見えない色、見えないかたち

編集部より:SF作家の津久井五月さんにエッセイを寄稿していただきました。調香師に憧れた高校時代から、小説家として活動する現在に至るまで、津久井さんの香りや煙に対する感覚の変化が描かれます。

調香師になるには10年の修業が必要らしい。

10年ほど前、高校生だった頃、文系・理系の選択を前にして配られたベネッセの冊子にそう書いてあった。何の基準で選ばれたのか分からない職業カタログの中に、調香師のページがあったのだ。「化学と芸術の融合」といった文言も載っていた。

優れた調香師はフランスでは「ネ」と呼ばれるそうだ。翻訳すると「鼻」という意味。目なら画家、耳なら音楽家、舌なら料理人だろうが、僕は絵も音楽も料理も得意ではない。しかし鼻は効く気がしていた。沈黙し、目を閉じて香りを確かめる職人の姿を想像すると、心が躍った。そこで調香師になろうと思った。

香りに関して、特に深い原体験があったわけじゃない。ただ、小さな頃から香油や、香りのする植物に親しみがあった。中学生の頃に夢の島熱帯植物館のワークショップで作った瓶詰めのクリスマスリースが宝物で、落ち着きたいときは蓋を開けて、シナモンの香りを嗅いでいた。

調香師になるには化学の勉強が不可欠だ。僕は意気込んで臨んだが、立方最密充填構造が出てきたあたりで「おや?」と思った。テスト中に計算が終わらない。点が取れない。幾何学で頭がこんがらがる。その後も、分子量の概念は分かったが問題は解けない。小数点以下の値が合わない。

ご存知の通り、これらは化学の教科書の最序盤に載っている項目だ。どうやら僕は化学が苦手らしかった。どうするか。残念だが、調香師は諦めよう。「ネ」への夢は終わり、僕は文系に進んだ。

情けなく、語るほどのことでもない経緯だが、香りへの関心が芽生えたのはこの期間だった。僕は香水を使う男には育たなかったが、代わりにキャンドルやディフューザーを使って、空間に色を付けることを覚えた。それは空気を染める見えない色だ。

空間に見えない色があるなら、見えないかたちもある。僕の大学時代の後半は、もっぱらそれを探索することに費やされた。

Processingというプログラミング言語がある。簡単なコードを書くだけで、PCの画面上に図形を表示したり、動かしたりできる便利な道具だ。少し複雑なコードを書けば、条件に応じて決まった規則で動くエージェントを作ることができる。つまり、それは模式化された分子や細胞や人だ。

同じ種類のエージェントを数百、数千と増やし、その相互作用を見ていくと、バラバラだったはずの動きにリズムや模様が生まれ、かたちが生まれてくる。抽象的なコードから生まれる、本来は見えないはずのかたちだ。炎や雲を眺めるように、いつまでも飽きずに見ていられる。

僕は当時、建築を学んでいた。そして空気や水の流れに関心を持っていた。移ろい、変化するものが作るかたちを捉え、建物や庭の形態に落とし込みたかった。模型を作って水を流してみたり、風に当ててみたり、見えないものとばかり格闘していた。

卒業設計作品の平面図や敷地図には、錯綜する無数の赤い矢印を書き込んだ。それは1960年代にパリを中心に活動したシチュアシオニストという人たちの作った不可思議な地図の真似事だった。彼らは都市を歩き回り、その歩行や思考の流れを、バラバラに切り刻んだ地図の断片と一緒にコラージュした。

そんな日々の中で、僕は煙に興味を持った。大学の建物の中庭では、先輩や同級生がたむろして煙草を吸っていた。最近のご時世の中でも、僕の周囲には喫煙者が比較的多かったのだ。それは男性的なタフさや無頼を求められる、建築学科特有の文化だったかもしれない。僕は煙草の匂いは受け付けないが、煙を見るのはたまらなく好きだった。煙は空気を可視化する。空間に満ちた見えない勾配と乱流を教えてくれる。煙草を好む人たちは、どこへ行くにも喫煙所の場所を気にしていて、そんなそわそわした姿も、煙が空気の出口を探して流れる様に似て、好ましかった。

僕は煙の仲間になろうとして、何度か煙草をもらって試したことがあった。しかしその翌日に決まって風邪を引いた。これまた格好の付かない経緯だが、僕は煙の道を断念した。

香りと煙。見えない色と見えないかたち。強く惹かれながら探求しきれていなかったふたつの概念が、上手く結びついて育ち始めたのは最近のことだ。一つ目のきっかけは小説を書き始めたこと。もう一つのきっかけはお香を焚くようになったことだ。

デビュー作のSF小説の冒頭に、こんな一段落がある。

都市を目の奥に残したまま、グレープフルーツを剝いて食卓についた。涙のような香りが部屋の青い空気と入り交じり、鼻腔の奥で、街の風に吹き流されていく。その行方を追うようにして、視点は僕を離れていく。果物にヨーグルトをかけて食べている〈角〉の生えた人を、珍しい動物のビデオを眺めるような気持ちで見送ると、都市の全景が輪郭を伴わず、あくまで半分は抽象概念として、網膜から浮き上がってくる。

この文章を書いたとき、香りと煙への関心が焦点を結んだ。場面は大都市の早朝。グレープフルーツの酸味は黄色の粒子だ。対する新鮮な空気の色は青。ふたつの見えない色が混じり合い、風に流されていく。その風は、現実の空気の流れというより、僕たちの意識の流れだ。意識はゆっくりと僕たちを離れ、都市の上空へと浮き上がり、その巨大なかたちを明らかにする。見えない色と見えないかたちについて、そしてふたつのつながりについて、初めて自分なりに言葉にすることができた。

一方、お香がもたらした気づきは遥かに直截で、即物的だった。線香は香りを出し、煙を出す。長年の関心に、こんなシンプルな方法が応えてくれるとは、完全な盲点だった。

線香に火をつけて眺めていると、調香師になりたかった高校生の頃や、流れに魅せられた大学時代や、小説を書いている現在のことを、とりとめなく思う。何も突き詰められず、中途半端にかじってばかりの自分だが、振り返ると興味の糸は途切れずに細々とつながっていて、キーボードを叩く指の迷いの中にふいに姿を表す。それでいいのかもしれない、と思うようになった。香りの移ろいの先や、煙の流れていく先は分からない。ただ、線香が燃え尽きるまでの十数分の間、時間を融解させる微小な魔法が発動する。

【プロフィール】津久井五月
1992年生まれ。東京大学・同大学院で建築学を学ぶ。2017年、中編小説「コルヌトピア」で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。デザイン、生き物、風景などをテーマに小説を執筆している。著書は『コルヌトピア』〈ハヤカワ文庫JA〉。
編集協力:OKOPEOPLE編集部

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