7 アンタッチャブルが産んだ弊害 セクハラ、AEDにおける男女分断

性犯罪が厳罰でうかつに触れられないようになっていけばいくほど、女性の性的な価値観が高まる結果になり、犯罪とまではいかなくてもさらに女性の性的価値観を上げる結果にもつながっている。

ここからは、セクハラという概念がさらに問題をこじらせていることについてとその原因を紹介していきたい。


(1)セクハラ論争と適用範囲の広まり

セクハラという概念が世に出て久しいものだが、この概念というのも、性被害というものの特別視に拍車をかけているといいだろう。

まずはセクハラの定義について触れていくが、そこから見えてくる問題点を語りたい。

(イ)セクハラの概念と日本における経緯について

セクハラという概念について、下記のような定義のものとされている。

職場において、労働者の意に反する性的な言動が行われ、それを拒否するなどの対応により、解雇、降格、減給などの不利益を受けることや、性的な言動が行われることで職場の環境が不快なものとなったため、労働者の能力の発揮に悪影響が生じること

パワハラ・セクハラについて | Yahoo!しごとカタログ

セクハラに関する歴史は1980年代までさかのぼるのだが、労働者に対する性的な嫌がらせや言動などが労働者の労働意欲をそぐだけではなく、退職などといった悪影響を与えることもあり、徐々に社会問題として取り上げられるようになった。

平成9年に男女雇用機会均等法が改正により、事業主にセクハラに対する配慮義務が設けられ、平成18年には措置義務にまで発展するなど、セクハラに対しては徐々に世間の風当たりも強くなっている。
 
今ではかなりセクハラは意識されるようになったのだろうし、あまりにひどい性的暴言や性的な要求を共用されるようなことについては許されないだろう。

ただし、セクハラについては既にだいぶん前から懸念点が存在している。
 
それが次のような話である。

(ロ)セクハラに該当することが、主観的な面が強いこと

セクハラ認定されることについて、その認定基準というのはかなり被害者側に左右されるところがある。

行為を受けた本人が不快を感じればそれはセクハラと判断される可能性があるので、次のような注意が必要です。

ハラスメント110番

相手によって行為の受け取り方が違うとなると、同じセリフでもセクハラでないかそうでないかということになるのだが、これは極めて発言側からは難しい判断を迫られるだろう。

相手がどんな人物であり、何処までが大丈夫なのかというのはなかなか判別することはできない。

こちらとしては相手の表情を見てそこまで嫌がってなさそうだとか、相手は割とおおらかであるとか、冗談レベルのことでも通じ合えることだろうと思っていても、裏では相手はそう思っていなかった。

ということもあるかもしれない。もちろん、発言の程度問題といったものにもよるが、程度が軽いとみられるようなものでも、相手がそう思えばセクハラに該当するという極めて不安定な話となる。

相手の様子を見ながらどうすればいいのだろうか?というのが、特に指導する立場のものからは極めて難しい。

明確な基準というものを示しにくく、曖昧で他人次第でどうなるかわからない要素が強く感じられるからこそ、適用に不均衡が生まれるようなことがあるからだ。

(ハ)罰則が強くなっていくことやmetoo運動も拍車をかけた

日本において、セクハラそのものに対して罰則というものは設けられていない。(ただし、強制わいせつや名誉棄損などの現行法で対処できるケースもある)

海外においては、セクハラそのものについて罰則を求める規定もあるが、罰則を求めるということを考えると、先に述べた主観的な面が加わることでより慎重にならなくてはならなくなった。

そこに加えて、草津冤罪事件やmetoo運動というものも、セクハラ問題の難しさに拍車をかけたと言っていいだろう。

既に書いたように、話に証拠がないケースやかなり怪しい部分があっても、まるで何か最初から真実かのごとく独り歩きしていった。

しかも、それが一大運動となって一種の圧力のように動いてしまっては、訴えられた側はなかなか対抗するすべを持たない。

つい最近の事例でも、DV事案ではあるがDeNAベイスターズに所属していたバウアー選手についても、刑事事件としてまだ木曽もされていない段階でも、助成へのDV疑惑が出たとして大リーグ機構からDV規定違反による324試合の出場停止処分をうけており、(その後194試合に軽減)22年2月に不起訴処分となっていても戦力外通知になるという被害を受けている。

