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短編集 | とある街で | 3:00 p.m.ビジネスホテル、ドーナッツ

とある街の、ある日。
どこかにいるかもしれない9人の物語。
知らない誰かとも、どこかで繋がっている日常を、
おやつと共に描く短編集。
(2021年11月開催 絵とことばの個展「おやつ展2」より)

さっきから、足元でシーツがよれて、居心地が悪い。直すのも面倒で、シーツにくるまってだらだらしている。

就活の面接でこの町に来た。日帰りは難しかったので、安いビジネスホテルに予約を取った。
ホームページをちらっと見ただけのさして興味が湧かない会社の面接を終えて、ホテルの部屋に戻ると、激しい無気力感にさいなまれた。

カーテンをしめきった暗い部屋で、彼女との会話を思い出し、僕は浅くため息をついた。彼女は、早々に大手商社に内定をもらってからも、社会人セミナーとやらに通うのに余念がない。「就職先、なかなか決まらないね」そういった彼女の顔は、心配している風で、どことなく僕を軽蔑していた。

大学2年の頃、友達に連れられて参加した大学祭実行委員会で、一緒に活動するうちに仲良くなった。
明るくて活発な彼女は、男女みんなに好かれた。そんな彼女がなぜ寡黙な僕を好いてくれたのかと、当時は驚きが隠せなかった。

表情をくるくる変えて喋る彼女とのデートは楽しく、僕は専ら聴き役だった。彼女が行きたい、というカフェにもたくさん行った。
僕は僕で、色々なカフェに行くうちに、コーヒーやカフェの空間そのものに興味が湧くようになっていった。彼女からすれば、段々と自分の話よりコーヒーに集中する様子が面白くなかったのだろう。「最近ちゃんと話聴いてくれないよね」という彼女に、こっちの話には興味を持たないくせに、とは言えなかった。

突然、静かな部屋に着信音が鳴り響いて飛び起きた。発信先を見て、心臓が早鐘を打つ。

「はい。」
「あ、吉田さんでいらっしゃいますか。先日はお店にお越しいただき、ありがとうございました。バリスタについてですが、まずはアルバイト雇用で研修を受けていただくことになります。よろしいでしょうか。」

それは、たった数十秒の短い電話だった。こんな店で働けたら楽しいだろうな、夢のまた夢といった気持ちで、スタッフ募集について尋ねた店からだった。自分でも驚くほどすんなりと、はい、と答えた。僕の人生の大きな岐路だ。

メッセージの画面を開くと、彼女からの「面接?がんばれー」という無味乾燥な文字があった。

ざっとカーテンを開けると、通りの向かいに、良さそうな雰囲気のカフェがあった。青いひさしには、ドーナッツとある。
このカフェのエスプレッソはどんな豆を使っているんだろう?濃いめかな。ドーナッツに合いそうだ。今はまだ素人考えでも、想像を巡らせるのは楽しい。

「話があるので、夜電話します」彼女に一言だけメッセージを送ると、そのまま電源を切った。

財布だけ持って、下に降りますか。
秋の日差しが、アスファルトに当たってきらきらしていた。

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