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世界一周紀行 1章 アジア+a ⑥ (イラン)

【8月】 

13日 トビリシ→テヘラン→イスファハン🇮🇷
14日 イスファハン
15日 イスファハン→コム→ヤズド
16日 ヤズド→シーラーズ
17日 シーラーズ
18日 シーラーズ
19日 シーラーズ→テヘラン
20日 テヘラン
21日 テヘラン
22日 テヘラン→トルコ(移動)🇹🇷
23日 イスタンブール着

【8/13】

空港で目を覚まし、イランへ向かう。
イラン行きの飛行機は皆チャドルを巻いていた。チャドルを見るといよいよイスラム圏に行くのかという気持ちになる。

イランの首都テヘランの空港に到着後、アライバルビザの取得手続き。
ホテルの記入欄があったが、まだ宿も決めておらず、そのことを伝えると職員に渋い顔をされる。たまたま同じ飛行機に乗っていた日本人観光客の方に地球の歩き方を借りてことなきを得る。日本の友人がいると話すと、確認の連絡をしろと言われたり(携帯が使えないので無理)、入国しようとICをかざすとエラがー出たり、トラブルが重なりつつも無事入国。空港で小額のお金を両替し、この旅初めてのSIMカードを購入(友人と会う予定があったので移動中に連絡する必要があった)。
市内までの電車の場所が分からず狼狽えていると、アフガニスタンからの旅行者が電車の場所を教えてくれ、切符代もおごってくれた。嬉しい。

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アフガニスタンの観光客と電車を待ってると、さっきの地球の歩き方を借りた日本人女性と再会。クロアチアの女性旅人と現地の人と3人でいたそうで一緒に合流して世間話。クロアチアの女性と僕が降りる駅一緒だったそうで一緒に駅を降り、両替できる場所を探す。空港のレートの約3倍で交換完了。事前に空港の換金レートが悪いと知っていて良かった。

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クロアチア人観光客が、換金場所を教えてくれた感謝も込めて、宿泊先のゲストハウスでお茶でもご馳走するよとのことでお邪魔する。
英語版のロンプラを見せてもらって情報収集。ゲストハウスのスタッフと3人で少し会話をしてから解散。

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首都のテヘランでは泊まらず、バスターミナルへ向かう。

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バスターミナルはスタジアムのようで、規模の大きさにびっくり。
夜行バスを予約してから5時間ほどターミナルで待機。暇すぎたが、SIMカードが使えるので時間を潰せた。ネットがあるのは便利。

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豪華な夜行バスでイスファハーンへ向かう。


【8/14】

早朝4時ごろにイスファハーンのバス乗り場に着く。

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始発の電車もまだないのでターミナルで軽く寝る。

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朝ご飯のパン。
8時ぐらいにあらかじめ調べていたホテルへ。

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1000円ほどでシングルルームが取れた。
ナゴルノ=カラバフ以来、腹痛が治らずずっと体調が悪いので、休憩しようと横になっていると昼になっていた。

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昼過ぎから観光。イスファハーンは16世紀サファヴィー朝の首都で、「イスファハーンは世界の半分」という言葉があるほど繁栄を極めた都市。

ジャーメモスクへ。モスクの色合いなどはサマルカンドのモスクと似ているが構造が少し違ったりして面白い(モスクの入り口の上の形など)。

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構造の違いはなんとなくわかるが、単に「見る」だけではなく、背景も含めて深く理解したい。

柱の荘厳な雰囲気に、モスクの天井に開けられた穴から差し込む日差しが入ってきてなんとも神聖な匂いを醸す。日差しが入る位置で、時間がわかるのも面白い。

そのあとイマーム広場近くの人気のチャイハネ(喫茶店)まで向かう。道中の通路は石造りで、周りの全てが商店になっていて面白かった。

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チャイハネは内部のスペースに小雑貨やランプや金属食器などが散りばめられていて異世界感が漂う。いわゆるインスタ映え。
隣でご飯を食べていた人がこちらを見てきたので軽く会釈すると話しかけてくれた。観光でイスファハーンにきてるイラン人で、食べてるものを少しだけ分けてくれた。イラン風の食べ方などをレクチャーしてもらう。
カレーっぽい食べ物とナンのセットを頼む。美味しいし量も多くて満足だったが、ついてきたヨーグルトがありえないほどまずい。ヨーグルトにハーブがかかってて、なんでこんなもん飲むねんという気持ち。
ケバブのような濃い味付けの食べ物と一緒に飲むのかなと思う。好みの味ではなかった。

