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バーチャルキャラクター進化論(V0.12 前編)

こんにちは。最近YouTubeのASMR就眠配信を聴きすぎて「配信が終了する空気」を睡眠中でも察知できるようになってしまい、結果終わり際に目が覚めるようになってしまった者です。

これは何のnote?

20' 11/7(土)に
Anything and Everything LT Meetup #2 @cluster
https://cluster.mu/e/c0960e20-3e0c-4fec-aca7-3731c15eef8a
というLT会に誘われまして標題の発表をやりました。
そこで扱った議論の詳述をします。

※ 近日のうちに詳述メモしておくのが目的なので雑多です。恐れ入ります。気が向いたらバージョンアップします。
※ 個人的な勝手考察になりますので一方向で言い過ぎ感があるかもしれませんが、議論のひとつの切り口という形でお楽しみいただければ幸いです。
※ 引用は全て評論目的であり宣伝を意図しません。


VTuberとVRに親和性はない?

このお話のスタートは、まず「a2see@VNOSバーチャルCEO」さんのツイートから。このツイートから生まれた諸々の議論をTwitterで見ていました。

>VTuberとVRって別に親和性ない
これ2年も追い掛けてきた身としてはなかなか言えなかったけど多分正解なんだろうなと。
少なくともいまVTuberを事業として支えているファン層はVRがいまの形式である限り重たいHMDを被って推しに逢いに行こうとするのは少数なのかもしれない。(むしろリアイベには行く
https://twitter.com/a2see/status/1322941749346537472?s=20

ウーン、分かる……。
数年前に某大学でゲスト講演した際に「VRってどういう体験か知ってる?」「VRが何かわかる人?」で手を挙げた学生さんより、「VTuberって知ってる?」「キズナアイさんの動画見たことある?」のほうが圧倒的に挙がる手が多かったことを思い出します。もちろん「VRヘッドセット被ったことある?」がもっと少ない。あしやまひろこさんがVTuberの"V"とVRの"V"が一緒だからといって親和性が高いと考えるのはおかしい(他にもVが付くものはいっぱいある)とコメントしてたのも納得です。少なくとも普通の学生さん数百人に聞いた感触はそれを裏付けていました。

逆にですね、VR業界のほうでもVTuber業界との関わりが妙に希薄では? という感覚も持っています。あくまで主観ですが、VRの開発クラスタではVTuber技術についてはあまり話しに出ないし、2DなVTuberは特にどうVRなのか? というツッコミは初期からありましたよね……。

でも、それもですよ、iPhone Xが出た当時のハッカソン等で2D VTuberやっていた人はみんなVR系の人でしたし、今を見てもVR業界でVTuberにハマる人はすごく多いし(自分も)、初期3D VTuberは大抵VIVEコン利用が前提だったし、知り合ったVRベンチャーさんではVTuberにピボットされる会社さんもかなり多かったわけです。そりゃ言うて何かしら関係はしているはず…なんですよね。

そして、これはおそらくVRとVTuberを並行して議論すること自体がまだ不十分なのでは? と気づいたんですね。ここ、もっと掘り下げていけば何かの気づきやビジョンが得られるのでは?

「VRゲームを作った」&「VTuberコラボをお願いした」の2つの経験を合体させてみる

思い返すと、私はASMR入眠おじさんではなくて、「サマーレッスン」や「エースコンバット7 VRモード」や、他にも社内のVR案件もろもろに関わってきたおじさんでした。そういえば。


そしてVTuberコラボをお願いして宣伝を試みるプロデューサーとしてのムーブもしておりました。(ご協力頂きました各社様、ありがとうございます。今後とも何卒。)

【先行体験】エースコンバット7 を白上フブキが初プレイ!#1 【Vtuber初】 https://youtu.be/5FA292JB2os @YouTubeより

【ACE COMBAT 7 先行体験】えーすこんきゃっと7 #1 https://youtu.be/4ChEJAWiXys @YouTubeより

【Amazon】ドラひまショッピング【ACE COMBAT 7】 https://youtu.be/AV4ZwlyTEVM @YouTubeより

エースコンバット7の発売前コラボが白上フブキさんとのらきゃっとさんだったので、上司のプロデューサーからは「バーチャルユーチューバーってみんな何かの耳がついているの?」と言われた記憶が思い起こされます。


