見出し画像

歌舞伎ヲタがSANEMORIを観てきたよ(前編)

※この記事はネタバレを含みます。
※私はただの歴の浅いスノ担で、歌舞伎が大好きな一般人です。
※書いてある内容は個人の感想です。

2023年1月17日(火)昼の部で「SANEMORI」を観てきました!!詳細レポをあげると言っておきながらなかなか書き終わらず、苦肉の策としてとりあえず書けたところまでを「前編」としてアップします。

Snow Manの宮舘涼太さんが、團十郎さん(当時は海老蔵さん)の新春歌舞伎公演に出演することが発表されたのは2022年9月16日、そこからずっと楽しみに待っていた「SANEMORI」をやっと観に行くことができました。

端的に言うと、1月6日に幕を開けてからの大変な評判はSNS等で目にしていましたが、それを読んで想像していたより何倍も素晴らしいものでした。

先に「SANEMORI」全体の感想を述べた後、宮舘さんについて詳しく語ります。ちなみに後編は團十郎さんの話やお弟子さんの話などについて書く予定です。

「SANEMORI」概要

今回の「SANEMORI」という歌舞伎は、「源平布引滝」という古典浄瑠璃の名作が下敷きとなっています。全部で五段あるうちの、二段目「義賢最期」と三段目「実盛物語」を抜粋し、分かりづらい部分を削ぎ落として、序幕と大詰めを新しく付けたという仕立てですね。ちなみに「実盛物語」というのは「実盛が語る物語」という意味で、「実盛さんの一生」とかそういうことではありません。ただ今回の演目が「SANEMORI」というタイトルなのは、全体を通してみると「むかし実盛っていう人がいてね」ということを意図しているのかもしれません。

序幕は木曽義仲の戦闘シーン。その後、義仲が生まれる20年以上前に遡って「義賢最期」と「実盛物語」があり、大詰めで序幕と同じ時代に戻ってきて実盛を回顧するという時系列になります。過去の回想を現在の話で挟む形にすることでとても分かりやすくなっていますし、話の筋が通ってますね。てなことを書いていたら、松竹さんがまとめてくれていました。ところで2019年の初演もこういう形式だったのでしょうか?どなたかご存知の方がいたら教えてください(そんなんばっかり)。

「実盛物語」の主人公・斎藤実盛を市川團十郎さん、「義賢最期」の主人公・木曽先生義賢を宮舘涼太さん、序幕と大詰のストーリーテラー・木曽義仲を二役で宮舘さんが務めます。

前のブログで、歌舞伎って名場面ばっかりで話の筋が通らないことも多いけど、それが逆に良さでもあるという話をしました。しかしこの「SANEMORI」について言えばちゃんと名場面もあり話の筋も通っていて初見にも分かりやすくしていてかつ古典の良さも殺さないということが、とってもいいな!と思いました。脚本は石川耕士さん。これまでにも玉三郎さんや猿之助さんと組まれて新作歌舞伎をつくっておられるベテランの方です。さすが!

新しい歌舞伎のスタイル

今回の演目を観ながら感じたのが、「義賢ってそういう人だったんだ、『義賢最期』ってこういう話なんだ・・・」ってことでした。宮舘さんが入ったことによる効果というか影響というか、とにかくなんだか不思議なものを見た!という感じがしました。

こういう現代の演劇的な試みというか、歌舞伎の新解釈というのは別に「SANEMORI」が初めてというわけではなくて、例えば勘三郎さんが立ち上げたコクーン歌舞伎や、猿翁さんが始められたスーパー歌舞伎などが有名です。また、アニメや漫画などの歌舞伎化も近年盛んに行われていて、役者が現代の言葉で話す歌舞伎というのも多く存在します。

「SANEMORI」が新しいのは、他でもない宮舘さんという歌舞伎役者ではない演者を古典に登場させ、彼だけに現代語を喋らせたことだと思います。宮舘さん以外は歌舞伎方の人間で、概ね歌舞伎の発声で歌舞伎の言葉を話している。一見ちぐはぐになりそうなものですが、なぜかうまくマッチしていました。

私は歌舞伎を御伽草子というか縦書きの絵本のように観ているところがあります。歌舞伎は型が大事と言われますが、型というのはつまりモデルですね。人を抽象化して、どこにでも当てはめることができる(というと言い過ぎなのだが)ようにしたわけです。「実盛物語」で言うと、「白塗り・生締(「なまじめ」そういう髪型です)」→ カッコいい善人、「赤みがかった肌・チリチリ白髪」→ 癖のある老人、とかそういうことです。カッコいい善人はどこに出てきたってカッコいい善人なのです(見た目だけの話ではないことを付け加えておきます)。そういったモデルの中に、演目や公演によって違う役者を当てはめて、その役者の色を少しだけ滲ませるというのがこれまでの古典歌舞伎のように思います。

特に「義賢最期」という演目では役者に感情移入するというよりは、様式美や激しい立廻りを楽しむという要素が強いです。見取り狂言という形で、二段目だけかかる、というのはそういうことです。

一方、現代の演劇はそういったものと違って、どれだけ写実的に見せられるか、どれだけその人の人生を舞台上で生きられるか、といったことが重視されているように思います。

今回、宮舘さんが入ることによって、何が生じたかと言うと、縦書きの絵本の中に急に横書きで写実的な文学作品が立ち現れたという感じ。それは彼だけが現代語で話していて、現代の演劇的なものを持ち込んでいるからなのだと思いました。宮舘さんが話すとそこだけがぽこっと浮き上がり、義賢の人としての解像度が高くなるのです。義賢が、病をおして平家と戦い壮絶な死を遂げる、だけの人ではなくなるわけです。めちゃ面白い!義賢ってそういえば若かったんだ!!

