい概念なんて存在しないと思っている。もしも日本になかったのであれば、国が違ったのか、どこかで力尽きたのか、ひっそりと身を潜めているのか、タイミングが合わなかったのかだと思っている。

全く新しいことなんてしなくていい。同じようなプロダクトが世界のどこかにあったとして、法律の範囲内で全てが丸コピでないならば、それは新しいモノとして顕現していると思う。『テンセントはパクらない。「超越式」に模倣する』の中の言葉で「超越式模倣」という言葉があるが、素晴らしいモノであるならば、まずは許される範囲で真似てみるということは大事なことのように思う。

グローバルでチャレンジしたい

英語は話せない。学生時代に論文を読んだり、ちょっとだけ英語で書いたりしていただけだ。そんな自分が恥ずかしいが、グローバルでチャレンジしたい。世界中で使われるプロダクトを一生に一度いいので創りたいと思っている。

まず、そもそも日本中で使われているスマートフォンのOSはGoogle/Appleが席巻している。そのため、スマホのアプリを創るならば彼らのプラットフォーム上で展開することになる。このnoteは国産であるが、普段僕らが使っている、Twitter、Facebook、Instagram、Tiktok、Google、Netflix、Spotify、Airbnb、Slackは全て外国産だ。国内外なのかという分け方自体いけていないかもしれない。国内だけでも巨大なアプリケーションは存在しているし、十分な利益をあげていると思うので、それでいいかもしれない。しかしながら、この世界で生きてるならば、一度は世界でチャレンジしたいと思っている。

グローバルに行くには、文化と言語の壁を超えていく必要がある。文化とは、例えば衣食住の生活に根付いているサービスは国々における壁が高い。翻訳機能がついていたり、英語がグローバルスタンダードになろうとも各国の母国語で表現されているコンテンツの方が取っ付きやすいはずだ。先述したグローバルプロダクトは全てそれらのハードルを超えている。SNSはわかりやすい。生成されているコンテンツはソーシャルネットワークの特性上、ローカライズされてる。僕はFacebookやTwitterがうまく日本語かされていない時から利用してる。2021年、急激に国内で利用されたclubhouseはローカライズされていなくても多くのユーザーが利用していた。優れたUI/UXは言語の壁を軽々と上回る。SpofityやNetflixはローカライズが難しい類のものであると思うが、素早く日本市場を牛耳っている。すごい。そんなプロダクトを創りたい。

次のチャンスはコンテンツのフォーマットが変化した時と既存プロダクトをみんなが飽きてしまった時だ。もちろん、全てのプロダクトにはえげつないほど優秀な人たちが関わってる。面白いことに、プロダクトは収束と発散を繰り返している。資本主義において、事業は常に成長しつづけることを求められる。プロダクトは、解決している課題によってユーザー数が規定される。そのため、同質なプロダクトの機能は一気にコモディティ化する。しかしながら、プロダクトはコモディティ化したとしても利用している僕らは同じ課題を解決するために、複数のプロダクトを使うことはほとんどない。InstagramのIGTVしかりTwitterのFleetしかり、機能が実装されたとしても思った以上に利用され習慣化するのが難しいと考えられる。コモディティ化は、機能特化のわかりやすいプロダクトに刺されてしまう可能性もある。もし、そのプロダクトが勝てたとしても同様の問題を抱えることになる。長期でみたら市場のwinnerは循環するのではないかと仮説を立てている。

役割にこだわらない

組織は多くの役割で運営されている。組織構造上、CEOを筆頭に部署が紐づいた階層構造がほとんどだと思われる。もし自分が何か成し遂げたいとなった場合でも、自分は役割にこだわることなく、最も勝利に近い役割を全力で担いたいと思っている。自分が創業したプロダクトだったとしても、CEOすらも会社における最終意思決定者としても役割を担っているだけだと思うので、もし自分よりも勝利に導けると判断するならば、役割は移譲されるべきだ。コトに向かえる、勝利に最も近い役割を全員が選択し、全力で挑めるようなチームで働きたいと思っている。

自由に生きたいというわけではない

働く場所、働く時間は自由でありたいと思っていない。むしろ、コンスタントに成果を出していくためには、無思考に落とし込む必要があると思っている。

しかしながら、創るプロダクトにはこだわりたいと思っている。世の中に対してインパクトを残したい。最高な仲間と伝説的な仕事をしたい。そういう意味で、自分自身の考えで選択したいと思っている。

