見出し画像

50年まえの自分にフランス語の講義をしてみた。(3)

さて、前回の手順で今回もやってみよう。

デリダの文章をClaudeに渡す

次の文章を解釈し文法的な解説もして下さい。

Par une nécessité qui se laisse à peine percevoir, tout se passe comme si, cessant de désigner une forme particulière, dérivée, auxiliaire du langage en général (qu'on l'entende comme communication, relation, expression, signification, constitution du sens ou pensée, etc.), cessant de désigner la pellicule extérieure, le double inconsistant d'un signifiant majeur, le signifiant du signifiant, le concept d'écriture commençait à déborder l'extension du langage.

この文章は、哲学者ジャック・デリダの著作『グラマトロジーについて』の一節です。デリダは、西洋形而上学の伝統において「エクリチュール」(écriture、すなわち文字・書記・記述)が「ランガージュ」(langage、すなわち言語一般)に対して従属的な地位に置かれてきたことを批判的に論じています。

Claudeに一行づつ文法の解説と内容についての解題を依頼

文法的な観点から見ると、この文章は非常に複雑な構造をしています。主節は "tout se passe comme si" (すべては〜であるかのように見える)で始まり、その後に長い補語節が続きます。この補語節の中で、"cessant de désigner" (〜を指し示すことをやめて)という現在分詞構文が二度使われ、エクリチュールの従来の概念規定が否定的に列挙されます。そして、主語である "le concept d'écriture" (エクリチュールの概念)が導入され、それが "commençait à déborder l'extension du langage" (言語の外延を越え出し始めた)と述べられます。

この一節の解釈としては、以下のようになるでしょう。エクリチュールは、言語一般に対する特殊で派生的な形式、言語の不確かな二重物、シニフィアン(記号表現)のシニフィアンなどとみなされることをやめ、それとは逆に、言語の外延を越え出るものとして捉えられ始めた、と。つまり、デリダはエクリチュールの概念を言語の枠内に収まらない、より根源的なものとして捉え直そうとしているのです。
このように、デリダの文章は難解で複雑な文構造をしていますが、それは彼の思想の独創性と複雑さを反映したものと言えるでしょう。

奧出: 「デリダはエクリチュールの概念を言語の枠内に収まらない、より根源的なものとして捉え直そうとしているのです」とのことですが、難しいです。詳しく説明して下さい。
Claude:
デリダがエクリチュールの概念を言語の枠内に収まらないものとして捉え直そうとしている理由は、彼が西洋形而上学の伝統を批判的に分析しているからです。
従来の言語観では、言語(ランガージュ)が先にあり、文字(エクリチュール)はその派生物あるいは補助的な手段とみなされてきました。つまり、言語が本質的で根源的なものであり、文字はその二次的な表現手段に過ぎないと考えられてきたのです。
これに対してデリダは、言語と文字の関係を逆転させます。彼によれば、文字こそが言語に先立つ根源的なものであり、言語は文字なしには成立しえません。なぜなら、言語が意味を伝達するためには、その意味が何らかの形で固定化され、反復可能なものとならなければならないからです。この固定化と反復可能性を保証するのが、まさに文字の働きなのです。
したがって、デリダにとって、エクリチュールとは単なる言語の表記システムではなく、あらゆる意味生成の条件そのものなのです。言語の意味は、書かれたものとして構造化され、差延化されることではじめて成立するのであり、その意味で、エクリチュールは言語に先立つ「アルケ-エクリチュール」(根源-書記)とも呼ばれるのです。
このように、デリダはエクリチュールの概念を拡張し、それを言語の根底にある差異化と意味生成のメカニズムとして捉えています。これは、意味の自己同一性を前提とする伝統的な言語観を根底から覆すものであり、言語と思考の関係を新たな地平から問い直す試みなのです。
デリダの脱構築の戦略は、難解で複雑なものではありますが、西洋形而上学の伝統を内側から揺さぶり、新たな思考の可能性を切り拓くものとして、現代思想に大きな影響を与えています。彼のエクリチュール概念は、言語と意味をめぐる従来の前提を問い直し、より根源的な次元から言語と主体の関係を捉え直すための重要な手がかりなのです。