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道中売ってる工芸品が綺麗で見とれてしまう。

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青で統一された店内はアートギャラリーの様。長期の旅でなければ買ってたと思う。
そしてイマーム広場へ。

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教科書で見た光景!でかい。日中の非常に暑い時間帯だったので人は全くいない。
歩いてると青年に話しかけられる。イランの大学を卒業してカナダの大学留学するために英語学校で準備中とのことで、英語使うためにも広場で観光客と話してるらしい。座って色々と話す。

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[話したこと]
・ヒジャブの黒いのはフォーマルなもの、家や家族の前では全然見せていいらしい。
・戒律が厳しいイメージあるかもしれないが、若い人の間ではアダルトビデオも普通に観るし、アングラな場所ではビールを飲んでパーティーする文化もある
・ヒジャブを着るのは10歳ごろからで、妊娠機能が発達する時期だかららしい。
・貧富の差がすごく拡大している
・おしん
・イラン政府とアメリカ政府は仲が悪いが、国民自体はアメリカ文化に慣れ親しんでいる。

父親がアンティーク品を売ってるとのことで観に行くことに。商品買ってもらうために話しかけてきたのかと、少し訝りつつも同行。
父親の店でも30分ほど、イランの骨董品などについて教えてもらう。

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別れ際、もし良かったら商品買わないかと言われる。特に高いわけでもなかったが、長い旅行で荷物も増やしたくないので断ると、特に押し付けてくることもなく、連絡先だけ交換していい感じにお別れ。

気づくと辺りが暗くなっていた。イマーム広場には大勢の人が。

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日中は閑散としていたが、皆涼しくなってくるタイミングで集まってくるらしい。
人々の憩いの場になっていて、アルメニアの噴水広場と同じような空間。

地下鉄に乗って有名な橋へ向かう。

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ライトアップがされており、すごく綺麗。
柱の中心にできる半円が並んでいてなんだか南禅寺の水道橋を思い出す。
少しゆったりしてから地下鉄に乗って帰ろうとしたが、終電をのがしてしまった。 そのまま30分ほど歩いて帰る。夜遅くでも皆出歩いており、治安も全く問題なさそうだった。


【8/15】

早朝に起き、バスターミナルへ。大学の友人の木下くんがイランに留学しているコムという街へ向かう。
寝てたら急に起こされ僕だけコムで降ろされる。どうやらみんなテヘランに向かっていて、その道中下車になったらしい。
友人が住んでるホテルまで向かいかったが、まさかの町の真反対で降ろされたよう。

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バスらしき車も何台か走っていたので、バス乗り場と思しき場所で待っていると、通りすがりのドライバーになぜここで待っているのかと尋ねられる。バスを待っていると話すと、ここにはバスが来ないとのことで、中心部まで車で送ってくれた。

コムはテヘランやイスファハーンと違い、いわゆるイスラムの清掃をしている人が多い。宗教上の聖地ということもあり、戒律をしっかり守るタイプの人が多いのかなと。

数ヶ月ぶりに友人の木下くんと再会。髪がバッサリ切られていて、髭も生やしており、見た目の変化に驚いたが、よく考えると自分も同じような状態だった。
ホテルのオーナーとペルシャ語で普通に話してたのでびっくりした。数ヶ月の留学でこんなにも上達するのかと。

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ホテルの屋上からの景色。

木下くんの部屋に入ると、大学の、同じ学科の木村くんが部屋に。
イラン留学をしている日本人数名が同じホテルで暮らしている。
共通の文脈があるので、学科の子が今何してるのかという話で盛り上がる。
80名ほどの学科、しかも特にイランと深い繋がりがない社会学部にもかかわらず、3人がイランの地方都市で合流しているという事実が面白い。

