神武天皇に迫る命の危機

神武天皇は熊野三山の祭神ではありません。神武は天照大神の直系の子孫ですが、天照大神から神武の父のウガヤフキアエズまでの5柱は神として、熊野では五所王子と呼ばれて祀られています。つまり神武は「神」ではなく「人間」ということになります。実際に『古事記』では中巻のトップに、『日本書紀』では神武天皇紀としてその事績が書かれています。これは『記紀』の編纂者の意図でもあります。したがって神武天皇の記録は人間界での出来事ということになります。
神武天皇は長兄のイツセと相談して国を治めるのにふさわしい場所を探すことにします。九州に住んでいたから、熊野の神と同じように東に向かいます。現在の東大阪市の石切神社のある付近日下(くさか)で敵と戦って敗れます。そしてイツセが矢傷を負います。これは太陽の神の子孫であるのに、太陽に向かって戦ったから失敗したので、太陽を背にして背後から戦うことにします。その結果熊野に来るわけですが、大和に行くのなら紀ノ川を遡ったほうがよほど楽です。何故わざわざ遠回りしたのでしょうか。神武天皇に聞いてみたいところです。そして熊野にやって来ます。おそらくは船で来たのでしょう。
熊野での出来事は、『古事記』『日本書紀』の文章を引用しています。それを参考にしてください。
『記紀』に共通したストーリーは、熊野に来てから、神武をはじめ兵士が気を失ってしまい、それをタカクラジがタケミカヅチに託された剣を持ってくることで危機を脱し、八咫烏の先導で大和に入ったということになります。この基本のストーリーに『古事記』、『日本書紀』はいろんな話を挿入しています。特に『日本書紀』にはそれが多くて話が長くなっています。
『記』ではタケミカヅチが託した剣の名前が3つあります。『紀』では1つ。共通して名前に「フツ」がついています。「フツ」は息を「フッ」と吹くことを意味します。人工呼吸のように息を吹きかえして蘇生させる。そういう力がある刀、仮死状態の人を蘇らせるということです。「熊野が蘇りの地」といわれる由縁です。『記』にはこの剣は石上神宮にあると書いています。石上神宮は、物部氏が管理していた大和朝廷の武器庫です。さて神武軍が気を失った理由です。『記』では熊が出没したため、『紀』では、丹敷戸畔の毒気にあたったからと違いがあります。これは毒気にあたったというほうが説得力があります。それは丹敷戸畔の「丹」にあります。熊野と同じ世界遺産に登録されている「丹生都比売(にゅうつひめ)神社」の祭神の丹生都比売も「丹」が神名についています。「丹(に)」とは一般には「辰砂(しんしゃ)」と呼ばれ、別名丹砂とか朱砂と言い、古くは「丹」と呼ばれたそうです。水銀は辰砂を空気中で400~600℃で加熱すると水銀蒸気と亜硫酸ガス(二酸化硫黄)が生じ、この水銀蒸気を冷却凝縮させることで水銀を精製します。「丹」の名前を持つ丹敷戸畔の集団は水銀を精製していた集団で、その過程で発生する有毒ガスを神武軍に対して使用したのでしょう。辰砂は漢方薬として催眠薬に今でも使われているそうです。神武軍は眠る前に丹敷戸畔を滅ぼしたので、眠ったところを襲撃されずにすみましが、それでもタカクラジが来なければ命の危険が迫っていたと言えます。『紀』のほうが真実味を感じます。
『記』では、刀の霊力で悪神たちが切り倒されたとありますが、剣の霊力を強調するための表現です。『記』では、石上神宮にある剣の霊力を強調する意図を感じます。

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