奧出:
上記の議論の根拠は先ほど渡したフランス語のテキストのどこにあたりますか?
Claude:
デリダの議論の根拠となる部分は、先のフランス語テキストのいくつかの箇所に見出すことができます。

  1. "cessant de désigner une forme particulière, dérivée, auxiliaire du langage en général" (言語一般の特殊な、派生的な、補助的な形式を指し示すことをやめて) この部分は、エクリチュールが従来、言語の二次的な表現手段とみなされてきたことを示唆しています。

  2. "cessant de désigner la pellicule extérieure, le double inconsistant d'un signifiant majeur, le signifiant du signifiant" (外面的な薄膜、主要なシニフィアンの不確かな二重物、シニフィアンのシニフィアンを指し示すことをやめて) ここでは、エクリチュールが言語の表層的な表現として捉えられてきたことが示されています。

  3. "le concept d'écriture commençait à déborder l'extension du langage" (エクリチュールの概念が言語の外延を越え出し始めた) この部分が、デリダがエクリチュールの概念を言語の枠内に収まらないものとして捉え直そうとしていることを最も直接的に表しています。

これらの表現から、デリダがエクリチュールを言語の単なる派生物ではなく、言語を越え出る根源的なものとして位置づけようとしていることがうかがえます。テキスト全体の文脈からも、彼が伝統的な言語観を批判し、エクリチュールの概念を拡張しようとしていることが読み取れるのです。
奧出:
なるほど。「文法的な観点から見ると、この文章は非常に複雑な構造をしています。主節は "tout se passe comme si" (すべては〜であるかのように見える)で始まり、その後に長い補語節が続きます。この補語節の中で、"cessant de désigner" (〜を指し示すことをやめて)という現在分詞構文が二度使われ、エクリチュールの従来の概念規定が否定的に列挙されます。そして、主語である "le concept d'écriture" (エクリチュールの概念)が導入され、それが "commençait à déborder l'extension du langage" (言語の外延を越え出し始めた)と述べられます」と説明しているところは文法的にも難しいし、解釈の肝にもなると思います。できるだけ詳細に説明していただけますか?

Claude:
はい、その通りですね。この文章の文法構造と解釈の関係を詳しく説明していきましょう。
まず、主節 "tout se passe comme si" は、直訳すると「すべては〜であるかのように起こる」という意味になります。この表現は、仮定法の一種で、現実とは異なる仮定的な状況を示唆しています。つまり、この文章は、エクリチュールの概念が実際に変化しつつあるという事実を述べているのではなく、あたかもそのように見えるという仮定的な観察を提示しているのです。
次に、補語節の中で使われている現在分詞構文 "cessant de désigner" に注目しましょう。この構文は、「〜を指し示すことをやめて」という意味で、エクリチュールの従来の概念規定を否定的に列挙するために二度使われています。

  1. "une forme particulière, dérivée, auxiliaire du langage en général" (言語一般の特殊な、派生的な、補助的な形式)

  2. "la pellicule extérieure, le double inconsistant d'un signifiant majeur, le signifiant du signifiant" (外面的な薄膜、主要なシニフィアンの不確かな二重物、シニフィアンのシニフィアン)

これらの表現は、エクリチュールが従来、言語に対して二次的で補助的な役割を与えられてきたことを示しています。デリダは、こうした従来の概念規定を否定し、エクリチュールの新たな理解を提示しようとしているのです。
そして、補語節の最後で主語 "le concept d'écriture" が導入され、それが "commençait à déborder l'extension du langage" という述語で説明されます。この部分が文章の核心であり、デリダの主張を端的に表しています。「エクリチュールの概念が言語の外延を越え出し始めた」という表現は、エクリチュールが言語の枠内に収まらない、より根源的なものとして捉え直されつつあることを示唆しているのです。
以上のように、この文章の複雑な文法構造は、デリダの思想を巧みに表現するために用いられています。主節の仮定法は、エクリチュールの概念変化があたかも起こっているかのように見えることを示唆し、現在分詞構文による否定的列挙は、従来の概念規定からの脱却を強調します。そして、主語と述語の関係は、エクリチュールの新たな位置づけを明示しているのです。
このように、文法構造と思想内容が緊密に結びついているところに、デリダのテクストの特徴と難解さがあると言えるでしょう。彼は言語の形式そのものを戦略的に用いることで、伝統的な思考の枠組みを内側から揺さぶり、新たな概念の地平を切り拓こうとしているのです。

