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大学のウインドサーフィン部の後輩たちが出場したインカレ団体戦を見に行きました。

ボクは大学の4年間、同志社大学・立命館大学のウインドサーフィン部に所属していた。選手として2年半、怪我した後はマネージャーとして1年半。本当に濃い日々だったと今も時折思い出す。

(↑怪我で競技を引退した際のFacebook投稿。)

(↑大学を卒業した際のFacebook投稿。)

ウインドサーフィン(正式にはボードセイリング)は、五輪競技にもなっているスポーツ。海上に浮かぶブイのようなものを目印に、指定されたコースを回っていき、順位を競う。1つの大会で4~9レース程が2~3日に渡って行われる。最も悪かった順位ひとつを除く全レースの順位を足していき、最も合計点が少なかった人から1・2・3…と順位がついていく、というルール。風は、場所によって風速も風向も異なる。勝利のためには、どんなコース取りをすれば最速でゴールできるかを考える知力全身を使って1本約30分のレースを走りぬく体力道具を上手く使う技術が必要と言われる。まさに心技体がすべて整わないと前に出ることはできない。

大学のウインドサーフィン部の活動は、3月まで続く。1年間の最後の大会が3月初旬に開催されるからだ。4年生は部活を引退したら大急ぎで引っ越し準備をして、すぐに就職を迎える。この1ヶ月で選手たちの人生は大きく動くことになる。

1年間で最後の大会は「団体戦」と呼ばれるもの。ウインドサーフィンは個人競技だが、この大会は1年間で唯一の「団体戦」。一年間で最もアツい大会は間違いなく団体戦。

ルールはこう。

3日間で最大9レースを行う。各大学5名まで選手登録するが、各レースに出場できるのは各大学3名までで、レースごとに出場選手入れ替え可能。各レースに出場した3人の順位の合計を得点とし、9レースのうち最も悪かった1レースの得点を除いたすべてのレースの得点の合計値で争う。同時に「個人戦」としての順位も算出する。つまり「年に一度の団体戦でありながら年間最後の試合であり、同時に個人成績も出す、チームにとっても個人にとっても集大成的な大会」と言える。

大事なのは「今どの3人が出場すれば最もいい順位にまとめれるかを見極めること」だ。各選手の調子を把握し、最善の采配を都度行わないといけない。時にはチームのエース格だったとしても「次のレースは自信が無いから出ない」と自ら宣言することも時には大事だが、個人戦も絡んでいる以上、その決断には強い覚悟が必要になる。

誰が出るか、どんな結果が出るか。毎回チーム全体が緊張する瞬間だ。5人の選手登録枠に入っていながらも3人の出場枠に入れない選手の思いもある。3人がずっと好調であれば、残りの2人は出場機会を得ることなく大会を終えることだって有り得る。

応援組の雰囲気もとても大事。選手たちの調子が良いときにその調子を後押しし、調子が悪いときに如何に盛り上げ次に繋げさせるかは応援組の大きな役目。出場しない人たちを含めてどんな雰囲気を作るのか。ここにも各大学の色が出て面白い。

3日間の中で様々な人間ドラマが生まれるのが団体戦の醍醐味。

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3月1日、今年度の団体戦を見に行きました

3月1日、今年度の団体戦を見に行った。大会2日目、中盤に差し掛かった場面だった。

(大会前日、4年に1度の2月29日には、羽田から南紀白浜空港に飛び、熟女がママをしている白浜のスナックをハシゴしてました。公には言えない楽しいことが沢山あったwww)

3月1日は千畳敷で日の出を拝み、その足で大会会場へ。道中、ボクの胸の鼓動が少しずつ高まっていったのには訳がある。

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今年の同志社・立命館の選手の中でボクが注目していたのは

同志社大学の選手登録5人は、4年生2人・3年生2人・2年生1人。全員男子。数十人の中から予選を勝ち抜いた猛者。

立命館大学の選手登録5人は、4年生2人・2年生2人・1年生1人。4年生の1人は女子。立命館はまだ総部10年程度で、部員の拡張がまださほど進んでいないので、下級生のメンバー入りも結構多い。

ボクにとっての最注目は、4年生の4人だった。この学年の部員には特別な思いがある。

彼らはボクが3年生で主将をやっていた時の1年生だった。今も忘れない。2016年4月に出会った彼らの純粋でまだ幼い姿を。

正直、彼らの学年は少し運が悪かったと思う。当時は上級生が少なくて、指導が十分に行きわたらない環境。ボクのマネジメントの失敗で沢山の退部者を出してしまった(最後残ったのは半分くらいだったかな)し、部活全体の雰囲気もあまり良くなかった。1年生にとって、当時の自分たちは憧れられるような存在じゃなかったと思う。右も左も分からない後輩に夢を見せるのは上級生の仕事。1年生の目が輝かなかったということは、つまりはそういうこと。

