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成長し続けるために

僕たちは、成長し続ける必要がある。

変化が激しい時代。不確実性が高い課題。急速に陳腐化するスキル。短期化するプロダクトライフサイクル。この時代、僕らは成長をし続ける必要がある。成長とは何か、どうすれば良いのか。現時点での自分の考えを言語化しておく。

成長とは何か

そもそも、成長とは何であるか。学生の時から「成長できる環境」という言葉は何度も聞いてきた。しかしながら、成長とは何であるかを考えることもしてこなかった。抽象的な言葉であるため、具体化された時の定義は個人個人で異なると思う。

現時点での僕の捉え方は「成長マインドセット」という本に書かれていた、アイスバーグ理論における、アイスバーグの二次元的な大きなだと思う。

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これは、草野球の選手と大リーグ選手とではアイスバーグの構造は同じだけれども、「意識・想い・人生哲学」という最下部の大きさに伴って三角形自体が大きいという捉え方をしていて、この面積を大きくしていくことが成長であると考えている。

ここに二つの概念を加える。「スティーブ・ジョブズの名スピーチ」の一節と「RANGE」という本に書かれていること。

それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。
この本の要点をシンプルにまとめると、
●スポーツ選手・芸術家など天才と言われる人たちの多くが、早期の専門特化よりも、深さを犠牲にして幅を広げた寄り道・遅咲きタイプである
●非効率に見え、後れを取っているように見えるやり方が最も効果的な学習方法である
●何かをするのに遅すぎることはない

成長とは、アイスバーグの面積を大きくしていくことだったとする。そこに「connecting the dots」と「RANGE」を重ねると、面積を大きくしていくことの方法が見えてきた。僕はこれを、興味の赴くままに自分の得意領域に絞るのではなく、全てのことを学びとして捉えて吸収していくこと、コトを成すために専門性を定めることなくなんでもチャレンジし行動をしていくこと。世の中は、最適化をしていく中で最初の段階から専門性を伸ばし、分業してそれぞれの作業効率を高めていくことを目指しているように見えていた。そうではなく、不確実性が高い時代において、知識や経験の幅を広げていくことがむしろ、コトを成すことに必要なのではないかということを教えてくれた。この概念を検証していきたいと思う。

モチベーションという罠

「モチベーション」という言葉は、大きな罠が潜んでいると思う。高いモチベーションを保つことは非常に重要であると思うが、それによって成果がブレることは望ましくない。モチベーションを保つという考え方を捨て去り、どんなモチベーションにおいても、成果をあげることに考え方をシフトさせる方が健全であると考えるようになった。

僕が大好きな「左ききのエレン」に「クソみたいな日に、いいもんつくるのがプロだ」という言葉がある。

しかしながら、どんなモチベーションの時も高い成果を出すのがプロであったとしても、モチベーションを味方につけることで、さらに素晴らしい成果をあげることができると考えている。モチベーションは友達だ。やる気になった時の爆発力は凄まじい。一晩にして、世界を変えてしまうような種を考えつくこともある。そう、僕は信じている。

習慣化させるために、必要に駆られる

モチベーションに寄り添うことなく、高い成果をあげるためにはどうすれば良いのか。それは「習慣化」と「必要に駆られること」だと考えている。

まず、習慣化については素晴らしいnoteを添付する。

僕が考える習慣化は単純で、自分のスケジュールの中に融け込ませることである。僕は弱い人間だ。つい、時間を浪費してしまう。自分が弱い人間だと自覚しているので、自分のモチベーションに委ねることはしない。スケジュールに落としこむ。例えば、僕は日曜日をプロダクト開発に充てるためにスケジュールに入れ、コワーキングスペースも予約している。自分をそうせざるを得ない環境に落とし込んでいる。もちろん、仕事が忙しい週もある。その場合、僕はコワーキングスペースに行って、仕事を終わらせた後に、自分が好きな開発をするようにしている。あくまでに、スケジュール通りに行動している。人間は決断することにとてつもないエネルギーが必要だ。どれだけ無思考で、行動を起こすことができるか。ここを仕組みに落とし込む必要があると考えている。

そして、自分を「必要に駆られる」環境に置いてけぼりにしてしまうこと。僕はプログラミングの超初心者だった時、受託会社でのアルバイトをしていた。プログラミングができないと、そもそも何にも役に立てない環境に自らを持っていった。これは勇気がいることだけど、一歩を踏み出す勇気さえあれば、あとは流れでなんとかしてくれる。よく、英語を話したいのであれば、留学にいき、自分を英語を話さなければそもそも生きていけない環境に行くことが良いということを聞くけれど、同じ原理だと思う。自分をそうせざるを得ない環境にしてしまうこと。そうすることで、僕らに眠っていた生存本能が呼び戻され、生きていくために必死に勉強し経験をすると考えている。ここに潜む悪魔は、慣れである。環境に適応してしまったら、慣れて必死さは衰退していく。だからこそ、常に必要に駆られる環境に変化させていくことが大事だ。半年前、一年前、同じことをしていて、今自分に安心しているならば、それは危険信号だ。環境を変えなければならない。

しかしながら、それは諸刃の剣だ。身や心を危険に晒してしまう。無理をして環境を変える必要はない。自分が楽しく働いていること。これが何よりも大切で、根底にある。自分の楽しさを認知し、身を委ねること。これが最も大切だが、最も難しいことなのだと思う。

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