奧出:
そして、「補語節の最後で主語 "le concept d'écriture" が導入され、それが "commençait à déborder l'extension du langage" という述語で説明されます。この部分が文章の核心であり、デリダの主張を端的に表しています」、とありますが、この指摘は鋭いですね。ここに相当する原文を文法的に1語1語解説してくれますか?

Claude:
はい、喜んで原文を1語1語解説いたします。
"le concept d'écriture commençait à déborder l'extension du langage"

  • "le concept" (名詞、男性単数形): 概念

  • "d'" (前置詞 "de" の省略形): の

  • "écriture" (名詞、女性単数形): エクリチュール、文字、書記

  • "commençait" (動詞 "commencer" の半過去形、三人称単数形): 〜し始めた

  • "à" (前置詞): 〜すること

  • "déborder" (動詞、不定形): 越え出る、はみ出る

  • "l'" (定冠詞 "la" の省略形、女性単数形): その

  • "extension" (名詞、女性単数形): 外延、範囲、拡がり

  • "du" (前置詞 "de" と定冠詞 "le" の縮約形): の

  • "langage" (名詞、男性単数形): 言語

直訳すると、「エクリチュールの概念は、言語の外延を越え出し始めた」となります。
文法的に見ると、この文は、主語 "le concept d'écriture"、動詞 "commençait"、不定詞句 "à déborder"、そして直接目的語 "l'extension du langage" で構成されています。
動詞 "commencer" は、「〜し始める」という意味の動詞で、ここでは半過去形 "commençait" が使われています。半過去形は、過去のある時点で進行中だった動作や状態を表します。つまり、この文は、エクリチュールの概念が言語の外延を越え出すプロセスが過去のある時点で進行中であったことを示唆しているのです。
不定詞句 "à déborder" は、動詞 "commencer" の補語として機能しています。前置詞 "à" は、動詞 "commencer" の後に置かれ、「〜すること」という意味を添えます。そして、動詞 "déborder" は、「越え出る」「はみ出る」という意味を持ち、エクリチュールの概念が言語の枠組みを超越していく様子を表現しています。
直接目的語 "l'extension du langage" は、"déborder" の対象を示しています。"extension" は「外延」「範囲」という意味の名詞で、ここでは言語の及ぶ範囲、言語の枠組みを指しています。
以上のように、この一文は、エクリチュールの概念が言語の枠組みを越え出すというデリダの主張を、動詞の時制と不定詞句を巧みに用いて表現しているのです。文法構造そのものが、エクリチュールの概念の変化を動的に描き出す役割を果たしていると言えるでしょう。

奧出:
déborderということばはフランス語ぽくないのですが、語源はどうなっていますか?
Claude:
"déborder" という動詞は、確かに一見するとフランス語らしくない印象を与えるかもしれません。実際、この語は、フランス語の語彙体系の中で比較的新しい部類に入ります。
"déborder" の語源は、古フランス語の "bort" または "bord" に遡ります。これらの語は、「縁」「端」「岸」などの意味を持っていました。現代フランス語の "bord" (端、縁)はこれらの語に由来しています。
接頭辞 "dé-" は、ラテン語の "dis-" に由来し、「〜から離れて」「〜の反対に」といった意味を添えます。したがって、"déborder" は、文字通りには「縁から外れる」「端からはみ出る」という意味になります。
この語が現代的な意味合いで使われるようになったのは、16世紀以降のことです。当初は、「(川などが)氾濫する」「(容器から液体などが)あふれ出る」といった具体的な意味で用いられましたが、次第に抽象的な意味でも使われるようになりました。
例えば、18世紀の哲学者ルソーは、"déborder" を「(感情などが)抑えきれなくなる」という意味で用いています。また、19世紀の作家バルザックは、"déborder" を「(規則や枠組みを)越える」という意味で使っています。
デリダが "déborder" を用いているのは、こうした抽象的な意味合いにおいてです。彼はこの語を、エクリチュールの概念が言語の枠組みを越え出ていく様子を表現するために戦略的に用いているのです。
このように、"déborder" という語自体の歴史的な意味の拡張は、デリダがエクリチュールの概念に与えようとしている新たな意味合いと重なり合っていると言えるでしょう。語の持つ意味の変化と拡張が、彼の思想を反映しているのです。

奧出:
言葉の意味が従来の意味の範囲つまり外縁からそとにはみ出していくをdeborderとしたのでしょうか?

