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「緩和ケア」から学ぶ、生きること。

おはようございます。
2024年4月27日 市民と創るホスピスケアの会の講演会に参加してきました。講演会タイトルは
「いまいちど、ホスピス緩和ケアについて考える。」
石垣靖子先生のお話です。(石垣先生のお声は、トーンが穏やかで心をグッと掴まれました。)

私たちは、誰もが限りある命をひとつ、いただいて生きています。普段元気で健康であればあるほど、死は、ずっと遠くにあるように感じてしまいますね。

人生100年時代と言われる今、予期しない病気と共に生きることや、認知症になったり、時には事故に遭って…これまでと同じ生活ができなくなる時がきっとみんな平等に来るのだと思います。そして、最期の時が近づくと、ベットから立ち上がることもできないことも、あるのだと思います。

そんな時、支えになるのが医療的「緩和ケア」だと思っていました。ですが、今回の講演会でとても勉強になったのは、何も「医療」の話ではないということです。

その人が、ひとりの人間として、その人の一生が終わるまで、人権・尊厳が守られ、その人らしく、いられること。そしてなるべく制限されることなく、自由に過ごすことができること。生物学的な「痛みのコントロール」は、医学の力をお借りすることになりますが、心が満たされることによる「痛み・苦痛のコントロール」は医学の力ではなく、人間と人間のコミュニケーション。でしか、緩和されないということ。

その人が、何をしたいと思っているのか耳を傾けること。ただただ、そこにいること。どんな人生を送ってこられたのか、病気になってからのその人を見るのではなく、「その人の本質」に目を向けて、その最期に「自分自身」と「相手」と共にいる力。

それが、本来の「緩和ケア」なのだとこの講演を聴いて学びました。

私の父は、私が17歳の時にがんになりました。
文字にするとわかりやすいように、本当に「闘病」生活でした。医療が、父のがんを治してくれると思っていました。「医療」に任せっきりだったこと、今ではとても後悔しているとともに、父から教えていただいたことの一つです。「今」を楽しむことが、いかに豊かな時間だったことか。

父は、私が19歳の時に、お別れすることとなりました。

「緩和ケア」は、何も医療現場のお話だけではなく、私たちのすぐそばにあって、「共にある力」なのだと思います。

そして、大きくみればこれは何も「緩和ケア」の話ではないのではと思います。地球の歴史に比べたら、瞬きくらいの100年間。同じ時代に、同じ地域に生まれた私たちは、どのように関わり生きていくのか。

そんなことを考えるきっかけになりました。


2024年4月29日 奥田萌


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