見出し画像

時代小説『龍馬が月夜に翔んだ』第17話「警護の隙を狙え」

中岡慎太郎は福岡孝弟邸の潜戸で、陽が落ちるのを待っていた。

呼びつけておいて、福岡さんは不在であった。

座敷にも通されず、板の間の控えの間で長い間待たされた。

火鉢もなく、茶の一つも出されなかった。寒くてしょうがない。

何という対応だ。

大体において土佐藩自体が何ごとにおいても、連絡が悪すぎる。

だから、取り残されるのだ。

土佐の者誰もが、薩土盟約が破棄されて、薩長同盟が結ばれたことを知らないはずだ。

これをされると、大政奉還しても土佐藩は国家の主役からはずされるのだ。

そもそも徳川と土佐藩や親藩が主導権を握ろうとすること自体が間違っていたのだ。抜け駆けしようとするから、返って反感を買うのだ。

それは、やはり藩主の資質の問題だ。

全ては豪放磊落な山内容堂様のせいだ。わしは庄屋をしていたからよくわかる。治めるものと、実際に管理をするものとは、違うのだ。

容堂様は、その点分かられていない。一刻も猶予は出来ないのだ。

ともかく、早くここを出なければならない。

結局、陽が落ちても、福岡は戻ってこなかった。

人通りも絶えてきた。

昼間追いかけてきてつけ狙っていた新選組らしき連中も、もう諦めただろう。

しばらくすると潜戸の隙間から、一人の侍が通り過ぎるのが見えた。

懐手にして、ふらふらと気楽そうに歩いている。

今から遊郭にでも出かけるのであろう。酔狂なものだ。

こんな侍を見ると、幾分緊張が解ける。

もう大丈夫だろう。

「今だ、出るぞ」

谷干城と田中光顕に呼び掛けて、潜戸を抜け出した。

最後に出た谷が潜戸を後ろ手に閉める時に、太刀の鞘と戸が挟まって、鉄が打ち合ったような音を立てた。

それは人通りの少なくなった河原町通りを冷たい風に乗って駆け抜け、土佐屋敷の白壁に当たって木霊した。

「しまった」

さらに驚いた。

通りに出た途端に無数の提灯の光を浴びせられたように感じた。

眩しい。

空を見上げると月が出ている。

それも、みごとな満月だ。

地面には三人の影が大きく伸びている。咄嗟に腰をかがめるが、影絵に映る盗賊のようでますます怪しく見える。

これほど明るいならば、いっそのこと、白昼堂々とあるいた方がましだった。

後ろで、何やら声がかかった。

前を歩く遊郭通いの藩士を呼び止めたものと思う。

何もこんな大通りで大きな出さないでもよいものを無粋な。

と思った瞬間に、前を歩く男が両手を拡げて振り向いた。

「こなくそ」

酔っ払いか?

土佐ではないが聞き覚えのある言葉だ。少なくとも、敵対関係にある江戸の言葉ではない。

身分を名乗れば、通してくれるはずだ。

名乗った。

返事はない。

その代わりに、

「目標発見」

突き刺すような大声を背後の集団に発した。

我々のことか。

見つかってしまった。

その時、背後でかすかな鈴の音が聞こえた。

振り返った。

月夜に浮かぶ五つの影。

風体は分からないがそれぞれ手に持つ得物が月光を浴びて冷たく光っている。

その五つの影が音もたてずに、少しずつ近寄ってきている。

しまった挟まれた。

こうなれば強行突破しかない。

しかし、前に立ちふさがる侍からは、のけぞるような「気」が発せられている。しかも、徐々に腰を落しながら、拡げられた手も大鷲が羽を閉じるように刀へと近づいている。

酔客ではない。ただものではない本物の刺客だ。

斬られる。

断崖絶壁の際に立って、槍を突き付けられているのと同じだ。

恐怖のあまり、谷が刀を抜こうとする。

「だめだ、抜くと斬られる」

中岡は、押しとどめた。

前と後ろを挟まれた。

万事休す。

逃げられない。

ふと、横を向くと、明かりが漏れている町家がある。幸いなことに、路地に面した勝手口は開いている。

飛び込むぞ。

三人がなだれ込むように勝手口に向かった。

中岡が先に入って、続いて田中、最後に谷が入った。中岡が勝手口を慌てて閉めた。又、谷の鞘が挟まった。先程よりも大きな音が響いた。それでも、中岡は無理やり力任せに閉めようとする。

仕方なしに、谷は差していた刀ごと引き抜くしかなかった。

弾けるような大きな音がして、戸が閉まった。

中岡は、念入りに支え棒を入れて、外から開けられないようにした。

この騒ぎに驚いて、奥から主人の井口新助が出てきた。

「これは、これは、中岡さん。どうかしはりました」

知った顔。

この醤油の匂い。近江屋か。確か坂本さんがかくまってもらっているはずだ。

「追われている。暫くかくまって欲しい。坂本先生に中岡が来たと伝えてくれ」

坂本龍馬の警護をしている藤吉は、階下が騒がしいので、階段の上でそっと様子を窺っていた。

「藤吉さん。お客さんが来はりました」

主人の問いかけに藤吉は答えず、すっと龍馬の潜んでいる部屋に向かった。

そして、すぐさま音を立てずに戻ってきた。素知らぬ顔で、階段を下りる。

この男が、長岡謙吉が見込んで料亭から用心棒に連れてきた藤吉か。

確かに、元力士だけあって見上げる程の大男だが、顔だけを見ると色白の童顔で、優しい顔つきをしている。

「坂本先生は居はりませんが」

それでも、中岡は無理やり大小の指物を無理やり藤吉に預けて、お構いなしに二階へ上がって行った。

依然にも、訪れたことあるので龍馬のいる部屋は分かる。

二階から、蔵に抜ける隠し通路を通って行く。通路を抜ければすぐそこが、龍馬が隠れている部屋だ。

何と、そこには先回りして、藤吉が立ちはだかっている。

狭い通路に、藤吉の大きな身体が一分の隙も無く埋まっている。先程の童顔が打って変わって、相撲取りの勝負師の顔になっている。これ以上先には通さないぞという気迫がこちらまで伝わってくる。

相撲取りだけに、寝技には弱いはず。

思いっきり体当たりして、大きく跳ね返された。

よし行ける。今度も体当たりすると見せかけて、藤吉の両襟を掴んで、自ら後ろ向きに体を預けて倒れ込んだ。藤吉は、思わず前のめりになった。中岡の上に藤吉が、かぶさって倒れた。大きな音がした。

「ほたえな」

部屋の中から龍馬の声が聞こえた。

やはり、龍馬はいる。

藤吉も、中岡と知っているだけに手荒なことはできず、元力士だけに倒れ込んだ相手を抑え込む術をも知らなかった。

中岡は、分厚い布団をくぐり抜けるように、藤吉の体をすり抜けた。

思いっきり、今声の聞こえた部屋の戸を叩き、開けた。

そこには、今にも火を噴きだそうとする銃口が目の前に迫っていた。
       
                         つづく

 

 

この記事が参加している募集

歴史小説が好き

サポート宜しくお願いします。