そして、女性と先日和解(DVを告発した事例はいずれもDVを否定)したのではあるが、ここまでの期間で彼は大きな損失を受けてきた。

もちろん、彼以外にも似たような事例が複数あり、ものによっては何十年も前のことを訴えてくるわけであり、仮におとがめなしとなったとしても、訴えられた側の被害は計り知れないわけだし、いつ何時こういった訴えを起こされるのかもわからないのである。

(ニ)ペンスルールという女性を避ける自衛策

あまりにセクハラに対して過敏になっていく流れの中で、ついには女性に近づかないということで自衛策を講じるようなことまで出来上がった。

それがペンスルールと呼ばれるものだ。

このルールは「妻以外の女性とは2人きりで食事をしない」ということを発言したペンス米副大統領からとあれたものであり、親しい間柄の女性以外とは極力女性とは関わらないことを目的としている。

下手に女性と関わりを持ったために、何らかの訴えをされれば解雇や社会的信用を無くす可能性があるため、助成そのものが大きなリスクになっているものと考えられたからだ。

Metoo運動といった告発により、真偽が定かでない段階であってもまるで犯人かのように扱われるだけではなく、年数がかなり立っている時期の話が急に持ち出されることで、いつどんなことで非難を向けられるのかということがわからなくなってしまった。

あまりにリスクが大きく、あまりにどの段階で告発してくるのかが判断が難しいので、これに対応するためには、もはや女性とは必要な時以外にかかわらないということしかない。

という形で動いた結果がこれなのだ。

最終的には男女の分断ではないかと言われているが、高いリスクに対抗するためにはこれしかなかったのだろう。

ペンスルールは行き過ぎた性的価値の高まりが起こした結果である。

(2)そしてAED論争という成れの果てが議論となった

前述したセクハラ論争といった過程を経て、あまりに性的な価値が上がりすぎてしまったがゆえに、本来なら緊急事態において必要な行為をしなければならない場面にまで、性的価値の高さが弊害になってしまったケースに発展している。

その事例を象徴するのがAED論争だ。

既に別件にて記事にしたものだが、AED関連においては使用率や周囲の反応について大きな違いを確認できる。

この問題について改めてAED関連の現状と問題点を確認することとしよう。

(イ)AEDにて利用されない話について

AEDに関する使用率に関して、女性が非使用者になったときには、使用することをためらうケースや、実際に使用されないという話まで出てきている。

そのために、女性の体が見えないように様々な施策を講じるものもいるが、救命救急の場面で重篤な症状になり、命を落としてしまうケースがある。

その原因は身体に対する扱いが男女によって違うことが下記データにて読み取ることができるだろう。


引用:いつ、誰にでも起こりうる心肺停止の怖さ。あなたができる救助の心構え


引用:いつ、誰にでも起こりうる心肺停止の怖さ。あなたができる救助の心構え

元々女性の裸体と男性の裸体を比べれば、女性側のほうが見られたくないという羞恥心が強いことがうかがえる。

経験則の面でも、男性側はトイレが外から見えやすい構造であることや、更衣室がそもそもないとか人が見ている所でも着替えをするようなことなど。女性に比べると羞恥心を感じにくくするような場面も多くみられる。

そういった差に加えて、女性側が何か訴えてくるのではないかという心理も加わると、容易に動くことは難しい。

(ロ)法的な問題だけでは済まない話

いや、法的には問題ないはずだ。だからそんなことを気にしなくてもいいと反論する者もいるだろう。

もちろん、法的な問題については、人命救助のために服を脱がせても必要な措置であるので、正当業務行為(刑法第35条)に該当する。

医療従事者でない一般人の利用でも刑事罰には問われないものであり、民事でも責任を取ることはないと言えるだろう。

しかし、法的な問題を指摘してもあまり意味はない。いや、法的に必ずしも安全だとも考えないものもいるだろう。

先ほどから紹介している通り、既に女性に対して心理的な抵抗が強すぎることが原因であり、利用者自身が抵抗を感じるだけではなく、周囲からの目線も気になることも考えられる。

それに加えて、冤罪事件でも取り上げた「せん妄」の件や、訴えられてから無罪を確保しても社会的信用や職を失うといった大きなリスクがあることなども、より多くの人の警戒心を強めている。