そのために、自分を成長し続けなければならない。優秀な人たちに一緒に仕事がしたいと思ってもらえるような強みを自分の武器にしたい。それが何かまだわかっていない。プログラミングスキルなのか、プロダクトマネジメントなのか、はたまたこれから身につけていく経験なのか。自分の強みはまだわかっていないが、現状に満足せずに全てをチャンスと考えて実行していくことには変わりない。

今日を大切にする

好きな映画に「About Time」がある。公式サイトにこうある。

今日という日を生きる
それが人生を素敵にするー。

結末には触れないが、一日一日を最期だと思って生きていくことと解釈している。20代の自分にとっては、現実味のない言葉だと思っていたが30歳に近づいていく中で、自分の父親が亡くなった年に近づいている実感がある。そして、何があるかわからない日々、不安に駆られるというわけではなく、終わりを意識して生きていくこと、そう考えると一日たりと無駄にできない日はないと思えてくる。そもそも無駄な日などなくて、日々を全力で生きていれば全てが素晴らしい日になると信じている。「About Time」の中で表現されている価値観は間違いなく、自分の人生に影響している。そんな作品を自分も創っていきたい。

プロダクト創りは、仲間つくり

もしも、自分がグローバルで使われるプロダクトを創ることができたとして、たった独り、あるいは仲間を裏切り続けてようやく辿りついた場所が頂きだったとして、本当にそれが自分が目指しているものなのだろうか。

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大切なものは欲しいものより先にきた

HUNTER×HUNTER」の名言中の名言だと思っている。自分もこの価値観で日々、仕事をしている。社会人になってジョインしたスタートアップが運良く成長し、自分が思っていた以上に大きくなった。スタートアップの人たちだけではなく、広くしっていただけるようなプロダクトに成長した。本当の立ち上げは経験していなかったとしても、創業期から関わってきて、正直達成感はなくてまだまだ上を目指しているというのはあるが、思い出に残っているのは、数字を達成した時ではなく、その過程しかない。

事故で徹夜した日、始めてCMが放映されたオフィス、みんなでガッツポーズをした日、初詣に行ったこと、新規事業をリリースした日、あえなくクローズした日。全てがこれからの人生の糧になる、大切なものだ。もしも、現在が今のような成長を描けていなかったとしも、その日々は輝かしいものであっと思う。

孤独を共有する

プロダクト創りは、仲間つくり。しかしながら、常に仲間と同じ空間にいるわけではないし、むしろオフィス以外、業務以外の時間の方が生きている時間は長い。仲間と共に仕事をしている時間は貴重だが、自分にとってその時間以外の捉え方も重要だと思っている。

自分の性格的に、常に何かをしていないとソワソワしてしまう。いつも何かにコミットしていたい、そんな生活を多分大学生からしてきている。プログラミングを始めたころだったろうか。そんなに頑張らなくてもいいのではないか、なんの意味がある。そう心の表層で思うこともある。長期休みとか、周りに話を聞くと正直隣の芝生が青くなってしまうことが多い。そんな夜は心が折れてしまいそうなこともある。だけど、きっと自分と同じように孤独と闘っている人が同じ界隈にはいるだろうと、心を奮い立たせている。

自分には向かないこと

自分には向かないこと、諦めることを考えておくことも重要だと思っている。大きな企業で働きたいと先に書いたが、概ねそういう場所は自分には向かないと思う。世の中はそんなに甘くないと思うが、できれば心を許せ、名前と顔が一致する範囲で、ネガティブな要因で離脱がないような働き方をしたい、無理をして身も心もすり減らすのは自分はいいと思うが仲間がそういう状況なのは耐えられない。そうなってしまうような事業モデルのプロダクトは長期で関わっていくことには向かないと思っている。

自分の性格的に、同じことをずっと日々繰り返す仕事には向いていない。心が大幅にすり減ってしまう。もちろん、そういう仕事も非常に重要だと思っている。そして、これも自分の特徴的に複数のことに同量のコミットをするということには向かない。一つのことに脳リソースが集中してしまって、どっちつかずになってしまう結末しかない。

世の中を良くする以外の仕事には興味がない。儲かるからという理由では行動できない。多分、プロダクトマネジメント、エンジニアリング、UI/UX以外のことは向いてない、現状はそう思う。営業でお客さんと話すとかは向いてない。