彼らの1つ上の学年は各大学とも人数が多くて粒揃いの「黄金世代」と呼ばれていて、頑張っても押し潰されて結果が出づらかった。

1年生の時に輝いていた彼らの目が徐々に暗くなっていくのをボクは見ていた。でも、ハッキリ言ってどうしようもなかった。自分のことに必死で、どうしても十分面倒を見る時間を取れなかった。

楽しく練習できていなかったからか、なかなかレースの結果も伸びなかった。強豪校と言われる同志社・立命館の中で、優勝・入賞が殆どないという学年はあまりなかったはず。結果が出ないことに対して、上級生やOBからの風あたりも強かった。主将の横田一心は、持病の肺気胸で大事な大会に出場することすらできないこともあった。何でこの代だけこんなにも運が巡ってこないの??と神様を恨んだりもした。

彼らが全員部活をやめてしまっていても不思議ではなかったと思う。でもやめなかった。諦めずに頑張った。

ボクは3年生の秋に怪我で早々に引退し、そこからずっと後輩指導ばかりしていたので、彼らの不遇さをずっと見て歯がゆい思いをしていた。

そして、同志社の4年生は、これまでに1人も団体戦を経験したことが無かった。だから今回の団体戦は、最後の最後にぶっつけ本番、4年間の膿を全部吐き出せる大チャンス。もうここまで来たら今までのことは関係ない。ここで勝てば4年分の借りを全部返せる。

彼らが団体戦に出るというだけでも歓喜というか、もうめちゃくちゃ嬉しかったんだが、どんな活躍が見れるんだろう、本当にチームを引っ張っていけてるのかな?と、和歌山に向かうボクはドキドキが止まらなかった。

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順風満帆にはいかない

会場に到着。やはり毎年のごとく、独特な雰囲気が漂う会場。同志社・立命館の4年生たちを見つけたが、表情がやや硬いな、と思った。ボクもなんだか緊張してしまって、すぐには話しかけられず。

話しかけると、やっぱり緊張してるっぽい。やっぱり初の団体戦のプレッシャーは相当なものなんだろう。

同志社は初日の3レースを終えて4位の滑り出しで、残り6レースあることを考えれば、優勝がありえなくもないポジション。立命館は入賞圏外で、巻き返したい立場。

今日の1本目、つまり本大会の4レース目。同志社は4年生の横田・3年生で主将の中村・2年生の期待の新生かつジャニーズ並みのイケメンを誇る新矢が出場したが、思うように順位をまとめられず。後退はしていないが上位を追えてもいないという感じ。横田はトップ10以内で堂々のフィニッシュ。彼がトップ集団に混じって走る姿を生で見たのは実は初めてだったので嬉しかった。

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今日の2本目、本大会の5レース目。同志社は横田・中村の固定メンバーに加え、3人目は4年生の森田。森田はチームのムードメーカーとしてチームに尽くしてきた。森田はこれまで大きな結果を残せたことが無かったが、執念で団体戦メンバーに食い込んでいた。彼が海上に消えていく姿を見ただけでウルっと来た。ただし、このレースも思うように順位がまとまらない。

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さあ、6レース目はどんな采配に出るのか。すれ違った横田がボクに一言。

ここで自分が次は出ないって言ったらみんなどう思いますかね。

すごいミーティング

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僭越ながら、6レース目の出場選手を決めるミーティングを聞かせてもらった。開口一番、横田が切り出した。

正直に言って、今のこの海面で次のレース走れるイメージが湧かない。だから次は俺は出ない。本当に感覚的なんだけど、走れる気がしない。辻上(まだ今大会未出場の3年生)に出てほしい。

横田はここまで個人でも上位10人の入賞が手に届きそうなところ。個人入賞を目指すことを考えれば、どう考えても出たほうがいいが、彼は覚悟を決めた顔で確かにそう言ったのだ。

同じく4年生の森田も続いた。

思い切って2・3年生だけで出てもらうのもいいと思う。辻上の得意そうな海面だし、絶対いける。ここでニュージェネレーションズがポイントまとめたら勢いもつくし、その方がいいと思う。

横田と森田にとって、この大会は最初で最後の団体戦。自分が1レースでも多くのレースに出たい気持ちが多少なりともあるはずだ。でも、後輩に次のレースを託すという英断に出た。しかも気丈に、私的感情を一切出さずに。

4年生が2人いるチームで、4年生2人とも出ないレース、というのはほぼ見ることが出来ないレアケースだ。やはりエース格の選手はずっと出続けるのが一般的だし、後輩にとっても4年生がいる方がレースしやすいようにも思う。