Claude:その洞察は非常に鋭いですね。デリダがここで "déborder" という動詞を選んだのは、意図的であり、彼の思想を巧みに表現していると言えます。
デリダは、エクリチュールの概念が言語の外延を越え出ていく様子を描写するために、まさに "déborder" という語を用いています。この語選択は、言葉の意味そのものが従来の意味の範囲から外にはみ出していく様子を連想させます。
つまり、"déborder" という語は、ここでメタ的な役割を果たしていると言えるでしょう。エクリチュールの概念が言語の枠組みを越え出ていくように、"déborder" という語自体も、その本来の意味の範囲を超えて、新たな意味合いを獲得しているのです。
このように、デリダは "déborder" という語を用いることで、エクリチュールの概念の変化と、言葉の意味の変化を巧みに重ね合わせているのです。彼はここで、言語の意味の不安定性や流動性を示唆し、意味というものが固定的なものではなく、常に変化し、拡張していくものであることを示唆しているとも解釈できます。
デリダの脱構築の戦略は、こうした言葉の意味のダイナミズムを巧みに利用することで、伝統的な概念の枠組みを揺さぶり、新たな思考の地平を切り拓こうとするものなのです。彼は "déborder" という語を戦略的に用いることで、エクリチュールの概念の変化と、言語の意味の変化を鮮やかに重ね合わせ、自らの思想を表現しているのだと言えるでしょう。

奧出:
「エクリチュールの概念は、言語の外延を越え出し始めた、」とありますが、エクリチュールという語の外縁をこえ、外縁を越えるというエクリチュールの変化が、いままでの哲学や言語学で定義された言葉の外延をこえさせていく、みたいな複雑化ことをデリダはこの文章のなかでこめているのでしょうか?

Claude:
はい、その解釈は非常に的確だと思います。デリダは、エクリチュールという語の意味の変化と、エクリチュールの概念の変化を巧みに重ね合わせることで、言語と意味をめぐる複雑な問題を提起しているのです。
デリダは、エクリチュールの概念が言語の外延を越え出ていく様子を描写することで、エクリチュールという語自体の意味も、従来の定義の枠組みを超えて拡張していくことを示唆しています。つまり、エクリチュールという語は、もはや単なる「書くこと」や「文字」を指すだけではなく、言語と意味の生成や構造化の根源的な働きを指し示すようになるのです。
そして、このようなエクリチュールの概念の変化は、哲学や言語学において従来用いられてきた言葉の意味の外延をも揺さぶり、拡張させずにはいられません。なぜなら、エクリチュールが言語の根源的な働きとして捉え直されるならば、言語をめぐる従来の理解そのものが問い直されざるを得ないからです。
このように、デリダは、エクリチュールという語の意味の変化と、エクリチュールの概念の変化を出発点として、言語と意味をめぐる従来の枠組みを根底から揺さぶり、脱構築していこうとしているのです。彼はここで、言葉の意味というものが固定的なものではなく、常に変化し、拡張していくダイナミックなものであることを示唆しているのだと言えます。
そして、このような言葉の意味の流動性は、哲学や言語学の営み自体をも変化させずにはいられません。デリダの思想は、言語と意味をめぐる従来の前提を問い直し、新たな思考の地平を切り拓くことを目指しているのです。
したがって、ご指摘の通り、デリダはこの一文の中に、エクリチュールという語の意味の変化、エクリチュールの概念の変化、そしてそれらが哲学や言語学に与える影響という複雑な問題系を巧みに織り込んでいると言えるでしょう。彼の脱構築の戦略は、このように入り組んだ言葉の意味のダイナミズムを縦横に活用することで、新たな思考の可能性を切り拓いていくものなのです。

難しいところの解説を優しいフランス語で依頼

奧出: ここまで議論した中で難しいところをわかりやすいフランス語にかきかえて、最初にお願いしたフランス語の文章を全面的にフランス語で書き直していただけますか?

