熊野垂迹神曼陀羅

「くまのすいじゃくしんまんだら」。本地垂迹説に基づいて熊野の神とその本地仏のマッチングが確立されましたが、三所権現、五所王子、四所明神、それを合わせた十二所権現。言葉で説明してもなかなか理解がしにくいです。そういうときには図示するのが一番。それで描かれたのがこの垂迹神曼陀羅です。曼陀羅は密教で使われた仏のカタログです。たくさんの仏が整然と描かれています。それに倣って熊野の神が垂迹神として描かれています。鎌倉時代に作られたものが現存しています。平成26年(2014)に世界遺産登録10年を記念して和歌山県立博物館で開催された展覧会の図録には本地仏曼陀羅や垂迹神曼陀羅が収録されています。その中の熊野垂迹神曼陀羅は本地仏ではなく俗体の神の姿で描かれています。「本宮大社の祭神と本地仏(1)(2)」で書いていますが、神の姿が僧侶や、女性の姿で表現されています。この曼陀羅は縦約105cm幅約40cmのサイズで、画面の上部には大峰山系、蔵王権現や役行者、神倉祭神、阿須賀祭神、那智の滝などを描き、その下に三段に並んで神が描かれています。上段には向かって左から那智(夫須美大神)が女性、新宮(速玉大神)が男性貴族の姿、本宮(家津御子大神)が僧侶の姿(法体、ほったい)で描かれ、そして那智滝を神格化した飛瀧(ひろう)権現が女性の姿で描かれています。飛瀧権現を除くと、西御前、中御前、証誠殿という配列になります。新宮の神が中央に位置しています。熊野の神はまず新宮からということではないかと思います。中段には若宮、禅師宮、聖宮、児宮、子守宮の五所王子と、下段には十万宮•一万宮、勧請十五所、飛行夜叉、米持金剛の四所明神と満山護法(まんざんごほう)が描かれます。下方の階段の前には礼殿執金剛(らいでんしゅうこんごう)、近露•発心門•稲葉根•湯河•滝尻•切目•藤白•湯峯•石上の各王子を配置。この曼陀羅の制作時期は14世紀前半頃とされ、熊野詣が武士や庶民の間に広まっていた時期で、熊野に参詣した信者に複雑な熊野の神の世界を目で見て分かるように制作され、この絵を見ながら解説がなされたものと思います。仏の姿だけを描いた本地仏曼陀羅もあります。ネットで「熊野垂迹神曼陀羅」を検索しますと画像が見られますが、画面が暗いので分かりにくいかもしれません。この曼陀羅では、熊野だけでなく、大峰山や修験道の守護神の蔵王権現も描かれ、熊野を含む修験道の世界が画面上に展開されています。修験道についてはあらためて書きます。満山護法と礼殿執金剛は「禅児か禅師か?(2)」で触れることにしています。熊野九十九王子と言われる王子のうちで九ヶ所の王子が描かれています。このうち藤白(藤代)、切目、稲葉根、滝尻、発心門は五体王子てす。残りの四王子は中辺路にあり、それぞれ主要な王子であったと思われます。湯河は湯川、石上(いわがみ)は岩神とも書きます。





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