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メタバース世界をコードで思考し、コードで実装するための手引き その1

このnote連載では、メタバース世界を自生的世界として構築するためにコードで実装しておくときに、知っておかなくてはいけない経済、政治、法律の基本的な考え方を翻訳書を含む日本語の書籍で紹介・解題しながら、人間を幸福にする思考や方法を、メタバース構築デザイナー・プログラマーに学んでもらうことを目的としている。基本的には高校生の倫理社会経済の授業や大学に一般教養の経済学、政治学、法学などで学ぶ基本的で簡単な話なのだが、こうした思考に触れていないコードの設計者や開発者に解るように説明を心がけた。簡単なことしか説明していないので、深く知りたい人のために適宜専門書も紹介したいと思う。しかし、基本は簡単なので、きちんと整理して説明しておくので、ぜひ身につけてもらいたいと思う。



いま50歳前後の政治経済、思想、法哲学の研究者の論考をいま70歳の桂木隆夫さんがまとめたハイエク論考集。非常に面白いしためになる。そして、ここを遡るとHumeの思想になっていく。本連載のトップイメージにヒュームのポートレイトを上げてあるが、それは基本的にこれから話すことのすべてにはHumeの哲学があるからである。このあたりは桂木さんだけではなく、桂木さんと同年代で京都大学で教えておられた田中秀夫さんの研究がHumeの研究をもとにして、しっかりと展開している。そしてこの流れを受け継ぎながら現代につなげていったフランク・ナイトの『リスク、不確実性、利潤』が桂木さん達の研究チーム(『ハイエクを読む』の寄稿者のなかの三名)によって昨年新訳がでた。こうして、大体役者がそろってきたところで、まさかの福沢諭吉の思想の公共哲学からの読み替え。その基本が、桂木さんによると福沢の「国会の前途」にみられる徳川家康による自生的秩序の形成である。このあたりも追々紹介・解題して行く。だが、まずはハイエクについて基本的なところを押さえておこう。

ところで、ハイエク論って、いまから45年前の三田の経済学部と法学部政治学科で行われていた議論、正確には仲通の飲み屋の紬とかいくつかの小料理屋とか、時にはその二階の宴席、などでくだを巻いていた社会科学系の先生とそこで一緒に騒いでいた、あるいは先生に突っ込まれて泣かされていた弟子の大学院生(桂木さんの世代)と好奇心で巻き込まれていた大学生(僕の世代)の酒を飲みながらの大議論と同じである。この議論が一気にさめたのはベルリンの壁の崩壊とサッチャー政権による「所得の再分配」の廃止。そのあと社会経済は共産圏なく、世界は金融システムで合理的の管理されるようになり、「歴史の終焉」をみた、と思っていたら、何回か経済がクラッシュして今に至る。で、こうなってみると、三権分立と法の支配が議会制による代議員の暴走で崩壊し、コントロールできない大システムを非効率的に処理する体制がのこり、気がついたら、また西欧世界とロシア共産圏世界と旧植民地国との混乱の時代に戻っていた。どうするのだ?と思うのだが、インターネットの再登場にこの混乱の整理の可能性を僕は見ている。

再登場というのは30年前ベルリンの壁が崩壊したときにインターネットは次の世界をつくる救世主にみえていた。だがGAFAMの登場で、巨大システムによる世界管理という悪夢が登場していたのが最近だ。今回メタバースとそれを支えるブロックチェーンが強烈な分散協調システムなので、こちらに経済とガバナンスを移行できたらどうにかなるのではないか、と議論が進んできている。

だが、現実活動している人をみると、なんだが自生的秩序形成とはほど遠い活動をしている。いまいろいろ声高に言っている人たちは、こうした長年にわたる思想や社会科学の流れを知らないからなんだよね。フリードマンの自由主義の焼き直しになっている。あるいはネットバブルを生んだ1990年代後半の無責任金融システム賛美の焼き直しだ。だが、これだけ、社会科学が過去30年で進み、研究者もそろってきたところなので、いまこそこの知見とメタバース・ブロックチェーンによる自発的秩序形成の動きをすりあわせたいと思っている。20年前の経済理論を使うのはやめよう。あのときいい加減な理論で巨大サーバーやクラウドを実装したから、いまの悲劇があるのだ。

ではどこから勉強すれば良いのか。そのとっかかりの本として『ハイエクを読む』はお勧めである。そして、いま学ぶべき社会経済思想の背後にはヒュームの哲学があり、ヒュームを知的基盤として使いこなすための大学レベルの入門書;「101」と言われるものが必要になると思う。ここはまだ良い本がない。いずれにしてもこのあたりの基本的な書籍をここでしっかりと紹介・解説して行きたい。ここ解らないと、メタバースをブロックチェーンでプログラムして「自生的秩序」のある世界はつくれないから。これこそ『学問のすゝめ』の21世紀の実践だと思う。文字ではなく、コードで思考する政治経済学者や法哲学者が必要なのだ。福沢は自生的秩序を形成するために『学問のすゝめ』を書いた。21世紀に自生的秩序を構築するためには『コードのすゝめ』が必要になるのである。では次回からしばらくこの本の論文を解題していきたい。
(この項、続く)



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