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おろろん変化球 Redmond 単身赴任日記Vol.9 Ranchon出張と米国で生きる事

ロアサンジェルスから更に南東のRanchonという街に出張に行きました。
空港に降りる際に見える風景はSeattleのそれと違い、緑が薄く、山も無し。
工場地帯でした。

工場群

空港から出ると、熱気がバチんと当たって来る感じで、本当に暑かったです。
砂漠地帯なのだと、実感しました。
つつがなく、仕事を終えて、シーフードレストランで食事をしていると、
レストランのテレビには、逃走していた車がまさに警察に捕まるところが写っていました。取引先曰く、ロサンジェルスでは当たり前の光景で、逃走車が出るとヘリコプターで撮影、追跡するのだとか。
実際に彼も逃走車に出会した事がある様です。
結局その逃走車は捕まらなかったとも。

ホテルのドアにはこんな表示が。鍵をこじ開ける侵入者を防ぐ為でしょう

帰りのUberの運転手さんが言うには、ロスの治安が悪い為、ここに移住してくる年配者が増えているとの事。
家の価格も上がり1億5000万円を超える家も増えている様です。
今回の出張で思ったのは、南という事もあり、南米系の人々が多かったなと。
取引先の事務所でも、南米系の方がほとんどだったと記憶しています。
これは先日Bostonに出張し、工場に入った時にも思った事です。

植物も南国

出張から帰った次の日、人づてに聞いた話です。
息子の友人がサッカー練習やその他で遅くなると、いつも「家まで送ってくれ」
と頼むので、「たまには自分の両親に聞いてみろよ」とその人は尋ねました。
すると彼は「この時間はまだマムは働いているから」と言いました。
こんな時間にも働いている?っと思ったその人は事情を聞きました。
彼の話では、彼の両親は所謂南米からの正規の移民ではなかった様です。
父親は何年か前に強制送還され、その後母親は3つの仕事を掛け持ちして子供を育てている。彼にはまだ小さい妹が2人います。
「もしマムが強制送還されたらどうなるの?」
「その時は2人とも施設に行く事になるだろう」
彼は成績が大変優秀で、秋から名門のワシントン大学に入学する予定です。
学費は彼の家庭状況と優秀な成績から補助より、ほぼ無償で進学出来る様です。
因み強制送還された父親は再び米国に入っている様ですが、
既に新しい家庭を持ち、会っていない。

半年程前にうちの会社を退職した女性が、先日戻って来ました。
彼女は南米から米国の大学に留学し、卒業後2年間働ける期間を利用して働いていました。その2年間が終了し、帰国したのですが、今回再び学生になり、バイトをしている形です。両親は母国で医者をされている様です。
今後彼女が卒業後、何かしらの米国に滞在できるビザ、資格を取得出来る事を祈るばかりです。それが彼女の両親の希望なのでは無いかと、思っています。

会社の同僚は、30年以上前にフィリピンから船に乗り、
10代の頃、米国に来ました。いわゆる難民船です。
夜中に港を出て、2日間海を彷徨った時には死を覚悟したと言っていました。
その覚悟は同僚の両親にも、送り出す前にあったのかも知れません。
米国に渡ってからは、同じくフィリピンから来た先に渡米していた家族が
ホストファミリーとなり、そこで暮らしました。
今は子供達の大学費と家賃が高いと愚痴をこぼしています。

2年前、インドネシアの友人が突然亡くなりました。
僕は急遽インドネシアに行き、葬儀に参加しました。
彼の家族とは長い付き合いです。
葬儀には長女が参加出来ませんでした。
米国の大学を卒業し、就職したばかりの彼女は滞在する為のビザを取得する為に、
その期間は米国を出国する事が叶わなかったのです。
彼女と葬儀が終わった後、Facetimeで話ました。
「来てくれて、本当にありがとう」彼女が英語で言いました。
彼女の辛さを思うに、しばらく言葉が出て来ませんでした。
今、彼女は米国で立派に広告関係で働いています。

米国で海外から来た人が暮らすのは、大変だと思います。
まず暮らす資格を取るだけで、本当に大変だと思います。
貧困も差別もあります。
でもこの国には、優秀であれば、勤勉であれば、諦めなければ、
Figthing Spiritがあれば、全ての人とは言いません、
かなりの少数だと思いますが、そこには公平な報酬がある様な気がします。
そこに僕は、米国の成長と力強さを感じます。

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