そんなこんなで……「VRゲームを作った経験がある」と「VTuberにゲームコラボを依頼したことがある」の両面の経験がある人しかも両面を知見化して分析検討した人はまだ少ないのではないか? 自分が考えられることがあるのでは? というモチベーションに至ったわけです。

ちなみにLT会ではここまでの内容を異次元圧縮して30秒でした。はしょりすぎた。

VRゲーム開発のキモとなる3要素

これまでVRゲーム開発については(各所様のご厚意で)何度もその開発ノウハウを共有させていただく機会がありました。その過程で私も何となくのコツをちゃんと言語化する必要がありまして、思考を整理していった結果、2016年ぐらいから「VRゲーム開発のキモ」を3つの要素にまとめて説明しています。実在感・没入感・臨場感です。

こっから学校のゲーム制作講座の授業みたいな話しになります。VTuberの話は道端に一旦放置されてます。ですのでダルい人は太字だけお読みください。

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サマーレッスンやACE7VRをはじめ、関わったVR開発では常に「リアルだよね」とか「リアリティが足りない」といった言葉は禁止にしてきました(……は言い過ぎとして強く避けて作ってきました)。「リアル」は言葉が広すぎるのです。

「このVRゲーム、リアルでいいね!」とお客様に言われるときに起きていることを3つに分解して考えます。

★実在感
目の前に物理的にオブジェクトが存在することを直観する感覚です。サマーレッスンのキャッチコピーは「彼女は本当に、そこにいる。」なのですが、この「そこにいる」が実在感です。VRはこれを実現できる稀有な手段であって、その魅力こそがVR体験にとっては大事です。後で欧米ではSense of Presenceという呼ばれ方をすると知り、VR業界的には流行語になりました。横文字ビジネス用語で「業界内でプレゼンス(存在感)を示す」といった言い方をしますが、あの感覚に近いです。こっちがどんだけの意志で「幻だ、虚構だ」と存在を無視しても、どうしても「いる」という認識から逃げられない状態、みたいな感じです。

★没入感
「没入感」と「臨場感」はあらゆる3Dゲームで酷使される褒め言葉で、これらを意識的に使い分けることは余りされていないと思うのですが、VR開発では明確に切り分けています。英語にすればわかりやすくて、「没入する Immersion」「没入させるようなつくりの Immersive」「没入させ度 Immersiveness」といった言葉になります。注目はこのImmersionという言葉を辞書で引くと「浸潤」つまり液体に浸すことも意味している点です。つまりVRにおける没入感とは、プレイヤーの「自分は現実に生きている」というカラッとした認識、その明確な境界線の内側に、仮想世界(架空)という液体がジワッと染みてきている感じなわけです。この言葉は「ゲーム中の世界によく馴染んだUI」とかにも褒め言葉として使われているようで、要するに「現実と架空がいい感じに一緒くたになっていて、めちゃ馴染んでいて、どっちがどっちとか気にならない心地よい状態」を意味しています。

★臨場感
臨場感もまた英語がとても分かりやすいです。その名も"You-are-there Feeling"(君がそこにいる感覚)です。以上説明終了という感じですが、作ってみると色々厄介な概念であることが分かります。例えばVRゲームを作る時に「常に顔にはりついているUI」を作ったりすると、プレイヤーと、プレイヤーを浸らせたい仮想世界の間に一枚板があるような感じがします。これは想像以上にVR体験を毀損してしまうのです。これはUIがどこまで「没入的Immersive」かに関係せず発生します。You(プレイヤー)とThere(VR世界)の結びつきの間に邪魔なレイヤーが挟まってはいけないということですね。ゲーム的なインタラクションはこのYouとThereの結びつきを強くしてくれます。

☆当事者感
さて、「実在感」「没入感」「臨場感」の3つを説明しましたが、これらには上下関係があります。VRゲーム開発においては、

1.まず没入感を削ぐ要素、臨場感を削ぐ要素を可能な限り排除していく。
  ここは妥協がないこと、ゲーム事情との調整力が大事。

2.その上で実在感のある空間演出に注力する。歌で言えばサビ、
  映画で言えばクライマックスみたいなもので、とにかく頑張る。
  ここは発想力と実行力が大事。

3.ウケるVRゲームの完成だ!