Claude:
Bien sûr, je vais essayer de reformuler le passage original en français plus simple, en intégrant les points clés de notre discussion :
もちろん喜んで原文を、私たちの議論の要点を織り込みながら、よりシンプルなフランス語で言い換えてみます。

Par une nécessité qui se laisse à peine percevoir, il semble que le concept d'écriture ait commencé à changer de manière fondamentale. Auparavant, l'écriture était considérée comme une forme particulière, dérivée et auxiliaire du langage en général, comme une simple représentation extérieure, un double inconsistant du signifiant principal, le signifiant du signifiant.

Cependant, le concept d'écriture a commencé à dépasser les limites traditionnelles du langage. Le mot "déborder" lui-même suggère ce mouvement, où le sens du mot "écriture" déborde de ses propres limites conventionnelles.

Ce changement dans le concept d'écriture ébranle les définitions traditionnelles des mots en philosophie et en linguistique. Si l'écriture est reconsidérée comme le fonctionnement fondamental du langage, alors notre compréhension conventionnelle du langage lui-même doit être remise en question.

Ainsi, le changement de sens du mot "écriture", le changement du concept d'écriture, et leur impact sur la philosophie et la linguistique s'entremêlent de manière complexe. La stratégie de déconstruction de Derrida exploite cette dynamique intriquée du sens des mots pour ouvrir de nouvelles possibilités de pensée.

En somme, ce passage suggère que le concept d'écriture, en dépassant les limites traditionnelles du langage, remet en question les fondements mêmes de notre compréhension du langage et de la signification, invitant à une réévaluation profonde des présupposés philosophiques et linguistiques conventionnels.

奧出: 
文法的説明を日本語でお願いします。

Claude:
ここでは、各段落を文法的に詳しく解説していきます。

第1段落:

  • "Par une nécessité qui se laisse à peine percevoir" は、主語が "une nécessité"、関係代名詞節が "qui se laisse à peine percevoir" である複文です。

  • "il semble que" は非人称構文で、"le concept d'écriture" を主語とする副詞節を導いています。

  • "ait commencé" は動詞 "commencer" の接続法現在形であり、ここでは "il semble que" の後に用いられています。

  • "à changer de manière fondamentale" は不定詞句で、動詞 "commencer" を修飾しています。

第2段落:

  • "Auparavant" は時を表す副詞で、文頭に置かれています。

  • "l'écriture était considérée comme..." は受動態の構文です。

  • "une forme particulière, dérivée et auxiliaire du langage en général" と "une simple représentation extérieure, un double inconsistant du signifiant principal, le signifiant du signifiant" は、"comme" の後に置かれた同格のフレーズです。

第3段落:

  • "Cependant" は逆接の接続詞で、前の段落との関係を示しています。

  • "a commencé à dépasser" は複合過去形で、"le concept d'écriture" を主語とする能動態の構文です。

  • "Le mot "déborder" lui-même" は主語で、"suggère" の目的語は "ce mouvement" です。

  • "où le sens du mot "écriture" déborde de ses propres limites conventionnelles" は関係副詞 "où" で導かれた関係節です。

第4段落:

  • "Ce changement dans le concept d'écriture" は主語で、"ébranle" の目的語は "les définitions traditionnelles des mots en philosophie et en linguistique" です。

  • "Si l'écriture est reconsidérée comme..." は条件節で、"alors" 以下が主節です。

  • "notre compréhension conventionnelle du langage lui-même" は "doit être remise en question" の主語です。

第5段落:

  • "Ainsi" は接続副詞で、前の段落を受けています。

  • "le changement de sens du mot "écriture", le changement du concept d'écriture, et leur impact sur la philosophie et la linguistique" は複数の主語で、"s'entremêlent" の主語となっています。

