見出し画像

仏教に学ぶ生き方

善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや

歎異鈔という書物に書かれた親鸞聖人の言葉です。 高校倫理にも悪人正機説という名前で記載されています。
訳は「善人ですら助かるのだから、悪人ならなおさら助かるだろう。」

読んでわかるように、善人で「すら」助かるというパラドックスが発生します。

ここでの善人は「自力で往生を遂げる人」という意味です。浄土系の教えでは念仏を唱えことによって仏が全て救ってくれます。つまり善人とは仏の力を借りずに頑張る人のことを指します。
一方で悪人は「煩悩などに苦しみ一人では往生できない人」を指します。

ほとんどの人は煩悩を抱えており、自力で解決することはできない。

そういった弱い人たち(悪人)を救済することが阿弥陀仏の使命だったわけです。



話が少し変わるのですが、2年ほど前に声明(お坊さんが唱える声楽)の講座へ行ったことがあります。そこで、とあるお坊さんが「人はどんな時代にあっても苦しみを感じていて(一切皆苦)、それを緩和してくれるのが仏教である。」と話してくれました。

また、旧約聖書の特に創世記なんかをみていると人の心の弱さが描かれているシーンが多くあります。原罪を背負った人々はときおり過ちを犯し、神が人を罰します。


いつの時代どんな地域であっても、普遍的に人は弱く、その弱さを抱えて生きてきたのではないかと思います。

自分の弱さに一人で打ち勝つことは難しいことを受け入れ、人に助けを求めよう。

親鸞が言う悪人正機とは、そういうことだったのかなと解釈しています。

歎異鈔を読んでからは、多少苦しいことがあり解決できなくても、それはそういうもんなんだと受け入れることで凄く気持ちが楽になりました。また、頼ることの大切さを知りました。

善く生きるとは? 苦しみから逃れるためには?

長年多くの人から信仰されてきた宗教や哲学などには、信仰されてきただけの理由がある。日常生活を生きる上で大切になるエッセンスが多く隠されていると思っています。
先人が時間をかけて考え抜いてきた思想を参考にすることは人生をとても豊かにしてくれるのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?