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戦争とじいちゃんと僕

終戦77年。

この写真は5年くらい前にメキシコで制作した未来のテレビシリーズ第一弾『アベマリオとトランプワリオ』
別にアベガーではないが、未来に残る私的公文書的な感じで陶板にしてつぶやいてみた作品だ。仲良しな二人が屍の上でトモダチンコしている。

1984年生まれなので僕は戦争を体験していない。

日記を書けよーって言っていたタゾウじいちゃんは戦争体験世代。
タゾウじいちゃんは九州小倉の生まれで戦争のときは空軍で見張り搭みたいなとこで敵軍の飛行機を見張っていたらしい。
そんときに戦後の水戸黄門やっていた俳優の人やお茶人の千さんと一緒だったようだ。なのでタゾウじいちゃんは水戸黄門は大好きでよく再放送を一緒に見ていたし、千さんの本名政興(まさおき)を息子(僕の父)の名前にした。
戦争のどさくさで生き別れになった家族を探しているときに同じ苗字のばあちゃんと出会ったらしい。

もう一人のじいちゃんタケじいちゃんは岐阜の寺の息子。
戦争中は物理の先生で広島で働いていたようだ。
原爆が落とされたときタケじいちゃんはちょうど岐阜に里帰りしていたらしい。でも物理の先生だけあって新型爆弾ってのはどんなもんやと興味津々でしばらくして広島に戻ったらしい。少し被曝してたかも。僕も17歳の時に膀胱に腫瘍が出来摘出手術をした。他にも原因はあるやろうがなんとなくそうかもと思ってしまう部分もある。

放射能、農薬、除草剤やら土とかまわりまわって世代を超えて影響するかもってもんは完全に安全と言えないから未来の子供を考えていろいろせんとなーって感じですね。

戦争が無かったらタゾウじいちゃんキヨミばあちゃんは出会っていなかったし、紙一重でタケじいちゃんも原爆を食らっていたかもしれない。

もう少しばあちゃんたちにも話聞いとけばよかったな。

おとうとおかあにも聞いてみよう。


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