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「フェミサイド」という名の偏り




 昨晩、ツイッターなどで情報を聞いた時にはちょっとびっくりしたのではあるが、小田急線にて刃物などを持った男性が乗客を切りつけるという事件が起こった。

 けが人は乗客の男女10人となっており、無差別で人を狙った大変危険な事件であるが、犯人は逮捕され事件はいったんは落ち着いたわけではある。幸い死者も出ていないようなので、これだけでも不幸中の幸いだったといえる。そんな中、この事件の犯人の動機を見た一部の人々はとある言葉を口にし始めたのだ。

「フェミサイド」

 と。そういった声が上がったことによって、ツイッターのトレンドにこの言葉が入ったわけであるのだが、この言葉はいったい何なのだろうか?そしてこの言葉がここで出てくるのには、なにを意味し、なにを生み出そうとしているのだろうか?

1 そもそもフェミサイドとは?

 そもそも、フェミサイドという言葉は何だろう?一部の人間からは聞きなれない方も多いとは思われるが、フェミサイドというのは次のような言葉となっている。

 フェミサイド(英語: Femicide)とは、性別を理由に女性または少女を標的とした、男性による殺人のことを指す。 とされている。(ウィキペディアより)


 言葉自体は1976年にダイアナ・ラッセルが提唱したこととなっている。

 女性が女性であるという理由だけで、殺されるというようなことを指しているのではあるが、基本的に殺人の被害者となる女性は配偶者や家族といったところが多く、極めてドメスティックな部分が女性が被害者になるケースが多いことがあるため、その部分を強調するために作ったのではないだろうかと考えられる。

 家庭内にて、地位的に低いと思われる女性の立場であり、更には家庭内という見えにくい部分であるからこそ、目を向ける必要性を感じたのではないだろうか。

 もちろん、本件のように家庭内以外の公共の場において、明確に女性への敵意を供述しているケースも本件に当たることである。国によってフェミサイド自体に法律や対策を求めるような動きもあるとのことで、その効果も発揮しているケースもあるという。詳しいことは下記の記事を参考にするといいだろう。


2 それほどフェミサイドは深刻なのか?

 フェミサイドに関しては軽く紹介させてもらったわけではあるが、本件で主張するような深刻な問題であるといえるのだろうか?日本にも海外と同様の大きさくらい、フェミサイドの影響があるといえるのか?

 結論から言えば日本においてそれを言うにはかなり針小棒大ではないか?との考えに至る。

(1)そもそも日本において、殺人自体が少なすぎる

 そもそも、日本においてフェミサイドといわれるほどの深刻な状況があるのだろうか?その疑問というのは当然出てくるだろう。

 日本というのは比較的安全であり、殺人自体がそもそもかなり少ない。2018年の殺人事件の発生率に関しては、エルサルバトル(52.02)、ジャマイカ(43.85)、レソト(43.56)といった国が上位であり(単位は件/10万人。)、日本は0.26で154位と世界で見てもかなり安全な国家であるといえる。

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 欧州や北米の国家よりも発生率が少なく、そもそも殺人自体が少ない時点で、差別であるがゆえに殺されるということを取り上げなくてはならないとする土壌は少ないように見える。

 また、日本国内に限っても被害者が女性ばかりであるのかといえばそんなことはない。令和2年の犯罪白書を読んだとしても、殺人の件数は全体で944件ある中で、女性が被害を被ったとされる件数は409件と男性(535件)よりも少ない結果となっている。

 もっといえば、犯罪被害にあっている全体の件数を見ても、男性の方が女性より多いのである。性犯罪のような女性が被害者になりやすいものならいざ知らず、一般的には男性の被害者の方が女性より多いのである。

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(2)そもそも本当に差別や偏見からやっているのか?

 また、殺人といってもどんな理由であるかということはすべてにおいてわかるわけではない。人を殺す事情といっても実にさまざまであり、怨恨や痴情のもつれ、金銭トラブルなど実に様々な理由によって構成されているはずである。単に女性が殺されたからといって、それは差別に基づくということ自体早とちりもいいところである。

 情報を調べたり、事件に至る過程などを想定をせず、いたずらに差別を前面に押し出すのはおかしいのではないか。また、そういった理由や過程をすっ飛ばして女性が殺されたことに焦点を当てたとしても、男性の方が被害にあっていること、また世界に比べてもかなり少ない割合でしか起こらない状況で、なぜ特別な視点を注がなくてはならないのだろうか?という考えが出てくるはずだが、何もないのである。

 少なくとも日本において、フェミサイドを優先的に問題視しなくてはならないという理由は乏しいように思われる。

(3)過去の無差別殺人の被害者に関しても、男女にほとんど差はない。

  無差別殺人に関しては、過去に法務省からの研究資料が残っている。そこには被害者に関しての情報もあるのだが、無差別殺人に巻き込まれた被害者に関しても、男女にほとんど差はない。 

