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19冊目*対岸の家事(朱野 帰子)

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<あらすじ>
何をやるにもゆっくりな詩穂は、家族や自分の性格を顧みて「家事をすること」を仕事に選んだ専業主婦。娘とたった二人、途方もなく繰り返す毎日。幸せなはずなのに、自分の選択が正しかったのか迷っている。
そんな彼女のまやりには、性別や立場が違っても同じく現実に苦しむ人たちがいた。自分に熱があっても休めない多忙な二児のワーキングマザー。医者の夫との間に子どもができず、舅姑や古株患者にプレッシャーをかけられる主婦。外資系企業で働く妻の代わりに、育休をとった1歳の娘の父親。誰にも頼れず、いつしか限界を迎える彼らに、詩穂は寄り添っていく。果たして自分にできることとは…。

<感想>
詩穂という人と全く同じ。自分は物事を二つ同時に出来ないと思い、妊娠を機に「専業主婦」をした。

年齢的にもまだ「三歳児神話」とか「母性神話」なる言葉が燻っている時代だ。高校時代は「良妻賢母になるために〜」だとか、社会人なりたてのころにかけられた言葉は、「どうせ腰掛け社員なんだから…」だということまで思い出してしまった。

自分の性格と、妊娠をすれば家に入っていくという昔から見聞きした流れが合致した形だ。

出産後、一ヶ月は水を触ってはいけないと実母に言われてとにかく子供や自分のことだけしていればいい、パラダイスな時間を過ごした。

そのあとだ。
親獅子が子獅子を崖から突き落とすが如く、というのが正解かわからないが「子育てがんばれー」と送り出され、家で途方に暮れた。

最初の数日は、「チョロい」などと舐め腐った態度をとっていたが、すぐに何もかもがうまくいかなかった。

世界から取り残された、とか暗闇に立ち尽くしたという表現がしっくりくる。小説の中にも「穴に落ちる」とあるが、まさにそれだ。孤独になりやすい立場なのだ。

さて、育児を絡めてしまうと話がややこしくなるのでそれはまたの機会として、小説の表題「家事」についての私の意見。

家事とは生きるに繋がる。息をするのと同じで、誰でもできることではないか!?これは小手先で出来るという意味ではない。誰でもやらなければならないこと、これだ!!

もう既に女がやるべきこと、ではない。
得手不得手は、あるだろう。それはそれだ、人間らしく生きることができれば良しとしよう。

家族がいれば家族一丸となって、家事をやる。
もうそこで孤独からの脱却が出来るはずだ。

名前のない家事、これが割と多い。
テーブルに置きっぱなしのゴミをゴミ箱に入れるだとか、裏返したままの靴下を戻して洗濯機にいれるだの、扇風機についた綿埃を取って捨てるだの…ほら、誰でも出来るでしょ?

「ありがとう」という言葉も嬉しいが、ここはひとつちょっと動いてくれまいか…と言いたいあの人(私の場合は、夫や子ども)に教えてあげたい小説だった。

「対岸の家事(朱野 帰子)」 https://www.amazon.co.jp/dp/4065237122/ #読書管理ビブリア

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