あいちトリエンナーレは「表現の不自由展」というテーマで表現の自由を主張したが、皮肉にもそれが否定される。

今回のあいちトリエンナーレについての一連の騒動は、日本中でニュースになり、取り上げられた。それがきっかけで、興味を持って調べた人がいたと思う。とても良いことだと思う。「表現の自由」について、いろいろ考えた。

展示をすぐに切り上げた理由として、プロデューサーの津田大介氏は、苦情が多数寄せられ、展覧会での安全性を考慮しての決断だとしたが、いまいち納得ができなかった。
公共の福祉を守るために、アーティストたちの表現の自由が制限される理由にはならないと思う。

いまの日本では、芸能人や、また個人のインフルエンサーまで、SNSで日常の様子をツイートしたりしている。ただ、政治的発言や、
過激な発言も拡散できる。それによって、日本でも世界でも、しばしば「炎上」と呼ばれる現象が起きている。たとえば、発信者側にそれほど意図がなかったとしても、過大解釈されたり、一部の発言が切り取られて拡散され、袋叩きになる世の中だ。

その結果、みんな表現することに対して、萎縮している。こういう世の中の傾向は、よくないと思う。なぜなら、大人数でひとりをリンチするような社会で、だれも自分の意見、ましてや手間のかかる美術作品など、発表する気にならないと思うからだ。このままでは
アーティストたちの作品は世に出ることがなく、議論されることもない。

べつに、寛容になる必要はない。不快なら不快で構わないけれど、気に入らないもの袋叩きにして抹殺するのは結局、画一化したつまらない世界を生むのではないかと思う。
私たちは、頭から否定するのではなく、もっと議論をすべきだ。たとえば、なぜこの作品が気に入らないのか。不快なのか。なぜ美しいと思ったのか。
その思考、議論を投げかけてくれるのがアートなのだから、私たちはアートと協力して、
社会を築いていくべきだ。

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