第3章 無差別殺傷事犯の実態

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  こちらのデータによると、男性は65人に対し、女性は61人とむしろ男性の方が少し多いくらいである。女性だからという理由だけで決してこういった大量殺傷事件にあいやすいというわけではない。年齢層に関しては、女性は20歳代以下の割合が多く、お年寄りになればなるほど狙われにくい。男性は50歳代が一番割合的に多く、(14人、25%)ついで10歳未満の子供、70歳以上の人となっているが、その次に20歳代の人となっており、何気に年齢層は別れている。

 小さな子供は男女共通で狙われやすく、年齢が高くなると男女で差が出てくるが、男性に限れば狙われやすくなっているといえるだろう。子供やお年寄りの犠牲が多い面を見て、弱者になりやすい人々が狙われていると判断できるのかもしれないが、女性だから狙われやすいとまでは言い難いのである。


3 無用な偏見を産むだけではないか。


(1)必要性に乏しいだけではなく

 事実として、フェミサイドと呼んで批判するようなほど声高に叫ぶようなことをするレベルにはないのだろう。この件では確かにそういった面はあるのだろうが、あくまでいくつかある事例の一つとしてみるべきであり、男性や他国で多くの人が死んでいても、優先してまでやるようなことではないだろう。

 また、一つの事例をもってして全体的にそういった傾向があるかのように語るというのも、早まった一般化という典型的な詭弁ではないか。

 これで認められるというのであれば、少し都合のいい事実が存在すればいくらでも規制や制度を強化できるものであり、現実社会は運用そのものが成り立たなくなってしまうだろう。もちろん、これによって差別的な制度を創設できたり、差別的発言を生み出せるということも言うまでもないことだ。

(2)問題の本質からずれていっても、解決どころか・・・

 また、差別というのは簡単ではあるが、事件を起こした犯人側だって、色々な経緯があり、様々な悩みや、事件に至る過程が存在しているものだ。

 通常なら、彼のような人間に対しては、なぜそうなったのかというようなことは語られるものだ。今回以外でもテレビが犯人の生い立ちを追いかけることなんて言うのは珍しい話でもない。犯罪心理学でも、そういった人物のことを詳細に調べるものだ。そういう風にして犯罪が起こる原因を分析し、それを未然に防いだりする手段を探るのである。

 しかし、そういったところを無視もしくは限定的に判断するような行為は、今後生み出さないようにするケアといった面には何ら役に立たないどころか、本当ならでなくてもいいような人物を未然に生み出さないようにする方法を潰してしまうようなこともあるだろう。

 それだったらいっそのこと、単に彼は一定の割合でいるおかしい人間であり、それ以上に考慮する必要はないと言って切って捨てても良かったのかもしれない。その方が何も考えなくてもいいし、余計な思考や施策を考えなくてもいいだけ、差別だとかどうとか省くことができる。どうにもならないことだから、一定数は許容せざるをえない。

 しかし、そう考えないで差別的なことであるから対策せよとか言われれば、理解といったものからより遠ざかるのではないだろうか。

 現に、本件では男性側に対するケアや生み出した原因を語っている人もいるのだが(弱者男性に対する偏見や包摂をする具体的手段についてなど)、それすらも対立するような場面を見ているため、分かり合うことは難しいだろう。


(3)結局はより女性のためというエゴしか残らない。

 統計的な事実としても不自然であり、一つ一つの事情や過程も踏まえず、更には少数事例としか言いようがないものであっても、多数の事例を置き去りにして、一事例をもってフェミサイドを主張し、差別に対処すべきというのは、どうあがいても無理があるだろう。

 ここからさらに、ヘイトクライムであるためもっと厳正な対処をすべきであるとまでいうものもいるが、


 そこまで行ってしまえばもうそれは女性が差別や被害にあったからという理由で、「特別に」厳罰や対処をしていこうとしていることに他ならないのである。

 ここまで通常考えられる経緯や判断が偏るのであるのなら、もはやそれはエゴというほかないだろう。そのまま進めてしまえば、女性よりも被害にあっている男性などよりも、より女性の方に罪の重さの比重が偏り、より加害する男性に対しての偏見や抑圧が強くなる懸念もあり、ますます男性の生きづらさが増すことにもつながるだろう。

 一方に比重を置きすぎるという意味では、間違いなくフェミサイド(側)なのだろう。

 あと、少し話は変わるがつい先日、ルックバックという漫画のセリフが一部改変された問題があった。

  この件では、漫画の中での新聞記事の一部に、精神障がい者に対する偏見を助長しないかというようなことから、修正を加えられたのである。このことを見つつも、この状況下でフェミサイドという言葉は、余計な偏見や差別を助長しかねないかという懸念を抱かずにはいられないのである。

 


 今回の事件にて、被害にあわれた方には少しでも早い回復をしてもらいたいと祈るとともに、この件について本編は締めることとする。


(2021年8月9日追記)

 近年の無差別殺傷事件について、取りまとめていただいた方がいたので、こちらも掲載する。



 おまけ  フェミサイドという言葉で余計な偏見が生まれていたのでここにさらす。





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(上記画像は境野今日子さんというキャリアコンサルタントの方です。)


 これを見てもまだ、差別や偏見が生まれないというのなら堂々と挑んでこられるがよろしい。


追記 この件との対比として過去のnote記事を追加する。



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