という感じになっており、言ってみれば「没入感」「臨場感」という縁の下の力持ちの上で「実在感」というスターが踊りまくる、みたいな作り方をします。

万全を期した上での実在感ショーに成功すると、プレイヤーは「所詮これはゲームの中の世界でしょ」という冷めた構え方ができない状態になります。これは実在感のもつ「こちらが無視していても『いる』という認識から逃げられない」パワーが最大限に機能して起きることです。そうすると、いっときのゲーム体験といえど、「これは自分の世界で、自分はこの世界に関わる責任があるんだ」という気になってきます。本当はコンピューターが生成した映像と音なのですが、そこを超越していくのがVRの魔力なのです。これを「当事者感」と言っています。

「VR ZONE」にあったVRホラーの体験会に同席した時のことを思い出します。ホラーが苦手な人がVRホラーをやって、怖い場面に出くわして「ギャーッ!」と叫ぶわけです。そして逃げ出したり、その場でうずくまってしまう訳ですね。それを外から見ていた人が「ゲームなんだから、そんなに怖いんだったらVRヘッドセットを外せばいいのに」と言ったんですが、どういうわけかそれを思いつく人がかなり少ない。多くの人が「所詮これはゲームの中の世界」という「非-当事者意識」を忘れ去っていて、その瞬間には「当事者」としての行動しか出来ないというVRのおもしろさが表れていました。

さて、この感覚を意図的に活かしているのが2019年発売の「エースコンバット7」VRモードです。このモードを体験して、没入し、臨場し、実在感の波に揉まれた人は「自分はここから逃げられない、戦うしかない」という気分になってきます。自分自身が敵のミサイルによって撃墜されたときが好例で、煙の中で炎上していくコクピットに「実在するものとして直面」してしまうと、「自分は本当に空戦という生か死かの世界に関わってしまったんだ」という緊張感覚(人によっては恐怖感)を味わうことになります。つまり、空戦の当事者という感覚を覚えるわけです。そこまで当事者意識が出来ていると、「地上の仲間を助けられるのは空を飛ぶ自分しかいない」ストーリーが作り出す気持ちへのコミットメントも強力になりますよね。

ちなみにVRキャラクターでは実在感~当事者感を「目」で作り出すことが強い武器になります。サマーレッスンの開発中テストプレイで起きたことですが、キャラクターと目があわない不自然な状態では、プレイヤーの多数がキャラをただの3Dオブジェクトだと見なして、失礼な行動をする人もいます。しかし目があっていると、この人数は激減します。VRだとわかっているはずなのに、目の前の人物とのコミュニケーションの「当事者」だと認識するよになるわけです。考えるにMyDearestさんの「東京クロノス」でキャラクター達が急にこちらを見てくるシーンにドキッとするのにも「当事者」作用が働いているように感じられます。また、ロボット研究者の石黒浩教授がでロボットづくりのコツとして「目」を挙げているのも似た理由からではないでしょうか。

「目は、人間にとってもロボットにとっても特別な意味を持つとともに、人間やロボットが人間社会と関わるもっとも重要な接点である。」

石黒浩『ロボットとは何か――人の心を映す鏡』(講談社現代新書、2012年。https://www.amazon.co.jp/dp/4062880237


話を戻します。VRゲーム開発の歴史では、まず没入感と臨場感を高める努力があり、その次に実在感という新武器が活躍する時期があり、今はその先の世界として当事者意識を沸き起こらせてストーリーに心からコミットメントしてしまうVRゲームの時代が到来しつつあります。ストーリーまで持ってくればこっちのもので、ストーリーをモチベにするのは普通のゲーム制作でも常道中の常道なので「ゲーム業界の得意分野」だし、ストーリーで心理をコントロールできるのであれば色々なことができます。

ここまで来るともはや、「没入感」「臨場感」「実在感」のような光学的な手段によって脳の反応を引き出す【空間軸のVR体験】を超えていて、より高次元の心理的な体験に至っていると言えるでしょう。さらにこの先を考えると、心理面を軸にしてVRをどう活かすか、という挑戦にもなってきます。

