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九重、阿蘇、高千穂、別府紀行

 最近この経験はこれが生涯で最後だと思うことが多くなった。遠くへ行ったり、困難な計画を実行したりしたときはなおさらである。同じことを再びするよりも、したいことがほかにあるときもその経験は二度と繰り返すことはない。最後の経験をじっくりと味わいながら楽しみたい。今回の九州旅行はそんな旅だった。

 九州に行ってきた。どうやって行こうかと考えたとき、費用と能力と体力とを検討し、行きは車で1日走って行き、帰りはフェリーに車を乗せて一晩寝ながら帰って来ることにした。

 朝6時過ぎに鈴鹿の家を出発し、新名神、名神を通って、中国自動車道を西に走った。山陽自動車道の方が距離がやや短かったのだが、交通量が多いことを予測して、交通量が少なくて心的疲労感が軽減されるであろうことを期待して、中国自動車道を選んだ。予測はほぼ的中し、交通量の少ない快適な高速走行で山口に着いた。関門海峡大橋を通り、壇ノ浦か、という感慨にひたりながら九州に渡った。
 東九州自動車道を南下して、雹に降られるというアクシデントに合いながらも無事に湯布院インターチェンジを降りたのは午後5時過ぎだった。夕食をとった後やまなみハイウエイを通って午後7時前に九重観光ホテルに着いた。

 九重に宿をとったのは、長者原ビジターセンターから坊ガツルまで往復して歩きたかったからだ。広島大学山岳部部歌『坊ガツル讃歌』の坊ガツルとはどんなところか見てみたかったからである。かといって大船山には登るには膝と心臓が許さないと思われたので、アップダウンの厳しくない、ある程度の山歩きを楽しめるルートとして、長者原、坊ガツル往復を選んだ。片道2時間強。往復五時間くらいのハイキングであった。
 雨が降ったときだけ池になるという雨ヶ池を通過して着いた坊ガツルは、歌詞にある通りの「四面山なる」坊ガツル湿原であった。回りを2千メートル弱の山に囲まれた草原が広がっていた。テント場があり、法華院温泉の湯宿があり、月曜日だったので、人は多くはなかったが、数人の登山客がいて、営業している様子だった。坊ガツルを去るときに、人がいないことを確認して、大声で『坊ガツル讃歌』の3番を歌った。歩きながら歌ったので、息が切れた。
  四面山なる坊ガツル
  夏はキャンプの火を囲み
  夜空を仰ぐ山男
  無我を悟はこの時ぞ

二度と来ることあるまじき坊ガツル讃歌歌いて涙流しぬ

 その日は午後二時過ぎに長者原に戻り、全国旅行支援でもらったクーポンでお土産を買い、やまなみハイウエイを通って阿蘇神社に向かった。
 やまなみハイウエイから見た景色は衝撃的だった。何がって、高原の起伏に富んだ一面が若草の草原だったからだ。あれは全て山焼きのあとなのだろうか。牛や馬が放牧されており、見渡す限り草の山。若草山の比ではない。見える限り全部若草山なのであった。あのような風景は本州にはないと思う。知らないだけなのかもしれないが。あるとすれば富士の裾野か。北海道にあるかもしれないが、山焼きの山の連なりはないだろう。九州独特の景観と思われた。この景色を見ただけでも九州に来た甲斐があったと思われる。
 阿蘇神社は地震の被害にあった模様で大門を再建中か修復中であった。社殿もけっこう新しく、参拝のあと、早々にその日の宿である、内牧温泉の親和苑に向かった。
 内牧温泉は夏目漱石が「二百十日」を書いた時に滞在した温泉であるということを聞きつけ、はじめは夏目漱石が宿泊した宿を予約しようとしたのだが、その宿はすでに廃業したらしく、料理が美味しそうでお高くない宿を探して予約したのが親和苑であった。
 「二百十日」に主人公が仲居さんにビールを頼んだところ、「ビールはありませんがヱビスならあります」と言われたという場面があって、私もビールをくださいと言ってやろうと待ち構えていたのだが、飲み物の注文はドリンクリストからだったので念願はかなわなかった。しかし、ちょうどよい湯温の温泉と美味しい料理、ビール、地の焼酎をいただき、酩酊してその日は終わった。
 三日目は高千穂の予定だったが、早く着きそうなので、阿蘇の中岳を見てから高千穂に行くことにした。中岳はちょうど噴火警戒レベルが下がっていて、火口横まで車が入れて噴火口を見ることができるということであった。これまで自分が高校生の時の修学旅行と教員として引率した修学旅行で噴火口を見ようとしたことがあったのだが、噴火警戒レベルの高さに阻まれて見ることができないでいた。
 今回たまたま警戒レベルが低いときに阿蘇に来たという幸運が重なって、噴火口を見ることができた。硫黄ガスが噴出していて、呼吸器が弱い人には危険ということであったが、大丈夫だろうということで噴火口横まで行ってみた。大きな火口から噴煙がもくもくと噴出している模様を目の当たりにして、いたく感動した。
 火口の大きさは富士山に及ばないが今まさに煙を吹いている火口としては日本で最大なのだろう。御嶽山、焼岳、立山地獄谷、箱根の噴煙を見たことがあるが、火山の噴火口噴煙というしつらえをしているのは阿蘇中岳だけだろう。

外輪山中は阿蘇山火口原五万人もの生活のあり

胸焦がす中岳燃ゆる火口脇人の生きけり阿蘇は火の国

 その後、草千里で例の買い物をして、高千穂に向かった。高千穂では高千穂峡を観光し、高千穂神社、天岩戸神社を参拝した。高千穂峡は柱状節理の断層の跡が見事だった。狭い峡谷をボートで通ることができるはずであったが、その日は水量が多くてボートを出せないらしく、岸から見るだけだった。
 高千穂神社は建造物の彫刻が見事だった。天岩戸神社では宮司さんが神道の説明をしてくれたりして興味深かった。
 その日の宿は高千穂の大和屋。朝食のみの予約で、夕食は町の飲み屋に出ることにした。なかなか飲み屋を探すのに苦労したが、無我夢中という飲み屋にたまたま入ったところ、まあまあよい飲み屋で、名物鳥料理、日本酒、焼酎をいただき、満足して宿にもどった。

高千穂の渓谷拝み焼酎に無我夢中なり神楽拝まず

 翌日九州最終日は別府温泉であった。そろそろ疲れが出始め、午前中に別府に到着後、海地獄といいう青い色をした温泉池と赤い色をした温泉池を見たあと、特にすることも考えられず、別府駅前にある高温温泉の低温側の温泉に入ってフェリー港に向かうも早すぎて対応してもらえず、スイーツを食べて時間をつぶして車をフェリー乗り場に並ばせた。
 インターネット予約をしてあったので、スムーズに手続きを済ませ、車で乗船、寝る場所は簡易ツインベッドで、部屋に荷物を置いたらすぐにビュッフェレストランに行き、ビールを飲みながら出港を待った。フリードリンクとビールサーバーの電源ヒューズがショートしたとかで、今日は二杯目で終わっておこうとした二杯目のビールが半分ほどしか出てこずに、スタッフに確認して、ビールが出てこなかったことを申告したら、修復後新たなビールを一杯持ってきてくれた。食事をしている間に出港し、船は九州を離れていった。翌日はナビを頼りに西名阪自動車道を通って無事に家に帰るばかりである。船は大きく揺れることもなく穏やかな航海を続け、大阪港に向かった。

別府よりさんふらわあに寝る旅は夢にゆられて海を忘れき

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