誰かを評価するという仕事も向いていないと思う。そして、個人的には人事的なマネジメントだけという日々も向いていないように思う。できなくはないかもしれないが、手を動かさずに人事的なマネジメントだけを日々行なっていると心がついてこなくなってしまう。30歳後半になったらいいかも知れない。

向かないことをツラツラ書いてきてしまったが、全てはプロダクトを成功させて、誰かを幸せにすることができるのであれば、なんでも行なっていく所存である。

自分の興味があること

プロダクト開発において、衣食住に関わるものには常に興味がある。インターネットを通して、生活をより豊かにしたいとプログラミングを始めた時から考えているため、多くの人が使い、生活のインフラとなるようなプロダクト創りをしたいと思っている。衣食住だけではなく、生活に関わって、誰かを幸せにできるもの全般であれば良い。

最近は、オフラインプロダクトにも興味がある。日本酒やワインなどを製造するスタートアップが増え、調達しているケースがポツポツ出てきた。日本では新しく造酒する権利を獲得するのは難しいが、既存のプロダクトを再定義すること、インターネットの力と組み合わせて、素晴らしいモノを世の中に広げていくことに興味が出てきた。それは伝統工芸も良いと思うし、大好きなコーヒーや温泉でも良い。猫が好きなのでペットに関連したオフラインプロダクトでも良い。

インターネットの本質の一つに、情報と人とのマッチングがあると思う。情報の非対称性の解消。その先に、物流が歪みがあったとしても発達してきているので、良いモノを知っていれば購入することができる世界になった。良いモノと人をマッチングするということにも関心がある。もともと、プログラミングを始めたきっかけもレビューサイトのようなものを立ち上げたかったからだ。

あと、書く瞑想と言われているジャーナリング、マインドフルネスにも興味がある。自分が言語化を通して、こうやって自分を書き殴っているからだと思う。これには一定の効果があると信じている。科学的に示されている、ジャーナリングというものであってすごい腹落ちした。まだ日本での論文は少ないし、世界的に発展途上だと思うが、これからを生きていく人たちにとっては非常に重要なことなのではないかと思っている。

加えて、プロダクトをどのように持続可能なものにしていくかについて興味がある。広告だけでマネタイズする事業モデルは破綻しかけているように思うので、個人あるいは企業からのサブスクリプションの重要性が増してきているが、出せる費用は有限だと思うので国内外を問わず全員が狙ってくるように思う。トランザクション型の収益にするためにはどうすべきか。スタートアップにおいて、マネタイズの時期はすぐすぐではないとは思うが、持続可能性なしには長期的には成長できないと思うので、プロダクトを創っていく自分の課題感がある。

将来、何をしているかわからない時代に

一年後、自分が何をしているのか予想がつかない。そういう状況の人は結構いるのではないかと思う。それだけ、不確実性が高い時代になったということ。

もしろ、やりたいことを明確にして、それに束縛されずに自由に発想し、行動し続ける方が長期では良いのではないと思っている。とはいえ、方向性がなければ進んでいけないので、このnoteの最後に書きたいと思う。

将来、何をしているかわからない時代に大切なのは自分の中に明確なビジョンを持つことだと思っている。

誰もが「自分らしさ」を愛せる世界を創りたい

社会人になって5年しか経っていないが、自分が創りたい世界感が見えてきた。これは現状の自分の考えでしかないので、今後自分の人生の中で経験していくこと、会って語らう人たちによって、明日には変わっているかも知れないと思う。定義する言葉は変わったとしても、本質というか核みたいものは変わらないことのように思う。

誰もが「自分らしさ」を愛せる世界を創る

ずっと僕は「人の感情と可能性」に興味があるのだと思う。それは自分自身の感情に目を向けてきたからこそかも知れない。ネガティブな時、ポジティブな時、自分の内側に向いた感情に興味がある。そして、愛するということにもずっと興味がある。そのため、ある仮説を考えた「誰もが『自分らしさ』に向き合い、愛せるような世界はきっと誰もが幸せになれる素晴らしい世界なのではないだろうか」。どこで何をしていてもいい、いくら稼いでいても、誰といても、独りだったとしても、どう在ってもいい。多様な価値観があっても良くて、それが認められなくたっていい、自分らしく生きて、誰とも比較することなく、愛すること。そんな世界を創っていきたいと思っている。


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