ここで【心理軸のVR体験】というキーワードが出てきます。
そろそろVTuberの話しが出てきます。


VR=空間の魔術 VTuber=心理の魔術

さて、前項のノウハウ解説の中で1点だけ抜いたポイントがあります。サマーレッスンを体験した方であればキャラクターが急に寄ってきて「近い!」とドキドキした方は多いと思います。エースコンバット7 VRモードのMission 2を遊んだ方であれば、落ちてくる爆撃機に「近い!」と肝を冷やした方がいらっしゃるのではないでしょうか。

本人の想定を超えた近さにキャラや物体が来るときの「近い!」の体験は実在感を演出する最大の武器です。この近さで妥協すると実在感は出ませんし、この近さ体験を極大化する努力に毎回すごく工数を割きます。

つまり普通の(空間軸の)VR体験では「空間的に近い」が命なのです。

これを実験までに、心理軸で言い換えてみます。
すると言葉は「心理的に近い」になりますね。


そういえばVTuberって、既存のアニメな見た目をした全てのコンテンツの中で、一番「心理的に近い」存在だと思いませんか?

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あなたが納得したかは分かりませんが、フリー素材の少年は「言われてみれば確かに!」と言っているようですので、進めます。

図にするとこういう感じです。

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この仮説を信じて進んでみます。

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空間的「実在感」をもつVRゲームを遊んだ時の「目の前のこれは本物の物体だ」という気持ちは、VTuber配信で感じる「今触れているこれは本当の感情だ」という気持ちと置き換えられるのではないでしょうか。これらは「空間的に感じる近さ」と「心理的に感じる近さ」という対称関係に見えます。

★ガチ感
こうして発見したVTuberに対する気持ちを「ガチ感」と暫定呼称します。「実在感」に比べて、急にアレなネーミングですみません。良い言葉あれば募集中です。
これも英語だとすごく良い言葉があって、Authenticityという言葉で呼ぶべきだと思います。オーセンティックバーのオーセンティックと同じです。オーセンティックバーは「ガチのバー」ですよね。

ここでは「配信者の感情の本当感」に限定してガチ感としていますが、広義の「ガチ感」(Sense of Authenticity)は「作り物でない感」と言うべきです。そしてこれは、そもそもYouTubeの運営サイドがヒットの要因の1つだと言及している重要な概念なのです。

ポイントはアマチュアのように見せることではなかった――「本物らしく見せること」だったのである。YouTubeの動画にある良さは、動画という作品、それをつくった人々、それを見る他の人々と、私たちがつながることを妨げてしまう「作りもの感」が取り除かれている点にある。それは私たち視聴者が最も望んでいることだ。

ケヴィン・アロッカ『YouTubeの時代 動画は世界をどう変えるか』(小林啓倫訳、NTT出版、2019年。https://www.amazon.co.jp/dp/4757103840/


"Authenticity"で検索していたらこんな記事も出てきました。

これは筋が良さそうです。では一気に「VRゲームの3要素」を「VTuberの3要素」にする実験を片付けてしまいましょう。私の考える結果はこれです。

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VRゲームの「没入感」はVTuberの「共感」に、VRゲームの「臨場感」はVTuberの「一体感」に変換してみました。これらもそれぞれヒントがあります。

★共感
「共感」は最近やたら身近でもキーワードになっているのですが、とくにここに当てはめるのに相応しいという自分の中で決めたのは、以下の文を読んだ時です。

規模を争う時代は終わり、機能を比べることに意味はなくなり、これからの市場を動かすのは共感となった。

動画の発信者そのものに共感を集める物語を作らなければ、動画を作る意味はない。

明石ガクト『動画の世紀 The STORY MAKERS』(ニューズピックス、2020年。https://www.amazon.co.jp/dp/B08BZ8TJC5/

