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みっくしゅじゅーちゅ -2021年10月15日

大森靖子の「みっくしゅじゅーちゅ」という曲が好きだ。大好きだ。高校生の頃から、いや、胎児の頃から好きだ。人間になる前から彼女の音楽に乾いていた。

幸せのイメージは 捉えた瞬間過去になる

とか、明るい曲調の中にどこか切ないフレーズが入るのが甘酸っぱくて好きなんだよな。まさに、いろんな甘い果物、酸っぱい果物が擦り潰されて混ざったミックスジュース。何だかジュクジュクするのは口の中じゃなくて、自分の胸の中かもしれない。

一応、「私」と「君」が混ざり合ってどっちがどっちか分かんなくなるくらいぐちゃぐちゃに混ざりたい!っていう曲なんだけど。こういう、大好きなモノ・人と一体化したい!っていう欲望を誰しも抱いたことがあるんじゃないだろうか。スライムみたいに、ぐちゃぐちゃになって、本当の意味で「ひとつ」になるんだ。

大森靖子の韻の踏み方も私は好きなんだよな。

絶望がサマになる 恋の季節SUMMERになる(みっくしゅじゅーちゅ)
瞬間最大me ピンクのサイダーみ(瞬間最大me)
わたしはからだがあるからいたい 遺体になる前に会いたい(瞬間最大me)
論理 MADE ME SO LONLY(瞬間最大me)

こういう、絶妙な言葉遊びなんだけど、全部かわいいから凄いんだよな。かわいいの神様かって話だよ。

よく、大森靖子と言えば「メンヘラじゃん!」みたいな反応をされるのだけど。「誰でもいいなら私でいいじゃんって つまんないこと言っちゃったな(きゅるきゅる)」この歌詞だけで、彼女の本当の聡さを感じないだろうか?「誰でも良い」と言いながらも自分を相手にしてくれない人の矛盾に対して、それを指摘した自分を「つまらない」と言っているんだよこの人は。本当は、愛して欲しくて、寂しくて言わずにはいられないのに、それをこんな形で主張しなければいけない立場も自分の言ったことも全部「つまらない」と言ってしまう、自己肯定感の低さ。恋愛は下に見られたら負けなんだから、この人は敗北してるんだよな。「誰でも良い」と言った男の、「本当は誰でも良くない」の1人に入れなかったことが悔しいんだよ。それを曲にしている。

「あんなにも きゅるきゅるしてくれたじゃない」というサビの歌詞にはその悔しさが如実に現れている。愛してくれた瞬間を彼女はずっと忘れられずにいるのに、相手はそうではなかった。それを全部分かっている女の子の歌だよ、これは。

本当にやばいのは、それを客観視できずに「一生一緒にいよう」とか「愛してる」とか薄いラブソングを書いちゃう女だって自分は知ってるよ。そういう人の歌詞には、恋をしている自分の主観しか登場しないから相手が見えてこないのだ。だから薄っぺらい。大森靖子のラブソングにはちゃんと「相手」が登場する。そして、「相手」が彼女をどう思っているのかを彼女は理解している。その上で、自分の「好き」をこれでもかと歌うのだ。これ以上真っ当なラブソングがあるか。

とまあ、大森靖子愛が爆発してしまったが、仕方ない。最近街で流れているラブソングが自分は全部大っ嫌いなのだ。自己中心的で、自分ばっかりで、そりゃ上手くいかないだろ、と突っ込みたくなる。

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