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娘が旅立った時(『天国へ届けこの歌を』より)

 「コーダミツキ」を目の前にして、話を聞いていると、一人娘のカンナと二人でいるような気がする。

 私は、カンナが、一人でとりとめのない話を黙って聞くのが好きだった。同じ年頃だろうか。娘の声とは違う、流れるピアノの音色のような彼女の声を聴いていると妙に心が落ち着く。このままずっとその音色を聞いていたいような気がする。

 「コーダミツキ」の話を聞いて、カンナが初めて補助輪なしで自転車に乗れたと時のことを思い出した。私は、彼女の父親の様にしっかりと荷台を持って支えていた。カンナは、私が支えているのをいいことに勝手気ままに自転車をこぎ出す。

 「お父さん、しっかり持っていてね」
カンナは、補助輪の子供じみたガラガラという音から、解放されたのが余程嬉しいらしく、公園の周りの舗装された遊歩道を何周も回る。私は、ついて行くのがやっとだった。
「お父さん、しっかり持っていてね」

 カンナは、私が息をはあはあと言わせて、汗まみれになりながら付いて来ているのが、嬉しいらしくますますスピードを上げてゆく。腰をかがめて両手で荷台を持って、走るのが段々と辛くなってきた。しまいには、支えるというより、引き摺られるように、自転車について行く。カンナは、お構いなしにスピードを上げる。

 あっと、思った瞬間に手が離れた。

 「お父さん、ちゃんとついてきてよ」

 と、笑い声と共にカンナは、離れて行った。籠から、抜け出した小鳥のように羽ばたいて行ってしまった。巣立って行ってしまった。

 私に、何とも言えない寂しさと不安が襲い掛かった。カンナが、何処か遠いところに行ってしまうような気がした。必死に追いかけた。カンナは、自由を得たのが、余程嬉しいらしく、益々離れてゆく。

 力尽きて、もう走れないと思った時、カンナの自転車が大きなブレーキの音を立てて止まった。

 「こら、勝手に行ったらだめだよ。危ないじゃないか」

 「お父さん、私一人で乗れたよ。もう平気だよ」

 カンナの自慢気な顔を見たとき、安心した。しかし、それ以上に寂しさを感じた。さっき見た時よりも、大人びたように見えた。

 カンナが、今までと違って別の世界へ行ってしまったような気がした。カンナは、私の手を離れて、旅立ってしまう。寂しい。心のどこかでこのままで居て欲しいと思った。

 それから、カンナが成長して行く姿が走馬灯のように浮かんできた。カンナは、その時から巣立ってしまったような気がした。

 「コーダミツキ」の話を聞いていて、思い出してしまった。思い出した途端、不覚にも涙が出てしまった。この歳になると、妙に涙もろくなってしまう。


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