「没入感」は現実に仮想(架空)がじわっと染みてくる印象、とお話しましたね。「現実と架空がいい感じに一緒くたになっていて、めちゃ馴染んでいて、どっちがどっちとか気にならない心地よい状態」です。一方、我々がVTuberはじめインフルエンサー配信者から得られる共感はこう表現できると思います。「配信者の感情と自分の感情がいい感じに一緒くたになっていて、めちゃ馴染んでいて、どっちがどっちとか気にならない心地よい状態」。
こういう瞬間に得られる「共感」がVTuberを観るのをやめられない理由だ、と言われればピンと来ます。
「アレがたまんないんだよ!」と好きなものを自分の言葉で一生懸命語るインフルエンサーの言葉。ゲーム実況に食い入るように見ていて、大勝するか惜敗したときの実況者の叫びリアクションを聞いたとき。応援し続けてきた配信者が大舞台に立ち、そこまでの苦難や努力を振り返って感極まってしまうところに立ち会ったとき。これは最初は「所詮は画面の向こうの映像」と思っている視聴者の自分自身の感情という明確な境界線の内側に、配信者の感情という液体がジワッと染みてきている感じと言えるでしょう。端的な話し、この瞬間にスパチャが飛ぶことの多さからしても、この「共感」はとても強い魅力エネルギー源だと言えます。

★一体感
他のアニメ的キャラクターコンテンツとは一線を画すVTuberの強みの一つとして、コミュニティの組成力が挙げられます。これの根源は一体感でしょう。VRゲームにおける「臨場感」とは自分と世界の結びつきの強さだとお話しましたが、VTuberにおける「一体感」とは自分(たち)と配信者の結びつきの強さだと言うことができます。その場の一体感が人間の感情に高揚感をもたらし、コミュニティを組成していくことは特に文献を引く必要もない自明のことかと思います。
VTuberはこの「一体感を生成するシステム」がビルトインされているのが強く、コミュニティ・ビジネス的なマネタイズが盛んであるのも頷けます。VRゲームでは「没入感」「臨場感」→「実在感」→「当事者感」からストーリーコンテンツ的なマネタイズの目が見えてきつつあるのになぞらえれば、VTuberでは「ガチ感」「共感」→「一体感」→「高揚感」からコミュニティビジネス、例えばサブスクリプションやコミュニティ向けグッズ販売がトレンドになっていくのかもしれません。


具体例:VTuberコラボの勘所(私説)

説明が長かったので、別な具体例で納得感を補強したいと思います。

VTuberコラボ、表に出ていないものも含めて色々と検討してきたり、VTuber業界の各社さんと意見交換をしてきておりますが、個人的な勘所としては

「リスクを恐れ過ぎて、台本でコントロールしようとしない」

「認知最大化を狙ってチャンネル登録者の多い順から依頼しようとしない、それより大事なのは『その人がコレを好きかどうか』」

「ゲームの魅力が伝わる度合いや目立ち度合いも大事だが、第一にはその人のコミュニティに好かれるためにはどうすればいいかを考えたコラボにする」

あたりが重要だなと考えてきています。
これを、今まで検討してきた3つの要素から説明してみることにします。こんな図になります。

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今回考えたVTuber業界の3要素があるがゆえにそう言えるんだな~、と腹落ちしますね。やはりこの3要素こそが、VTuber業界と付き合っていく上での注目すべき魅力3点セットなのではないでしょうか。

さて、流石にここまで整理をしてみると、あまりにアプローチの構造が似ているので、「VR(少なくともVRゲーム)は空間的VR業界、VTuberは心理的VR業界と呼ぶことができるのではないか」という仮説を立てても良い気がしてきますね。
図で整理するとこんな感じです。

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いかがでしょうか。
「空間軸の現VR業界」と「心理軸のVTuber業界」はこのように魅力要素を相似的に持っている。その魅力感覚の根源にある心的作用はほぼ同じで、その次元ではつながっている。

こうして、VRとVTuberを心的作用の面からつなぐ統一理論っぽい何か(Version 0.1)が出来ました。


後半へつづく

後半では、

心理的VRの系譜、その最先端としてのVTuberとVRChat

VR業界とVTuber業界の「ユーザー親和性」が現状ないのは事実。この問題を解決していく方法はないのか?

総合的「バーチャルキャラクター産業」のフェーズへ発展するには

について書きます。(つづく)