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お願い!私の話を聞いてください

貴島さんの言葉で、我に返った。

知らず知らずの内にバンドを始めたきっかけを思い返していたことを貴島さんに話していた。

私が、会社の人に、それもうんと年の離れた男性に、言葉にして伝えるなんて。

自分が信じられない。

私が、封印したはずの開かずの箱を開けて、他人に見せるなんて信じられない。

どうかしたのだろうか。

貴島さんが、魔法を使ったのだろうか。

やっぱりオトーサンは、私が作り出した偶像なのかもしれない。

私は偶像に向かって話しているだけなろうか。

私は魔法にかかって、偶像に話せるだけでも、幸せ。

そう思わせる貴島さんは、偶像でもいい。

そこにいてくれるだけでいい。ずっとこのままでいたい。

たぶん貴島さんは、特別な存在なのだろう。

何だか分からないけど、人間として引きつけられるものを感じる。


引き込まれるのと同時に、私の全てを包み込んでくれる温かいものを感じる。

私は貴島さんにカシミヤのブランケットの様な温もりで、包み込まれたい。

私の全てを包み込んでほしい。

お父さんの傷痕の残っている思い出も、優しく包み込んでほしい。

私にとって、貴島さんは特別な存在。

全てを受け入れて欲しい。

「ごめんなさい。何か自然に、何もかも自然に話してしまいました。貴島さんが、目の前にいらっしゃることを忘れてしまっていました。一方的に話してすいませんでした。お気を悪くされませんでした?」

「いや、そんなことはありません。その続きが聞きたいです。それからどうなったか、知りたいな」

「そうですか。良かった。はい、バンドに加入したところからですね」

私は、さっきまでと違って、貴島さんの目を見て、ゆっくりと話す。

私は貴島さんに全てを知ってもらいたいから。

私は、私と言う存在を分かってくれる人が欲しかった。

オトーサンは私が思っていた通りの人だった。

オトーサンが、今目の前にいる貴島さんでよかった。

貴島さんに全てをさらけ出そう。

貴島さんなら、全てを受け入れてくれるような気がするから。

私は、思いつくままに話した。

私が、加入してから今までの、素人バンドが嘘みたいに変わりました。

私の作った曲をヤマギシ君が荒々しく歌う。

テクニックを使わずにストレートに歌うのが返ってよかったみたいです。

時々音程を外すけど、その方が素朴な手作り感が出て、歌がしみるのです。

本当は内気で恥ずかしがり屋のヤマギシ君が、それを精一杯振り払うように歌う姿が「青春」と言う表現にぴったりと当てはまったのかも知れません。

でも、最初から上手く行ったわけではありません。

ヤマギシ君のオンチは、本当にひどいのです。

出だしで外れると、後は最後まで外れっ放しで、聞くに堪えないのです。

何遍やってもダメで、真剣にやめようかと思いました。

考えた末に、出だしを私と一緒に歌うように曲をアレンジしました。

最初の一章節をゆっくりと入るようにして、私がコーラスとして一緒に歌います。

普通の人なら、耳で聞いて音を取ることが出来るのですが、ヤマギシ君は全く取れません。

だから、私が手で、上がっているとか、下がっているとかを合図します。

音が取れると、OKサインを出して、ソロになるようにしました。

まるで、幼稚園でオルガンを弾いている先生みたいな感じです。

ヤマギシ君は、最初は恐々と自信なさげに歌っていますが、OKサインを見ると、水を得た魚の様に声を張り上げて歌い始めます。

そんなのは、聴いている人にはわかりませんから、スローから急にアップテンポになって、曲調が替わりますから驚きます。

それからは、ヤマギシ君の爆走するままに任せます。

最初が決まれば、後は何とかなるものです。

面白いように受けました。

観客が総立ちになります。
私の作った歌が、こんなにみんなに感動させることが出来るのかと驚きました。

私は、お父さんの面影をただ思い出して歌っていただけなのに。

私は、自分の作った曲がこんなに沢山の人に喜んでもらえるとは、夢にも思いませんでした。

それよりも、ヤマギシ君があんなにオンチなのに、あんなにシャイなのに、ステージであんなに変わるのが、驚きでした。

まるで、魔法にでもかけられたように変身するのには、びっくりしました。

出だしの時の彼の不安な表情、私がOKサインを出してからの暴走。

私は、そのギャップが好きでした。

私が、私以外の他の人の旅立ちをお手伝いしていることに喜びを感じました。

他のメンバーに対しても、私を頼って来ているのも分かっています。

でも、ヤマギシ君は、別の存在。

私なしではいられないのだと思いました。

その時、私を見ていた貴島さんの目が急に私を通り抜けた。

その目は、オトーサンの目でもなかった。

見たこともない目だった。

湧きあがる感情を押さえ込み、必死に耐えようとする目。

その瞳には、なぜかヤマギシ君の姿が映し出されていた。

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