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短編小説『迷える子羊』

私たちは、現役高校生の青春パンクバンドとして、人気が出てきました。

色々なライブにも、フェスにも少しずつですが、オファーが来るようになりました。

高校三年になっていたヤマギシ君ら三人は、進学を諦めて音楽の道に進みことに決めていました。

でも、私にとってその夏が、最後の思い出になりました。

新人バンドの登竜門と言われた「フラッシュゲート」と言うのが、関西で知る人ぞ知る音楽フェスなのですが、私たちも何とかエントリーすることが出来ました。

ここで、人気が出てメジャーデビューするバンドは多いのです。

私たちのような無名の高校生バンドが出るのが初めてのことで、みんな気合が入りました。

私たちは、新進気鋭ということで何とこのフェスのオープニングを勤めることになりました。

若さでこのフェスを盛り上げるということなのでしょう。

とにかく、私たちは、若さを前面に打ち出して、盛り上げないといけないと思いました。

いよいよフェスが始まりました。

こんなに人が一杯いるなんて驚きました。

それよりも驚いたのが、観客の一人一人が私たちの全く知らない人達ばかりだということでした。

私たちの全く知らない人。

その人達は、私たちを品定めするようにオークションの立ち合い人のような目で私たちを見ているような気がしました。

ボーカルのヤマギシ君の緊張している姿が目に浮かびます。

大丈夫かしら。

でも、いつもの通りにワタシがリードしてあげれば何とかなる。そう思っていました。

「前座だもん。気楽に行きましょうよ」

何時も通り、調子はずれのドラムの松村君のカウントが始まりました。
 
    ♬夕暮れ
  色あせる街並み

ヤマギシ君の声が全く聞こえてきません。
 
    ♬光りを失ってゆく街に
  窓に灯りだす明かりは
  私には眩しすぎる

「ヤマギシ君どうしたの?歌ってよ。小さくてもいいから、とりあえず声だけでも出してよ」

ヤマギシ君は、まるで死刑の判決を受けた囚人の様にうなだれたままです。

「ヤマギシ君。こっちを見て。ワタシを見て」
 
   ♬涙でかすむ
  頬をつたう涙の
  そのぬくもりが欲しい
  あなたは何処へいってしまったの
  あなたの思い出だけを
  追いかけるのは
  辛すぎる

気が付けば、ワタシの声だけが会場に響いています。

「ヤマギシ君の意気地なし」

ワタシは、ヤマギシ君のギターを奪い取って、マイクに向かいました。
 
    ♬あなたが好きだった
  言葉にならないほどに
  あなたが好きだった
  身体が震える程に
  あなたが好きだった
  あなたが好きだった
  言葉にならないほどに
  あなたが好きだった
  身体が震える程に
  もし、また会えたのなら
  「ごめんなさい」と言う
  そして「ありがとう」
  そして「ありがとう」
  そして「ありがとう」

結局、私がひとりで一番を歌い切ってしまいました。 

気が付くと、ヤマギシ君がステージの真ん中で、生まれたばかりの子羊の様に震えて、目には涙を流しています。

「ヤマギシ君の意気地なし」

気が付いたら、手にしているヤマギシ君のギターを逆手に持って、頭に叩き付けてしまいました。

今でも、ワタシがあんなことができた何て信じられません。

ヤマギシ君は、マイクを持ったままステージの真ん中で倒れ込みました。

しまったと思いました。

ヤマギシ君に怪我をさせたんじゃないかと思いました。

観客は、ワタシの行動に驚いたようです。

でも、それがパフォーマンスと受け止められたのか、大いに盛り上がってきました。

マイクは、ヤマギシ君の嗚咽を拾いました。

場内は、またしんと静まりかえりました。

ヤマギシ君の絞り出すような嗚咽だけが響き渡ります。

私も、知らず知らずの内に涙がこみ上げてきました。

その時、ヤマギシ君は倒れたまま、断末魔の病人のような声で、歌い出しました。
 ♬光りを取り戻した街に
  窓を銀色に反射する輝きは
  私には眩しすぎる
  涙でかすむ
  頬をつたう涙の
  その輝きが欲しい
  あなたは何処へいってしまったの
  あなたの思い出だけを
  追いかけるのは辛すぎる
  あなたが好きだった
  言葉にならないほどに
  あなたが好きだった
  身体が震える程に・・・・・・

ヤマギシ君は立ち上がって、徐にTシャツを脱ぎました。上半身裸です。

脱いだTシャツを振り回しながら、今までとは、別人みたいに狂ったように歌い始めました。

観客もそれにつられて、それぞれに奇声を上げながら、拳を突き上げます。
 
 ♬あなたが好きだった
  あなたが好きだった
  言葉にならないほどに
  あなたが好きだった
  身体が震える程に
  もし、また会えたのなら
  「ごめんなさい」と言う
  そして「ありがとう」
  そして「ありがとう」
  そして「ありがとう」

 
ヤマギシ君が私の方に目を向けました。

「ごめん」と言っているのが分かりました。

彼が何をやろうとしていているのが、分りました。

ヤマギシ君は、私が封印しているパフォーマンスをやろうとしているのです。

「馬鹿」私は返しました。

「ごめん、ごめん」

彼の済まなそうな顔が可愛くて、憎めなくて、今でも思い出します。
 
 ♬あなたが好きだった
  あなたが好きだった
  言葉にならないほどに
  あなたが好きだった
  身体が震える程に
  もし、また会えたのなら
  「ごめんなさい」と言う
  そして「ありがとう」
  そして「ありがとう」
  そして「ありがとう」
 

「行くぜ」

ヤマギシ君は、観客の方を指差しました。

封印していたスライディングのパフォーマンスをやり始めました。

観客は、狂ったように盛り上がって行きます。

やっぱり、ヤマギシ君ってすごい人だなと思いました。

同時にバンドの他のメンバーや盛り上がっている観客を見ていると、私はついていけないなと思いました。私だけが、取り残されているのがよくわかりました。

延々と続くと思われたパフォーマンスも、さすがにヤマギシ君は疲れてきたみたいで、足元がふらついて来ていて限界が近づいてきているようでした。
 
 ♬そして「ありがとう」
  そして「ありがとう」「ありがとう」
  そして「あ~り~ぃがあ~と~う」

 
ステージが終わって、楽屋に戻りました。

「山岸くん、ごめんなさい。痛くなかった?」

坊主頭の側頭部が、少し血が滲んでいるのを見て、本当に申し訳ないと思いました。

どうして、そんなことをしてしまったのか、自分でもよく分かりません。

ヤマギシ君は私の顔を正面から見据えました。

「香田さん、本当にごめんなさい。ボクは、ボクは、ダメなんだ。一人で何もできないんだ。本当に、ごめんなさい。助けてくれてありがとう」

私は、さっきまでのステージの勢いが消え失せて、別人のようにしお垂れて涙を流しているヤマギシ君を見ていました。

壊れそうな繊細な心を持って今にも崩れそうなヤマギシ君。

その影の部分を隠すために、無理やり自己演出して派手なパフォーマンスをするヤマギシ君。

どちらも分かっているから、私には痛々しく思える。

その相反する両面が、複雑に絡み合って、私の身体の中で、もやもやしたものが大きくなっていくのが分かりました。

胸が一杯で、息が吸い込めない。あの感じ。

今思うと、それは何の駆け引きもない純粋な恋だったのですね。

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