(ハ)気を使えば使うほど、相手にはっぱをかければかけるほど、さらに気後れすることに気が付かない

ならば、もっと女性のことを気にかけるようなことをすれば、もっと利用率が上がるのではないか。

と考えて行動する者もいるだろう。実際にテントを作るという話や、体が見えないようなシートをかぶせるというものを考案した話もある。


引用:AEDテント


引用:NHK

また、法的に問題がないのだし、利用しない人間は臆病でおかしな連中なのだという指摘や、他人を無視して何も手を出さない方が道徳的非難を受けるべきだという指摘をするものもいるだろう。

普通に考えて、救助すべき人がいるのにそれを救助しないというのはおかしいはずだと。

こうすれば動いてくれるだろう、ああすればいいはずだと善意や義憤を持っているのかもしれないが、そんな行為は逆効果だ。

このことについては、先に紹介したnoteの内容を再掲させてもらおう。

 単純に忙しい中で、人を助けると言うこと自体が結構な面倒である。時間を使って他人を助けるのは、色々な面倒ごとを後に控えていることも珍しい話ではない。人助けしたので、何かに遅れました。それで許してもらえれば良いのだが、トラブルになったというケースも少なからずあるだろう。

 自分のやることを中断するのだから、色々な問題が出るのは致し方がない。それでも、なんとかして助けたいとなったときに、あれもしなくてはこれもしなくてはと色々な条件が重なってきたら、手をよけいに出しにくくなるのではないか?しかも時間が切迫している状況なら、配慮とやらをする余裕は時間的にも物理的にも精神的にもない。

 色々な条件をつければつけるほど、逆にその条件を少しでも外れてしまったとき、やっぱり何か言われるのではないだろうか?と言うことを、救助側は懸念するだろうし、非難する者もいるだろう。

 さて、しくじりが発生したとき誰が守ってくれるだろう?もちろん法的にはよほどのことがない限り問題ないだろうが、その後の法以外の面倒くささをどうしてくれるだろうか?

https://note.com/okoo20/n/nded046a744d8

上記のように、下手な配慮というのはかえって救助側がより大きな負担を背負う結果にしかならない。

やればやるだけ時間を浪費し、救助に失敗するなり手順を間違えてしまった際には、いったい誰が他人からの避難から守ってくれるのだろうか?

更にこちらを圧迫するかのように、救助しないことについて圧力をかけてくれば、救助する側もこう言いたくなるだろう。

「こいつらは何もわかっていないくせに、なに偉そうに命令してきているのか」

と。だがそんな声も考慮されないだろう。

(ニ)ここまでの経緯を知らなければ、すべてを理解することも難しい。

AED論争は女性の身体というものに対して恐れを抱いていることへの終着点である。本当なら優先したほうがいいことがあるのに、恐れが肥大化してあらぬ方向にまで拡張していったからこそ起こったことである。

本当なら、女性の身体的価値が高すぎることによって、緊急事態にまで影響が出ていることをもっと真剣にかつ、根本的に考えるべきだっただろう。

しかし、わからない人たちからすれば、単にリスクに過剰におびえているゼロリスク信仰者、人命を第一にする場面でいくじのない者、女叩きをしたいだけの人などにしか見えない。

積み重なった女性に対する性的価値の高さを説明するためには、セクハラの現状から性犯罪の重罰化、不当な訴訟に対するリスク、周囲からの非難など。

複数のリスクや心理的圧迫を一つ一つ説明していかなければならないのだが、時間も手間もかかることであり、お互いに理解させることは難しい。

しかも、知ってか知らずかこういったことを求めようとする声は、ほぼ常に男性に対して主張するところも、その無神経さに腹を立ててよりお互いが理解できない原因となっている。

知識や感覚がある程度共有できていればある程度説明は省くこともできるだろうが、それを遮るかのように常識的価値観(緊急時において、必要に迫られる行為をして命を助けるものだ)がまた互いの理解を妨げることになろう。

相手には配慮を求められるが、自分は配慮されない。何かやってもやらなくても文句を言われる。そして、運が悪ければ大きな負担とリスクまで降りかかる。

これほどつらいことはないのだが、一見しただけではなかなかわからないことが本質にある故に、双方には大きな理解の溝を作り上げている。

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