外が暑すぎるので、陽が落ちるタイミングで、木下くんとともに周辺をぶらぶら。

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どうやらタクシー配車アプリがあるらしくて、それを使うと正規料金になるらしい。Uberと同じシステムがイランで使われていて感動した。

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果物のシェイク。バナナとオレンジのミックスジュース。美味しいし何より健康的。

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モスクへ着いた時に、たまたま木下君の知り合いで5年間コムに留学されてる方と会う。その人も一緒についてきてくれることに。歩きながら、イスラム文化について教えてもらえた。

一度ホテルに戻る。日本人の女性陣がメロンを買ったとのことでご馳走になる。2時間ぐらいお話しさせてもらった。


話したこと
・コーランは音をつけて読む(仏教と似てる)
・ここで泣くっていうポイントがある。終わった後みんなそそくさと帰っていってシュールだった
・巡礼者がヒーローになる。
・集団で読むからこそ、一体感がマシやすい?? 仏教との違い

そのあと部屋でシャワーを借り、木下くんとともにヤズドへ向かう。
バスの中でひどい腹痛に苛まれ、4時ごろまで痛みで眠れなかった。

【8/16】

8時ごろにヤズド到着。朝明けの景色が綺麗だったのをなんとなく覚えている。
タクシーで沈黙の塔へ。

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ゾロアスター教の聖地で、鳥葬が数十年前まで行われていたらしい。
周辺に切り立った崖がそびえ立っており荒々しくてかっこいい。木の葉の里みたい(ナルト)。
二つ塔があったのでまずは低い方から登っていく。バックパックの重さと腹痛と暑さで体力がかなり削られる。なんとか頂上へ。

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鳥葬してたことを考えると身の毛がよだつ。

そのあともう一つの塔へ。2回ほど休憩して登頂。形は同じだがもう一方より高いので景色が綺麗。

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塔から社会主義国にありそうな建物が見える。のちにイラン人に聞いたところ政府が作った貧困層向けの賃貸住宅らしい。

塔を後にし、タクシーで市内中心部へ向かう。少し熱中症っぽい症状が出ていたので1時間ほど休憩を取る。下痢の疲労で体力を奪われている。

中心部の広場へ。

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草でできた黄土色の家々が並んでいる。

広場についてまた疲れて1時間ほど寝た。そもそも睡眠不足だったのもあり体力の限界が来ていた。

寝たあとモスクへ。

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モスクの中にいる本屋のおっちゃんにスイカいただいた。熱中症気味に食べるスイカは生き返る。

モスクの中に入ると地元の高校生に話しかけられた。お互いたどたどしい会話しつつもなんとか意思疎通。タバコ吸いに行きたいっていうので着いて行ったら買ってくれと言われた。自分で買ってくれ。

つぎに世界遺産になっている庭園へ。

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公共の冷水機。ストローをつけて飲むようになっているのが面白い。

歩きつつ頻繁にトイレへ。徐々に症状が落ち着いてきた。

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庭園にあるステンドグラスがとても綺麗。ゴシック建築と少し似ているような気がしたが、影響とか受けているのかと少し疑問に思う。

店でピザを食べてから、バス乗り場へ。コム行きのバスがちょうどすぐ出発だったのでバタバタしながら木下くんと別れる。海外で友人と会うのは新鮮だった。
次の目的地、シーラーズへ。

【8/17】

5時ごろにシーラーズ到着。早く着きすぎたので、ネットで甲子園の試合(智弁和歌山vs星稜高校)の速報をずっと見ていた。星稜の奥川君に押さえ込まれた。試合観戦後は、歩いてホテルまで向かう予定だったが、体調の心配もあったので、久しぶりにタクシーで移動。結局昨日以降、腹痛が起きることはなかった。この1ヶ月間で一番ハードだった。

