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80冊目【本のはなし】拝啓 自由なあなた 話しませんか?/書活58日目

オードリー・タン氏からの手紙を受け取った。
かの人は、台湾のデジタル担当大臣だ。

拝啓 私 
あなたは誰に手紙を書くのだろう。


私は紙が大好きだ。
その原点は、就職浪人になってしまい「不合格通知」にも見慣れてしまって、腐っていた頃。くさくさしていても仕方がないと、アルバイトをはじめた。


アルバイト先は、老舗の文房具屋さんが、新しく出店する店舗だった。オープニングスタッフとして準備をしながら、取り扱う商品の勉強会などにも参加した。


文房具といっても趣向の変わった店。万年筆、それに伴うインク、ペン、カード、レターセットなど「手紙」にまつわるものばかり。


私の担当は、カードやレターセットだった。担当ということもあり、たくさんの「紙」に関する諸々を教わった。なかでもコットンペーパーというものがお気に入りになった。


和紙の紙漉き(かみすき)体験をしたことはあるだろうか?片栗粉を溶かしたような、どろっとした液体を枠に入れて乾かすと紙になるというもの。場所によっては、季節の草花を入れ込んだり、色紙を入れたりとオリジナルのものが作れるのが楽しい体験だ。


コットンペーパーは、その和紙のようで、最初の手触りはざらりとしているが、肌に馴染むような柔らかさが特徴の紙。


コットンペーパーに一目惚れしたといっても過言ではない。紙類、レターセットやカードの勉強会の講師は、当時の店長が行ってくれた。万年筆を使って実際に文字を書いた時だ。


その時、はじめて万年筆を触った。慣れない筆記具に戸惑いつつ「あ」という文字をコットンペーパーに書いた。カリカリとペン先が引っかかるような書きごこち、やがて紙の繊維に沿って、インクが滲んでいく様子、私のへなちょこな文字でも上等な着物を着たような上品な仕上がりとなった。


習字を書いた時の心地だ。気分が晴れていく。


この上等な用紙に、特別な筆記具で私は誰に手紙をしたためようか…そう考えて、早二十数年。筆記具を持つよりも、スマートフォンをフリックする方が多くなってしまった。


拝啓 誰かさん
オードリー・タン氏からの手紙を受け取りました。


現在、我が家は地上波をやめているけれど、コロナ禍の中頃まで、テレビがつけっぱなしの状態だった。世の中が静まり返って怖かったからだ。


その時によく見かけていた「オードリー・タン氏」素晴らしいと言われていたが、切り抜かれた報道だけでは、何がどうすごいのかがわからない。かの人自身の言葉を聞きたいと開いた本だ。



オードリー・タン 自由への手紙(クーリエ・ジャポン編集チーム)


かの人の手紙で一番ひっかかった言葉。「自分の自由のために、誰かの自由を傷つけあってはならない」偽善的だ。


なぜか。世界は不平等だからだ。それについて嘆くばかりで目を背けている。何をしたって変わらない世の中だから、未来など思い描けない。今、生きるのに精一杯なのだから。


しかし、我が家には可愛らしい未来がいる。このまま諦めてしまった場合、彼らに残せるものが何一つない。そして、せめて私たちが、いや私が「幸せな時代を生きた」と胸をはりたい。タン氏の言葉によって、意識が変わった。


理想の言葉「自分の自由のために、誰かの自由を傷つけあってはならない」それに続く言葉として「ざっくりとした合意」があった。そう、ざっくりとした合意こそ、現代の、日本という国の、そして私の必要とする言葉なのだ。完璧な合意など、人は死なないというくらいありえない。


自由とは何か?これは、出会う人とも違うし、自分自身の価値観ですら人生の中で何回も変わる。



自由とは、お金なのか時間なのか、恋愛か、生き方か、表現の仕方か。現在の私は「お金=時間の自由」に着目している。



さまざまな悩みは、だいたいこの二つがネックとなっているのだ。今の悩みは、子育てが多い。


子どもの学費問題、体験学習、習い事等、やりたいと言われればなんとかしたいがどうにもならないのが現状。


ここで立ちすくむが、何度も問いかける。本来の学びは「この世の中にある、五感で感じるすべて」なはずだ。教育=お金としてしまうから格差が生まれる。


確かに机上の勉学は必要だ。しかしそればかりに囚われてしまったからこそ、頭でっかちな社会が育ってしまったのではないか。


もう少し柔軟に考えたい。ああ、誰か私と話をしてほしい。お互いの自由をざっくり認め合うあなたがいい。

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