だからこそ、横田・森田が下したこの決断に、ボクは深く感動した。


いくら不調だったとしても、自分のラストレースで後輩に出番を快く託せる人は、100人に1人もいないんじゃないか。


それだけ後輩のことを心から信じているということ。小さなプライドを持たずに、チームの勝利と未来に懸けているということだ。

出番を託された辻上の表情はどこか明るかった。

俺絶対走れますよ!とか言っている。普通、先輩に出番を譲ってもらったら緊張でガチガチになってしかるべきだろう。でもそうならないのは、辻上の精神的な強さもあるが、4年生の醸し出す安心感、そして、互いに培ってきた信頼があるからだろう。3年生に出番を任せて、しかもその3年生の実力を最大限に引き出す4年生。これはいくら練習しても身につくとは限らない力だろう。

辻上は更に、

このチームなら、もし失敗しても誰も責めない!くらいの気持ちで思いっきりいける!

と言っていた。これは間違いなくチーム全員の、特に4年生の包容力があるからだろう。

すんごいものを見た!!!選手たちマジでかっこよすぎる!!!

ボクはそう思った。

辻上はそのレースで上位と互角に戦い20位でフィニッシュ!途中出場としては上出来すぎる結果だった。

4年生がチームに遺したもの

3年生主将の中村は、後でこう呟いていた。

4年生が本当にみんながやりやすい環境を作ってくれるからボクは思いっきりやれるんです。来年は自分がそうなりたいです。

惜しくもメンバーから外れてしまった3年生の立木もこう言っていた。ちなみに立木は高校時代に通った塾がボクと同じという共通点もある。増田魂!

裕弥さん(森田)と団体戦メンバー争いをしてたんですけど、裕弥さんはメンバー入りギリギリの場面でも最後まで絶対に皆に対して気丈に振舞っていて、みんながやりやすい環境を作ってくれました。本当にすごかったです。だからボクも正々堂々闘えました。

4年生がこの部活で作り上げてきたものは偉大だな、と実感した。

じゃあ何で横田・森田はこんな風にチームのことを考え抜いた思考と行動を実現できるのかというと、ボクが思うに、それは

様々な不条理や逆境に直面し続けた4年間を通じて、チームのために動くことの大切さを身を持って学んだこと。そしてそこに真剣に向き合い、後輩にはそんな思いをさせまいと考えて行動し続けてきたこと

なんじゃないかと。これはそう簡単なことじゃないはずだけど、これまでもずっとそう振舞ってきたから、この重要な場面でも冷静にそういう判断ができるんだろう。

とにかくすげー!!!とボクの感動ボルテージは一気に高まり、また少し涙が出た。

ボクが1年半マネージャーをやってみて気づいたことなんだが、レースで速く走れること以上に、チームへGIVEすることの価値は高い。レースの速さはその場限りだけど、チームにGIVEしたことはその後もチームに残る。GIVEすることが当たり前という空気を作ることで、みんなのGIVEをもっと引き出せるようにもなる。

最上級生のGIVEを受けた後輩はそれに応えようともっと頑張れる。心から先輩と一緒に勝ちたいと思うようになる。後輩は、自分が最上級生になったときに、更に下の後輩にもっともっとGIVEできる。これは人間としてチームメイトが成長できる正のサイクルだ。

ミーティングでの横田・森田の発言は、そんなことを象徴しているだろうと思う。いい場面に立ち会えたな、ほんと。

ありがとう

かつてヘッポコだった彼らが団体戦の中心メンバーになって頑張っているというだけでアツくなるのに、彼らから予想以上の感動を貰った。

レースの成績に直接は関係ないのかもしれないけど、彼らが真摯に取り組んできたことが目に見えて心から感動した。

後輩がみんな口を揃えて『4年生のお陰で、、、』とか『4年生がいてくれるから、、、』などと興奮気味でその凄さを語るんだからきっとボクの直観は間違いないだろう。

苦しいときがあった。腐ってしまったこともあっただろう。部活が楽しいと思えなくて悩んだ日々もきっとあったと思う。

でも「未来をよくしたい」という思いを強く持ち続けたことに、確かに周囲が共感し、普通ではありえないほどの信頼関係を後輩と築いた。

感動させてくれてありがとう。こんなにも凄まじい人間的成長を目の当たりにさせてくれてありがとう。

さあ、ラスト1日だ。泣いても笑っても最後の1日。君たちのやってきたことは間違ってない。皆がついてる。だから残り3レース、とにかく前だけを見て突っ走れ。チームのために尽くした頑張りが、チームの声援となって背中を押してくれるはずだ。

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深夜だからってめちゃくちゃ臭い文章書いちまった。。。5,500字も。。。

ああ、良い日だったなあ。おやすみなさい。

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奥村昭仁┃アセンド株式会社
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