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一般名詞に隠れた「前提」。~オタクとフェミが両立しない本当の理由~

 

 フェミニズムとオタクの対立はずいぶん前からのことであり、特に女性の表現することに対して激しい対立をしてきたわけである。

 終わりの見えない消耗戦、拡大していく対立軸というのにしんどさや諦観を感じるものもいるだろうし、中には本来リベラリズムに親和的なものからも困惑する声もある。

 下記がその主張の一つである。


「フェミニストとオタクは両立しない」と強く反論してきた人はいた。どうやらそうした人の様子を見ていると、フェミニストは性的な表現について表現規制を求めているのだと思っている「オタク」の人が多いようだった。これはかなりの誤解である。


現在「オタク」と言えば、一般的には、「特定の趣味を一般の人よりも高い熱量をもって愛好し、追いかけている人」というような意味を指すであろうと私は考えている。

 上記の記事は、フェミニズムに親和的でありながら、オタクというものが対立軸に置かれていることに困惑している記事である。

 従来の定義を考えるのであれば、確かに単なる趣味人の域を出ない。政治的に絡むようなこともなければ、オタクと言っても様々なジャンルがあり、なにもアニメといったような限定的なジャンルだけではない。
 だが、作者もフェミニストと対立している人たちも、それを端から見ている人たちもオタクとフェミニズムの対立という概念をあまり疑ってはいないように思われる。いや、本当はどこかおかしいとわかっているのかもしれないが、何か引っかかっていてもついオタクとの関係に見えてしまう。おそらく上記記事の作者も、本当な何と何が対立しているのかをわかっているのだろうが、それでもオタクという言葉を使っているのである。


 なぜ、オタクとフェミニストが対立するのか?というのは、実はそれほど難しい話ではない。



 オタクという言葉の言外に「男性」という言葉が含まれているのである。


一般名詞に性別が垣間見えると言うこと


 別にこういったことは不自然な話ではない。一般の名称から相手の属性を判断・想像するというのは珍しい話ではない。
 例えば、港湾や建築現場などで肉体労働作業している人物や消防士という役職の人物を想像してほしい。どんな服を着ていたり、どんな作業をしているかというようなものが浮かんでくるだろうが、実際に仕事をしている人は「男性」だったりしないだろうか?
 逆に、看護士や保育士といった職業はどうだろう?子供や患者さんに対して仕事をする人物は「女性」だったりしないだろうか?


 こういったイメージに対して、フェミニズムでは「ジェンダーバイアス」や「性役割の固定化」と言ったようなワードで批判してきたと思う。固定的な役割を植え付けることによって、自由な選択を阻害するような表現などは慎むべきであると主張してきたのは、周知の事実だろう。

 もちろん、今イメージをした職場にイメージできなかった人物を入れていこうだとかしているだろうし、イメージを払拭したいと言ったところもあるだろう。だが、今回はそういったバイアス払拭や批判をしたいわけではない。

 肝心なのは、オタクという言葉に「男性」というものがイメージできるかどうかであろう。


オタク=男性と思うような理由


 男性とオタクを重ね合わせるのはいくつかあるだろう。

 その中の一つとして、女性のオタクに関してはあまり語られなかったことが考えられる。

 現在、コミックマーケットにおける女性の割合やアニメ関連で働いている人の女性割合に関して等、女性が多いというような話を詳しい人から聞くことがある。

 ある意味、ジェンダーフリーや女性の社会進出を達成したかのような世界である。ますますフェミニズムと対立するような要素なんてなさそうにも見える。

 アンケート調査によっても、アニメオタクの比率が女性の中では多いというようなものもあるほどだ。

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より


 実態を観察するに、(アニメ)オタクのような世界には、男性ばかりというようなことは全くなさそうにも見える。近年になって腐女子のようなワードを見受けられるようになったのだが、ある種、男性というようなことが前提だったワードであったが故に、出てきたワードという側面もあっただろう。(たまに、女性オタクの代わりの用語だと思っている方もいるし、そう認識しているような学者も見受けられる。)

