迷える子羊(後編)
ヤマギシ君は立ち上がって、徐にTシャツを脱ぎました。上半身裸です。
脱いだTシャツを振り回しながら、今までとは、別人みたいに狂ったように歌い始めました。
観客もそれにつられて、それぞれに奇声を上げながら、拳を突き上げます。
♬あなたが好きだった
あなたが好きだった
言葉にならないほどに
あなたが好きだった
身体が震える程に
もし、また会えたのなら
「ごめんなさい」と言う
そして「ありがとう」
そして「ありがとう」
そして「ありがとう」
ヤマギシ君が私の方に目を向けました。
「ごめん」と言っているのが分かりました。
彼が何をやろうとしていているのが、分りました。
ヤマギシ君は、私が封印しているパフォーマンスをやろうとしているのです。
「馬鹿」私は返しました。
「ごめん、ごめん」
彼の済まなそうな顔が可愛くて、憎めなくて、今でも思い出します。
♬あなたが好きだった
あなたが好きだった
言葉にならないほどに
あなたが好きだった
身体が震える程に
もし、また会えたのなら
「ごめんなさい」と言う
そして「ありがとう」
そして「ありがとう」
そして「ありがとう」
「行くぜ」
ヤマギシ君は、観客の方を指差しました。
封印していたスライディングのパフォーマンスをやり始めました。
観客は、狂ったように盛り上がって行きます。
やっぱり、ヤマギシ君ってすごい人だなと思いました。
同時にバンドの他のメンバーや盛り上がっている観客を見ていると、私はついていけないなと思いました。私だけが、取り残されているのがよくわかりました。
延々と続くと思われたパフォーマンスも、さすがにヤマギシ君は疲れてきたみたいで、足元がふらついて来ていて限界が近づいてきているようでした。
♬そして「ありがとう」
そして「ありがとう」「ありがとう」
そして「あ~り~ぃがあ~と~う」
ステージが終わって、楽屋に戻りました。
「山岸くん、ごめんなさい。痛くなかった?」
坊主頭の側頭部が、少し血が滲んでいるのを見て、本当に申し訳ないと思いました。
どうして、そんなことをしてしまったのか、自分でもよく分かりません。
ヤマギシ君は私の顔を正面から見据えました。
「香田さん、本当にごめんなさい。ボクは、ボクは、ダメなんだ。一人で何もできないんだ。本当に、ごめんなさい。助けてくれてありがとう」
私は、さっきまでのステージの勢いが消え失せて、別人のようにしお垂れて涙を流しているヤマギシ君を見ていました。
壊れそうな繊細な心を持って今にも崩れそうなヤマギシ君。
その影の部分を隠すために、無理やり自己演出して派手なパフォーマンスをするヤマギシ君。
どちらも分かっているから、私には痛々しく思える。
その相反する両面が、複雑に絡み合って、私の身体の中で、もやもやしたものが大きくなっていくのが分かりました。
胸が一杯で、息が吸い込めない。あの感じ。
今思うと、それは何の駆け引きもない純粋な恋だったのですね。
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