Twitterでは、葵御前にかける声の優しさに胸を打たれたとか、親子の情愛を感じられて泣けた、というような感想が多く見られますが、普段の古典歌舞伎ではなかなか伝わりにくいところだと思います。観客がその場面だけは感情移入することができている、というのは大変面白い現象だし、こういった現象が起きる一場面さえあれば、もっと色んな人に歌舞伎をみてもらうことができるのかもしれないと思いました。

歌舞伎をする役者・宮舘涼太

さて、宮舘さん自身がどうだったのかという話に移ります。これはもういろんな方が仰られているとおり、素晴らしい大熱演でした!

2016年の滝沢歌舞伎で、鼠小僧の冒頭、宮舘さんが鳴り物をしていることに大変驚いたのですが、その時にも感じた思い切りの良さみたいなものを感じました。普段のダンスにも表れていると思うのですが、芯が強くて手脚が鞭のようにしなって、身体の1点を抑えておいて後は全て投げ出してしまうような動き。これが立廻りとか所作だけではなくて、彼の内側から滲み出る精神性みたいなものとして演技全てに発揮されているような気がしました。

なので、観ている側も全く不安ではなく、むしろ次は何?何するの?といったワクワク感を持ちながら観ることができました。また口跡(台詞の言いまわし)も良く、聞いていてとっても気持ちが良かったです。

ちょと意地悪なことを言うなら、ピンマイクが付いていたことと地下足袋だったことが気になりましたかね。

ピンマイクは宮舘さんのブログのお写真からも確認できますね。私は前方席だったので(頑張りました!)そこまでマイクの存在は気になりませんでしたが、座席によってはマイクを通して喋っている感じがするのでしょうか。息遣いが激しく聞こえた、というのはTwitterの感想等でも上がっているとおりですが、もしかしてマイクが付いているからなのかな?歌舞伎役者さんでそこまで息遣いが気になる人(もしくは演技としてやっている人)が思い出せないので、これは宮舘さんの独自の演技プランかもしれない。音響に詳しい人がいたら教えていただきたいなあ。

地下足袋だったのは宮舘さんだけでしたね。他の歌舞伎役者さんってとんぼ(宙返りのこと)切ったりするときも普通に草鞋なんですよね・・・なんでできるんだろう。

あともうひとつ宮舘さんに、次回のリクエストするなら、長袴を穿いてほしいです!本当の「義賢最期」では義賢は長袴なんですよ。歌舞伎役者すごくないですか?っていうかこんなことさせるの鬼畜の所業ですよね。参考までに幸四郎さんが「義賢最期」を演じられた時のインタビューを載せておきます。

他の役者さんとの絡みも大変楽しかったです。特に立廻りを担当されているお弟子さんたちとは、強い信頼関係が築けているのではないかとお見受けしました。でないとあんな立廻りできないよ、というぐらい激しいものでした。戸板倒し、梯子を使った立廻り、花道での立廻り(敵方に一瞬飛び乗る、というのは普段の歌舞伎では見たことがありません)、客席通路にまで飛び出しての立廻り(刺されそうな位置におりました、私)、仏倒れ・・・。これでもかこれでもかという感じでしたね。宮舘さんの体力に期待し過ぎではなかろうか。期待に応えるのが宮舘さんだけれども!

前回の「SANEMORI」から交流が続いているという児太郎さんとは、大詰の場面でめちゃくちゃ長く寄り添って見つめ合っていて、すごくドキドキしました!10秒以上見つめ合ってたと思う。私はドキドキを紛らわせるために、宮舘さんは児太郎さんのモノマネするんだよな、今もするのかな、なんてことを思い出してました。そうそう、カーテンコールで宮舘さんが前に出て挨拶して戻るときに、先に位置についていた児太郎さんと目が合ったみたいで、児太郎さんがニコニコ拍手してらしてほっこりしました。

あ、ちょっと逸れますが、普通の歌舞伎ではカーテンコールは無いです。スタオベの文化も無いです。まあ、最近は千穐楽だけカテコあったり、新作だと2回3回と続くこともありますが・・・。どれだけ拍手が続いても出てこられない役者さんもいらっしゃいますし、演目によっても異なります。歌舞伎座行って「カテコ無かった!」って残念に思ったりしないでくださいね。


故勘三郎さんは「歌舞伎役者がやればそれが歌舞伎なんだよ」って仰ったのだそうですが、宮舘さんは歌舞伎役者ではありません。では、「SANEMORI」は歌舞伎ではなかったかというと、本当に歌舞伎らしい歌舞伎でした。

宮舘さんは歌舞伎役者ではありませんが、歌舞伎をする役者だったと思います。しかも主役で。これは大変に稀有な存在です。例えば、コクーン歌舞伎にはよく笹野高史さんが出演されていますし、三谷幸喜さんが作・演出を手がけた「月光露針路日本 風雲児たち」には八嶋智人さんが出演されました。他にも意外にたくさん、歌舞伎外の人が歌舞伎の舞台に立たれています。しかし、多少アレンジされているとはいえ古典の演目で主役というのはちょっと聞いたことがありません。私が勉強不足なだけかもしれませんが。

この先こういった機会があるのか分かりませんが、私はこれからも宮舘さんには歌舞伎をし続けてほしいし、歌舞伎をする役者が宮舘さん以外にももっと出てきてよい、と今回「SANEMORI」を観て思いました。きっと今の若い歌舞伎役者にも大いに刺激になることだろうと思います。他の演目でもぜひ観てみたいです。


というわけで前編は以上です!近いうちに後編アップします〜!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?