 オタク関連に女性がらみの話が少ないというのは、フェミニズム側からも認識があるのも確認が取れる。


 オタク分析の方向性


 女性のオタク論がこれまであまりなかったのは,女性のオタクがいないからではない.むしろ,オタク女性はかなりいると推計される注7)
.女性のオタクに関してはまだあまり語られていないのは,男性のオタク
に比べ,自らを語るオタクが女性にはこれまでほとんどいなかったということに関係しているだろう.上野は,「そもそもオタクとはきわめて男性を指す言葉であって,たとえば女子オタク,女オタクなどの用語はないわけではないものの,用語として不適切である」と指摘する32)その上で,上野は,近年のマンガやアニメなどに没頭する女性が,自らをカテゴライズする
言葉として腐女子と呼ぶことを比較的好意的に受け入れつつ紹介している.


 では、男性というイメージができあがったところはどういった背景があるのだろうか?

 考えられることとしては、男性のオタクに関して、電車男や宮崎勤と言ったような男性を思わせるイメージを与えることが多かったからだろう。インターネット関連でも主にオタクに関して男性だというような前提は多かったし、時にはネトウヨといった攻撃対象に対して、オタクというワードを絡ませて批判されることもあった。もちろん、表象として出てくる性別は男性である。一例としては下記のようなものが代表だろう。


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 ちなみにこれらの画像は2009年の2chが発祥とのことである。


 オタクということを特に批判的に語るときには、男性という部分が主に出るようなケースが多かったわけである。

 そういったのを見たこともあってか、女性からオタクと名乗ることはますます難しかったのだろう。同時に本来はオタクを守って行かなくてはならない人たちもオタクを敵と認定し、なおかつ女性については従来の弱者せいもあってか批判の対象には上がってこなかった。

 更に拍車をかけるように、現に女性の性的表現を前提にオタクを叩いているし、叩いている側もオタクという一般名詞を惜しげもなく使っている。そして、オタクを叩いているものたちが中心になって叩いているのが、「女性の性的な表現」であり、「男性が主に喜びそうなもの」というものばかりが目立つのがその証拠であろう。BLといった女性が主体的に消費していそうなものに性的だからと言って排斥しようという姿がほとんど見られないのも、良い証拠だろう。
(なお、作者が女性であることが後で発覚することによって、名誉男性と言ったりすることが時折見られるが、ひとえにこれも先行したイメージが起こしたバグの一つなのかもしれない。)

 これらの事情から、男性からオタクとフェミは両立しないことやこの人はオタクではないというようなことが出てくるのも、「批判されるオタクは男性」という前提を持っているからだと考えられる。


 本当なら、オタク対フェミという対立設定自体が間違っているのだろう。オタクの中でも、女性の性的表現をする人やそれを好むもの(男性)を特に攻撃したいのであり、そうでないものは対象外と言うことで切断処理も可能だったと思う。が、現実はそうならなかった。

 男性のイメージを拡大させるような経緯や、フェミニズムが攻撃する対象が何であるのか。この二つを考えると、オタクとフェミの対立に勘違いが起こるのも無理はないのだろう。


結び

 男性という前提があるからこそ、本来の意味で考えると対立なんておかしいのではないだろうか?と見えるところが、そうでない用に見えるようになる。
 隠れた前提が見えていないからこそ、わからないものにとっては何か違和感が起こるわけである。こういったバイアスを取り除くには、おこっている物事とその背景を十分に観察し、検討していくことによって違和感を解消できるようになる。簡単に書いてはいるが、答えや解決の端緒としては意外と簡単に見つかるのかもしれないが、前提条件が本当にあるかどうかを十分に説明しきるのは、意外に難しいのかもしれない。

 しかし、そうであるからといっても、普段からジェンダーバイアスだとか、非対称性だとか、無自覚の加害だとか言っている人たちが、バイアス前提の判断で対立を無自覚に見つめているというのは、なんとも皮肉というものだ。

 


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