見出し画像

眠れない夜。最近よく見る夢。

彼女が、私に亡くなったお父さんを投影しているならば、先程彼女を「女」として感じたことを恥じなければならない。

彼女の家に、手料理を食べに来てと、誘われただけじゃないか。

それだけなのに、何で動揺しているのだ。

私は、彼女に下心を持っているのだろうか。

紳士面しているが私は、ただのおじさんに過ぎないのだろうか。

部屋に入ったら、足の臭いは大丈夫だろうか。

自分では気づかない体に染みついた加齢臭を発して、彼女の気分を悪くしないだろうか。

考えれば、考える程に不安になる。

ベッドに入ってからも、思考がその辺のところを回転していて、中々寝付かれない。

知らない内に夢を見ていた。

最近、よく見る夢だ。

会社に入って間もない頃、札幌の営業所にいたことがある。

40年も前のことだが今になってもよく見る。

冬になると毎日毎日、雪が降る。

最初は、すごく新鮮だったが、二日もすればすぐに飽きた。

雪が普段降らない地域に住む人間とっては、雪が降って積もるということは、全ての街の機能がストップということだ。

交通機関も止まるし、学校も休みになる。

雪が降って、積もるということは、休日を意味するのだ。

突然やってくる安息日なのだ。

しかし、驚いたことに皆平然としているのだ。

ここでは、それが普通なのだ。

ごく当たり前のことなのだ。

北国に住む人にとって雪かきは、歯磨きのような朝のルーティーンに過ぎないが、雪の降らない土地から来たものにとって、それは強制労働のように感じる。

私は、次第に雪が心の中に降り積もる重圧のように感じてきた。

重苦しく私の心を押さえつけてきた。

私は、いつ終わるとも知れない冬そのものを、嫌いになってきた。

冬と言う容赦のない試練の前に、なすすべもなく立ちつくすだけだった。

そしてこの地に住む人たちすべてが、戒律の厳しい生活の中で暮らす修行僧のように思えた。

周りの人に畏敬の念を抱くようになった。

私は冬の荒れ狂うオフォーツク海に突然投げ込まれた小さな水槽で泳ぐ一匹の熱帯魚だった。

このままでは、耐えられない。

私は、憂さを晴らすように毎晩ススキノに繰り出した。

そこだけが、私を解放してくれる場所だった。

人間の欲望の全てを満たしてくれるオアシスだった。

最初は、先輩に連れられて行っていたものが、慣れてくると、一人でも行き出した。

会社が終わると、そそくさと向かい、終電がなくなっても、飲んでいた。

会社が終わってから、寝るまでをススキノで過ごしていた。

ススキノの夜の世界は、道内の人が言う「内地」の人にとっても、分け隔てない憩いの場でありくつろげる場であった。

私は、未だにその当時のこと断片的に思い出すことがある。

思い出す度に、今の生活と全くかけ離れたところに私がいることを実感する。

私は、まだ若かったのだ。

その頃の夢をよく見る。

いつも、同じ夢だ。

雪の積もる真夜中の街を彷徨い続ける夢だ。

いつも夢から目覚めた時、私はまだそこから抜け出していない様な気がする。

そして、その夢は自分の人生を暗示しているように思えるのだった。

サポート宜しくお願いします。