ゲストハウスで昼まで寝る。昼から、評判の良さそうなチャイハネへ向かう。

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バザールの中にある隠れ家カフェみたいな雰囲気。
ライスとチキンを頼む。待ってたら向かいに座ってたおじいちゃんがこっち見てくるから会釈したら話しかけてけれた。娘が早稲田に留学しているらしくて、去年日本にも来たことがあるという。
おじいちゃんは元英語の教師で、英語に加えて簡単な日本語を話せた。
どうやろケーブルテレビでNHKの日本語講座を見ているらしい。

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食後は広場の日陰で座りながらゆったり。

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するとさっきのおじいちゃんにまたまた遭遇。いつもこの辺散歩してるらしい。笑
どうせなので一緒に散歩に付いていくことに。観光地の情報教えてもらったり、イランのことを色々と教えてもらう。
とシーラーズで流行ってるらしいソフランアイスを一緒に食べて、のんびり過ごす。

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帰り際に家泊まりにくる?と誘われ、行きたかったが荷物を一式ゲストハウスにおいてしまっているので断念。タイミング合えば泊まりたかった。

【8/18】

早朝に起きてピンクモスクというモスクを観に行く。
早朝に行けばステンドガラスから日が差し込んで当たりがカラフルになると言われているモスク。すごく綺麗だったが、人が大量にいて綺麗に写真撮れない。

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次にホーリーシュラインというシーラーズで一番大きな施設へ。

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入り口で外国人かどうかを聞かれ、外国人だと答えると別室に連れて行かれる。どうやらムスリム以外の人はガイドと一緒に回ることになってるらしい。おじいさんに英語で色々説明してもらいながら観光を楽しむ。ISISがテロを起こしてるけど、人を殺すのがムスリムの教えではないと熱く話していたことが印象的。無料でガイドしてもらえてありがたかった。

バスに乗ってイラン最大の詩人であるハーフェズの廟堂へ向かう。

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行ってみたものの、英語での説明が全くなく、詩を書いた石碑があるだけで全くわからず。

40分ほど歩いて地下鉄まで向かい、シーラーズ最大の庭園へ。
道中、民家の屋根にいる犬に吠えられて怖かった。

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庭園は広大で、じっくり回るとかなり時間潰せそう。一緒のゲストハウスに泊まっていた中国人にも遭遇した。

庭園は広くてのんびりできそうだが、すごく綺麗っていう感情があるわけでもなかった。ホース置きっ放しであまり整備されてない。
日本庭園もあり、懐かしいような気がして少し落ち着く。

1時間ぐらいのんびりしてからゲストハウスへ戻る。

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泊まったゲストハウスは内装が石造りでとても綺麗。ちょっとした高級ホテルっぽさまで感じる。ドミトリーに泊まったが誰もおらず、一人で独占していいのかと申し訳なさすら感じる。ハイシーズンはすぐに満室になるそう。暑くて観光はしづらかったが、広々使えて有り難い。


【8/19】

今日はアケメネス朝の遺跡があるペルセポリスへ。シーラーズで宿までタクシーで移動した際に、運転手がかなり安い値段で連れて行ってくれると提案を受けており、tripadvisorのレビューも高くて信頼できそうなので、お願いしていた。予定より少し早くにドライバーがホテルに到着。

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ドライバーの息子も一緒に車に乗り込み3人で出発。元々は教師をやっていたが、子供も大きくなってきて楽な生活もできないので、ドライバーに転向したらしい。学校の先生があまり待遇良くないことに少し驚く。

途中りんごや水を奢ってもらった。ペルセポリスのことなど色々教えてもらいながら40分ほどで到着。ドライバーには近くで待ってもらい、個人行動。

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着くとまず入り口の獅子像が目に入る。一部壊れているのが、かえって時代を感じてかっこいい。2500年ほど前の景色を想像すると胸が熱くなる。
日本は当時まだ縄文時代。その頃にこの規模の神殿があったのかと驚く。
近くで聞こえてくるガイドの説明を盗み聞きしつつ2時間ほどかけてじっくりと回る。

