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現代音楽とメシアン

先日、友人に「メシアン」が好きだと話したところ
「あぁ、クラシックの作曲家やんね」と言われ
衝撃を受けた

メシアンを知っていることと、それをクラシックだと思っていること
僕の中で確実に何かの変化が起きた

20世紀以降のクラシック音楽は「現代音楽」というジャンルになる
メシアンは、その代表的な作曲家の1人

高校二年生の夏、音大の夏期講習があり受講した
その際、同じ専攻を受験するという人に出会い「現代音楽」なるものを教えてもらった
それまで、そんなジャンルが存在することも知らなかった

彼曰く
「現代音楽は無調と言って調性を感じさせてはいけない音楽で、一聴すると猫がピアノの上を歩いたようなむちゃくちゃな音楽なのだが、仮に猫がピアノを踏んでも偶然に綺麗な三和音がなってしまうことがあるので、それすら許さず徹底的に不協和音を鳴らす音楽」
という説明であった

今思うと遠からず近からずのような気もするが、当時の僕は
「なんだそれ!そんな音楽があるのか?それは本当に音楽なのか?」
と疑問しかなかった

当時受験のためにレッスンを受けていた先生に
「現代音楽というものを聴いてみたいのですが」
と言ったところ
ストラヴィンスキーの「春の祭典」と武満徹「ノヴェンバーステップス」のCDを貸して下さった

意気揚々と帰って聴いた僕は愕然とした
どう聴いても僕の耳には普通のクラシック音楽にしか聞こえなかったのである

「うーん、なんか思ってたのと違うぞ。これだと普通じゃないか」

困惑してしまった、まさかこれが現代音楽なのだろうか?
どこがむちゃくちゃくな音楽なのだ?

先生にCDを返す時、どうだったかと尋ねられたが
「普通でした」としか答えられなかった
そして、僕の現代音楽への興味は晴れることがないまま高校生活を終えた

その後、音楽大学に入学し資料室にある音源を色々と聴いていた時
あるカセットテープを見つけ聴いてみた

メシアン「アーメンの幻影」
何とも思わず何気に聴いてみた

青天の霹靂だった
むちゃくちゃでわけがわからなかったのだ
「これだ!!」
ついに僕は現代音楽に出会えたのだ

そのテープをダビングし、家に帰って幾度となく聴いた
「これのどこが音楽なのだ?」
何回聞いてもわけがわからない

わけがわからなさすぎて
「なぜこれを音楽と呼ぶのか?』
という自分の中の疑問を解明すべく
現代音楽に傾倒していく

人間とは不思議なもので、わけがわからなくても何度も繰り返していくうちに好きになるものである
刺激が強いほど癖になるとはまさにこのこと
いつの間にかメシアンの曲が好きになり、メシアンにも興味が沸いていた

この思い出は、今の僕につながる音楽体験なわけだけれど
あれだけ現代音楽にこだわり、わけがわからなかった音楽を
友人は「クラシックの人やんね」で片付けてしまった

前振りが長すぎたが、時を戻そう
要するにもはや彼にはメシアンがクラシックに聞こえているということだ
確かに今聞くと普通に聞こえるし、ストラヴィンスキーや武満を聴いた時の僕はまさにそんな状態だった

音楽が溢れる現代において、もはやメシアン程度ではクラシックにしか聞こえないというところまで聴衆の耳は慣れているということの一つの例だと思う

音楽の未来は明るい(誰やねん、、)

僕の思い出の曲を貼っとこ


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