  • "La stratégie de déconstruction de Derrida" は主語で、"exploite" の目的語は "cette dynamique intriquée du sens des mots" です。

  • "pour ouvrir de nouvelles possibilités de pensée" は不定詞句で、目的を表しています。

第6段落:

  • "En somme" は接続詞で、まとめを導入しています。

  • "ce passage" は主語で、"suggère" の目的語は "que" 以下の節です。

  • "en dépassant les limites traditionnelles du langage" は現在分詞句で、"le concept d'écriture" を修飾しています。

  • "remet en question" の目的語は "les fondements mêmes de notre compréhension du langage et de la signification" です。

  • "invitant à une réévaluation profonde des présupposés philosophiques et linguistiques conventionnels" は現在分詞句で、"le concept d'écriture" の動作を補足説明しています。

このように、各段落は複雑な文法構造を持っていますが、接続詞、関係詞、分詞構文などを用いて論理的につながっています。これにより、エクリチュールの概念の変化とその影響について、明確かつ詳細に説明されているのです。

奧出:
ありがとうございます。ではこのまとめのフランス語をさらに、初級から中級のフランス語で書き換えていただけますか?

以下は初級フランス語バージョン

Voici une version simplifiée du texte, adaptée pour un niveau débutant à intermédiaire en français :

以下はフランス語初心者向けの単純化した文章です。

Le concept d'écriture change beaucoup. Avant, l'écriture était vue comme une partie spéciale et secondaire du langage. Elle était considérée comme une simple copie du langage parlé.

Mais maintenant, le concept d'écriture commence à aller au-delà des limites habituelles du langage. Le mot "déborder" montre bien ce mouvement, où le sens du mot "écriture" va au-delà de ses limites traditionnelles.

Ce changement dans le concept d'écriture bouleverse les définitions des mots en philosophie et en linguistique. Si l'écriture est vue comme la base du langage, alors notre compréhension habituelle du langage doit être questionnée.

Donc, le changement de sens du mot "écriture", le changement du concept d'écriture, et leur effet sur la philosophie et la linguistique se mélangent de façon complexe. La stratégie de déconstruction de Derrida utilise cette dynamique compliquée du sens des mots pour ouvrir de nouvelles façons de penser.

En résumé, ce texte suggère que le concept d'écriture, en allant au-delà des limites traditionnelles du langage, questionne les bases de notre compréhension du langage et du sens, et nous invite à repenser profondément les idées habituelles en philosophie et en linguistique.

以下は上記のフランス語の日本語訳です。

書くという概念は大きく変化しています。以前は、書くことは言語の特別な二次的な部分と見なされていました。それは話し言葉の単なるコピーと考えられていたのです。

しかし現在では、書くという概念は、言語の通常の境界を超え始めています。「déborder」という言葉は、「écriture」という言葉の意味がその伝統的な境界を超えていく動きをよく表しています。

書くという概念のこの変化は、哲学と言語学における言葉の定義を一変させます。もし書くことが言語の基礎と見なされるなら、私たちの言語に対する通常の理解は問い直されなければなりません。

したがって、「écriture」という言葉の意味の変化、書くという概念の変化、そしてそれらが哲学と言語学に与える影響は、複雑に絡み合っています。デリダの脱構築の戦略は、この言葉の意味の複雑な力学を利用して、新しい考え方を切り開くのです。

要約すると、このテキストは、書くという概念が言語の伝統的な境界を超えることで、私たちの言語と意味の理解の基礎を問い、哲学と言語学の常識的な考えを根本的に見直すことを促していることを示唆しています。(翻訳終了)

さて、問題は、デリダの主張を初級フランス語の単語と構文で書くと上記
のようになる、ということである。難しいから簡単に、とよく言われるが、これとデリダがエクリチュール論で言いたいことはかなり違う。簡単にはならない何か大切なことがある。それも概念的な意図というわけではない。デリダの語彙と文章構造をつかったエクリチュールでないと表現できない何かがあり、それがわかりやすい明晰な形而上学とは別の、まさにエクリチュールとして痕跡をのこすことでしか表現できないなにか、なはずなのだ。この問題について次回は考えたい。(完)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?