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祖父と恋愛小説

今日は祖父の命日。

明治生まれの祖父。頑固一徹で変わり者。そんな風に語られることが多いのだけれど、私は他の家族とは少し違う見方をしている。祖父はHSP(Highly Sensitive Person)であったのではないかと。

頑固で定年を待たずにある日仕事を突然辞めて帰ってきた祖父。これには祖母もさすがに困惑したようだ。もちろん孫にはそんな話はしなかったけれど、祖父母の夫婦仲を見ていたらなんとなく分かる。

祖父母の家には祖父専用の小さい「仕事小屋」があった。小屋の中は薄暗く、使い方も分からないたくさんの道具がそこかしこに置いてあった。祖父はここで何かを作る仕事をしているのだと私はずっと思っていた。今思い返すと、あの小屋は祖父がひとりになるための「場所」だったのではないかと思う。祖父にはひとりで過ごす時間が必要だった。亡くなって何年もしてから「祖父は仕事小屋に恋愛小説を置いていた」と父から聞いた。父には意外だったらしい。「そんな一面もあったのか」とつぶやいた父。私は祖父と恋愛小説の取り合わせに何となく納得いってしまったけれど。

頑固な祖父を嫌う親族は多かった。幼い私から見ても、祖父の周りは敵だらけだった。誰も祖父と親しく会話をしない。必要事項を伝えるだけの冷たい会話。親族からは高齢の祖父を気遣う言葉も聞いたことがない。

でも祖父は心から優しい人だった。どうしようもなくダメな子供だった私を無条件に愛してくれたのは祖父だけだった。私の知っている唯一の「無条件の愛」だ。母も祖父が優しい人だと知っていた。嫁ぎ先で義姉妹にいじめられていた母をかばってくれたのは祖父だけだったらしい。

いじわるされていた私を見て、祖父が友人を怒鳴ったことがある。私はあの頃から自己肯定感が低かったらしく、祖父が私をかばうことに違和感を感じていた。「どうしてお祖父ちゃんは私なんかのためにマキちゃんを怒るの?」本気でそう思っていた。それが祖父の「愛情」だと理解できたのは40歳を過ぎてからだ。

祖父の生きた時代。「男は強くあれ」というのが当たり前だった時代。戦争も経験した祖父。あの時代、普通に生きることだって大変だった時代。HSPでしかも男性であればどれだけ生きづらかっただろうか…。考えると心が痛くなる。もちろん現代がHSP男性にとって生きやすい時代だと思っているわけではないけれど。

今年はコロナの影響で実家に戻れず、ご仏壇にお線香もあげられない。離れた場所から祖父を懐かしく思い出すことで、大好きだった祖父を偲びたい。


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