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ペルセポリスの後は、小さめの遺跡を二箇所回る。

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ホスロー1世がローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕獲する壁画。世界史の教科書で見たことあるが、壁画とは知らず、大きさに驚いた。

ペルセポリス周辺の観光を終了し、バスターミナルへ向かう。
帰り道、稲作地帯を眺めていると、案山子を見つけた。どこの国にも共通するものを見つけるのは面白い。

6時にテヘラン行きのバスが出発。半日ほどバスに揺られる。
夜行バスにはモニターやコンセントが付いており、過去1の快適さ。


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【8/20】

早朝にテヘラン着。バスターミナルの地べたで2時間ほど寝ていた。
だんだん恥じらいがなくなってきてしまっている適当になっている。
数日前クロアチア人女性が泊まっていたゲストハウスへ向かう。前に仲良くなったスタッフが出迎えてくれ、朝食をサービスしてくれた。
少し休憩してから、バスターミナルへ明後日発のイスタンブール行きのチケットを買って戻ってくる。
昼過ぎまでゆっくりしてから観光開始。フードストリート的な場所でハンバーガーを食べる。

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鉄板でしっかり肉や野菜を焼いてくれていて、見てるだけでも楽しい。

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イラン考古学博物館へ。先史時代からイスラム教化する前(ササン朝)までの展示物を取りあつかっている。

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歴史順に回れるので、時代ごとに受けた文化の影響を感じながら鑑賞できるのが面白かった。特にヘレニズムに入ると作品の雰囲気がすごく変わる。

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アケメネス朝時代の石碑。王と王に従う属国がヒエログリフで書かれている。数十の属国が掘られており、アケメネス朝の大きさを感じる。

夕方に帰宅。イラン通過がほとんど残っていないが、ドルをこれ以上使いたくないので節約のためインスタントラーメンを買って自炊。

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麺の質がよくなくてまずい。 嫌々空腹を凌ぐためにご飯を食べていると、日本人の方に話しかけられる。イランを1ヶ月回っており、明日出国してしまうらしい。食材が余ったとのことで、インスタントの味噌汁を頂けることに。嬉しくて叫びそうになった。

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夜は大学の後輩とライン通話。将来のキャリアについて話していたが、せっかく今時間あるのだから、学びを言語化する時間や、将来を見つめ直す時間を作ってもいいかもなと。

【8/21】

手持ちのイラン通貨が残り100円ほどで、どこも行けなくなってしまったので、インスタント麺を買いに外出したことを除けば、部屋でずっとゴロゴロしていた。
一日中ネットサーフィン。元々トルコからイスラエルに向かおうとしていたが、ネットで色々調べているとアテネからイスラエルへの航空券が安く、船でギリシャに行ってみてもいいかなという気持ちに。ギリシャ渡航を検討した流れで、数時間ギリシャ神話についての書籍を読んでいた。

【8/22】

宿を出発。特になんのトラブルもなく予定通り開催バスに乗り込む。

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バス乗り場で、イラン人にアフガニスタンと間違えられた。
髭が生えてきて、日本人っぽさは確かに少なくなってきたが、アフガニスタン人と間違えられるほどなのかと。

バスに座って動き出すの待ってると、バスに人が入ってきて、全員にジュースとお菓子を渡される。配布してくれるサービスなのかと思い、受け取ルト「マネー」と伝えられる。なんでチケット代以外に請求されんねんと思い、抗議したが、「マネー」と一辺倒に言い続けるだけで埒があかない。後払いは流石にないだろうと、周りの人に確認しようとすると商品を持って出て行った。バス会社の人ではなく、売り子だったよう。買うかどうかも確認せずに商品を渡してきてから、お金くれっていうのはどうなんのかなと。少し不快に思う。

朝の9時30分ごろバスは出発。おそらく着くのは明日の夜。
Wi-fiも使えず、暇すぎることが予想されたので、Kindleでギリシャ神話の本読んだり、溜まってた日記書いたりとして時間を潰す。
サービスエリアのような施設で休憩。皆レストランに行ってるが、イラン通過がないので残りの全財産で腹持ちが良さそうなウェハースを買って空腹を凌ぐ。

