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魂の年齢 -2020年9月30日

昔のナンバーガールのライブ映像をYouTubeで見漁っている。時系列がバラバラなので、向井秀徳の見た目が老いたり若返ったりする。
ふと、「今」の向井秀徳は何歳なんだろう、と思って検索すると、46歳。(2020年9月現在)

全然私の父親でも可笑しくない年齢だった。

1999年のライブで歯を剥き出しにして歌うこの人に、淡く恋をした。ただ、その想いは全く持って片思いと決まっている。なぜなら、向井秀徳が25歳で私が同時に19歳の世界線は現実には存在しないからだ。
ただ、映像が残っていたので、こういった数奇な感情が生まれてしまった。本来なら生まれ得ぬ感情だ。虚無に恋をしたとも言える。

恋というのは、勝手に始められるし勝手に終われる。私は向井秀徳に片思いをしているが、それは永遠に「恋」なのだ。

恋というのは、時にして切実さはあるが、基本的に楽しくて呑気なものだ。なぜなら、好きな人の家のチャイムすら鳴らさず、うっとりと表札を撫でている期間だからだ。どんなに切実に思えても、そこには切実な目で表札を撫でている自分自身がいるのだ。

恋に恋する、というように、ただ自分の気持ちだけを楽しんでいたい、この刹那的どうしようもなさが「恋」だと思う。
ただ、これが駄目かというと駄目ではなく、むしろ、人生なんて大半の気持ちが「恋」に似たものでいいんじゃないかとすら思う。

そう、私は、向井秀徳の魂に恋している。只の人間として歳を取る現身の彼は姿を変えるが、恋とは都合のいいもので、好きなところをただ好きであればいい。だから、私はただ、向井秀徳の魂に恋をすることにした。

IGGY POP FANCLUBという歌で、向井秀徳が「俺のこの部屋に入り込む夕陽に映る 君の顔みとれてた俺は」というフレーズがあるが、私はこの「君」には成れない。「俺」だから、切実なのだ。

ただ、悪くない。ずっとずっと恋をしていたい。皆んなもこういうことあるでしょう。ジャニーズの誰がし君に抱いているその感情、だからそれも恋なんじゃないか。私はジャニーズに恋することができなかった為、今こうして拗らせているのかも知れないと思ったら、ほら、都合のいいもので、100年の恋も圧縮していくのが見えるでしょう。

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