音楽においてもダイバーシティは受容されない
だいたい人間というのは自分本位で人のことをみるわけで
音楽においても例外ではない
例えば、
・ギターは何を使っているのか
・パソコンはどんなので、DTMのソフトは何か?
こういったことを良く聞かれるわけだけれど
正直、興味がない
僕は与えられた環境でどれだけ自分の音楽を作ることができるのかということを試すのが好きなので、ギターもパソコンもなければ口笛や手を叩いてでも作ろうと思う
なので、ギターも同じものをずっと使っているし、パソコンやソフトもよほどでない限りバージョンアップすらしない
先日も友達に、「え?まだそれ使ってんの!?」と驚かれたところだ
「音楽とはなんぞや?」という問いかけをギリシャあたりから遡って調べたりしているのはこういうところに影響しているかもしれない
逆に他人のそういうところにも興味はないわけだけど
何事もある程度のクオリティというものは必要だと思う
音楽で言えば、いい音を聴くと「お、いい音してる」とか思うわけだけれど、僕の中でさほど重要ではない
僕にとって重要なのは作品そのものなので、いい音でなくても良いものは良いと思う
それなりに良いソフトを使えば、それなりのに良く聞こえるだろう
ただ、それが作品の価値を決定しているわけではないということだ
違和感は、何かにつけて「みんながそうしていること」にみんなが流されていないか?
誰がどうしてようと、何を使ってようと気にしなくていいのではないか?
これが自分の音なんだ!と自信を持っていいのではないか?
見た目ばかりでペラッペラのファッションだけのものなんかいらねーよ
というのも僕の個人的意見に過ぎない
僕が聴かなければいいのだから別にそれはそれで問題ないが
「じゃあ、お前はMacとかソフトとかも使うなよ」
とか、そういうのもいらない
使いたいものは使うんだよ!
一つ言いたいのは、
頼むからそれをこちらに押し付けないでほしいということ
社会はダイバーシティ、多様性とかいう割に世間は多様性を受容していない
そもそも僕らははみ出しものなわけで、はみ出しものという括りに入れられて「はみ出しものはこういうものだ」とされても困るのだ
ん?なんの話だ?
相も変わらず話がそれる
まぁ、いいか
要はどんなジャンルも同じってことね
いつ変わるかもわからん社会常識を僕のところに持ち込まれてもこまるのだよ
最低限のマナーと常識は人として守として
人に迷惑かけないことまで気にしてやってらんねーよ
僕は僕のやりたいようにやるんだぞ
という意気込みみたいなもの
なんだそりゃ
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