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椅子に座ってダラダラしていると、ふらっと現れたおじいちゃんがファンタを買ってくれた。
日本人は友達だみたいなことを言ってくれて嬉しい。おじいちゃんとの会話を聞いていたらしい女性が英語で話しかけてくれる。
イランでは皆に親切にしてもらい、とても印象の良い国だった。腹痛以外はいい思い出ばかりで、イランを出るのに少し寂しさを感じる。

バスに戻ると、バスの後ろの座席にいた家族に話しかけられる。18歳の男の子(アルシア)と9歳の女の子(ベニータ)。学校で習った英語や、翻訳機などを駆使して積極的に話してくれる。「expensive」という単語を使用すると、伝わってなかったようだったが、その数分後にexpensiveを自然に使用していて、若い子の吸収力はすごいなと思う。彼女たちのお母さんからパンとお菓子をいただく。

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腹が減って死にそうだったのでありがたい。
そのあともベニータがずっと話しかけてくれて楽しかった。日本語の名前教えて欲しいと言われたので筆で書いてあげると、ペルシャ語で僕の名前を書いてくれました。たまに家族と会話して、それ以外の時間はずっとスペイン語の勉強。やることがなさすぎてとても捗った。
22時過ぎに国境へ到着。イラン出国ではパスポートの中身を確認されず、荷物の中すら確認されなかった。他の人はしっかり確認させられていたが。こういう時に日本のパスポートの便利さを感じる。
イラン出国はスムーズだったが、トルコ入国は地獄のような長蛇の列。

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入国審査までたどり着くのに2時間かかった。審査をする人がワンマンで回しており、しかも審査員が入念にパスポートをチェックするので中々進まない。
パスポートの審査を終えて、荷物検査。荷物の中は一切見られず、延々と長友についての質問責め。ガラタサライの熱狂的なサポーターだったよう。
入国を済ませると次はバス待ち。

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すぐくると思っていたが、数時間経ってもこない。外が寒くて中々ハードで、寝袋にくるまりながらバスを待っていた。結局国境で6時間ぐらい待たされる羽目に。

【8/23】

9時ごろに起床。

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起きるとバスは停止しており、皆朝飯へ向かおうとしていた。国境の疲れで降りる気力もなく、自分だけバスで寝ていたが、バスの洗車を行うとのことで外へ出される。国境でイラン通過と交換したなけなしの50円ほどしかトルコ通貨を持ち合わせておらず、全財産を使いお菓子と水とアイスを購入。両替所もないし詰んでしまった。
昼休憩中に、流石に空腹に耐えきれずに、ドルと交換できる場所がないかバスドライバーに聞くと、そばにいた一般の人が交換してくれた。(後で調べるとまずまずのレートで交換してくれていた)。レストランへ向かったが、飯の値段がかなり高く、結局売店のお菓子でやり過ごす。
トルコに入って物価がかなり上がった可能性がある。。

後ろの座席のイラン人家族の子どもと遊び、本を読み、疲れたら睡眠をとりと、数十時間過ごし続け、夜中の2時半ごろにようやくイスタンブールへ到着。イラン人家族と写真撮って別れを告げてから、寝場所を確保しに公園へ向かう。楽しい家族ですごくいい時間を過ごさせてもらった。

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夜中に到着してしまい、宿も予約していない。また喉が渇いているが、飲み物を買う場所もないので、どうしたものかと地図を見ながら治安が良さそうなエリアを彷徨う。公園近くの自転車売り場におっちゃんに水売ってる場所ないか尋ねると、水をいただけた。なぜこの時間帯に営業してるのか。。
公園のベンチを確保して寝袋にくるまり睡眠。

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同じように公園で野宿している人も数人いたので治安面も安心だった。ただベンチが硬くてなかなか眠れなかった。

1章⑤アルメニア・ナゴルノ=カラバフ編へ       1章⑦トルコ編へ

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