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映画「ニューオリンズ」を観て、社会と芸術の関係について考える -2020年6月7日

昨今のアメリカでのデモ報道。
私は今、何を考えるべきなんだろう。私が学んでいる、「芸術」とは、何か。

今回は、1947年のアメリカ映画「ニューオリンズ」を題材にとろうと思う。大学の教授が課題として出した題だが、音楽(=芸術)の側面から、昨今の人種差別問題(=社会)を考えるきっかけとなった。

映画ニューオーリンズのあらすじ:
舞台は1947年、アメリカのニューオーリンズにあるジャズバー。当時は、ジャズは黒人の音楽として差別を受けていた。ある時、白人のオペラ歌手ミラリー(ドロシー・パトリック)はそのバーを訪れ、ジャズの魅力に夢中になる。

 まず、ニューオーリンズのジャズバーで演奏されている曲がどれも素敵だと思った。ヒロインが心奪われるのも無理はないと思う。ずっとオペラを歌ってきたミラリーにとって、ジャズの音楽はもちろん、バーの雰囲気や演奏する人々まで新鮮に映ったのだろう。

 ニック(アルトゥーロ・デ・コルドバ)が、バーに来たミラリーに「貴方はこんな所に来るべきではない。」と言ったのに対し、ミラリーが「どうして?身分や地位が何だって言うの?私だって同じ人間よ。」と返すシーンがある。このセリフを白人に言わせるのは大きな意味があると個人的に感じる。黒人の音楽であるジャズを聞いた白人のミラリーは、その魅力を疑わなかった。「同じ人間」と言う言葉には、黒人と白人が同じ人間である、と言う主張も暗に示しているのではないだろうか。

 オペラのコンサートでジャズを歌ったミラリーに、観客はざわめき、次々に退場するシーンがある。しかし、バーがシカゴに移ってその魅力が認められ出した後は、観客の反応は全く異なるものとなっていた。その様子は、初めてジャズバーに来て、最初は戸惑った表情を見せていたミラリーが、音楽を聴くうちに雪解けのような笑顔をニックに見せたシーンと通ずるものがある。大衆は皆、ジャズが「黒人の音楽」という先入観に囚われ、それを非難していた。しかし、実際に音楽を耳にすると、ジャズの本当の魅力に気が付き始めた。白人であるミラリーがそうであったように。

 私は、こんな風に、素晴らしいものは直接見たり聞いたり感じたりしてその価値を判断したいとおもった。人種や地位を超えて、気がつけることが沢山増えると思うからだ。

最近アカデミー賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウオーター」と言う映画に「ニューオーリンズ」と似た台詞があった。「彼と私とは何が違うの。彼と私は何も違わない。彼と私は同じだ。」と言う台詞だ。
これは、人間ではない生き物に恋をした聾者の女性の台詞である。コミュニケーションが取れれば、相手がどんな生き物であっても、自分と何も変わらないと言い切った主人公が出るこの映画は、アカデミー賞を取った。この主張は映画の核とも言えるものだったので、いまだに黒人差別が根強く残るアメリカの映画祭で認められたと言うのは、とても大きな出来事であったと思う。

しかし最近では、白人警官が黒人を殺害したと言うニュースでアメリカで大規模なデモが起こっている。そして、デモには多くの白人も参加している。
多くの映画や音楽がこんなにもお互いを認め合おうとしているのに、どうしてそれが伝わらないのか悲しくなる。文化や芸術の力は、社会にとって微々たるものなのだろうか。

大学で芸術を学ぶ立場として、そしてこれから作品作りをしていく中で、意識せざるを得ないのは、社会との関わりであると感じる。
文化は社会と切っても切り離せない関係にあるからだ。
今一度、芸術とは何なのか。どう社会と関わっているのか、また、どう関わっていけるのか、考えたい。

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