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共同親権問題の本質のひとつは、男女の権利対立にある

  

 共同親権については、いまだに実現が進んでいない。海外からさんざん法制度の要請を受けてはいるのだが、法案成立に至るまでになかなか話が進んでいかない。

 原因としては、抵抗勢力の存在もその一つであり、その中心となっているのはリベラル勢力や法曹関係、ひとり親世帯やその団体といったところだろう。

 制度変更を伴うと、いろいろなところで変化をしなくてはならないし、今までにない行為を要求されることになる。となると、当事者や法曹付近が現状維持を求めるというのは、まあ理解はできる。
 
 しかし、人権団体やリベラル勢力が他国でもなかなか見ないようなほど反対しているのだ。これについて不思議に思う人もいるかもしれない。

 だが、男性差別論を知っているものからすればこの状況の理解は何も難しいことはない。原因としては

     男性の権利及び差別にかかわる事項が問題に入っている

 ということが、手に取るようにわかるからである。なぜそう思うのかを簡単にまとめると

⓵男性に対する不自然なまでの攻撃性
②男性の権利(共同親権)を訴えるものに対する政治的立ち位置の混乱
③他国では起きないよう不自然な対立やダブルスタンダード

に集約される。

1 不自然なまでの男性のDVへの指摘

 共同親権に対するデメリットというのはいくつか挙げることは可能である。

いくつか挙げるとするなら

・DVの危険性
・親権行使の際のもめごとが多いこと
・転居などの移動制限

 といった面があげられる。反対するのであれば、通常はいくつかの論点を出して優位に立ったほうがいいだろう。どれかがダメになっても他でカバーできる可能性もある。

 しかし、これらの論点はすべて出てこない。出てくるものといえば、男性が行うDVというものが中心といっていい(親権に対するもめごとについても、主に別居親〈父親〉が何かと口をはさむケースを想定していることが多い。)のである。

 不自然なまでに男性が妻に対しての暴力を前提としているのであるが、この論には疑問点がある。例えば、子供に対するDVについてである。子供に対する保護が目的なのなら、母親にだって焦点を当てるべきであり、母から子への暴力にもしっかりとした対処をすべきではないだろうか?

 現に統計でも、子供に対する虐待については実母が一番多いという結果が出ている。

平成28年版犯罪白書より

 また、DVについても一定程度女性から男性への暴力も内閣府調査では確認されている。

内閣府「男女間における暴力に関する調査」平成23年版より

 父親からのDVが多いのであり、単独親権が合理的であるというのなら、なぜ母親からのDVが多い子供の話は議題にあがらないのか?子供のためを思うのなら、母親からのことも親権行使をさせない点も考慮すべきではないのか?もっと言えば、単独親権であっても子供の暴力を避けられてはいないと考えられないだろうか?

この時点で、彼らの言うDVの主張は破綻しているのである。

だが

 といったように、母親に関する話していようが都合の悪い部分は無視して、父親の話に終始している。すでにおかしいことがわかりきっているにもかかわらず、意地でも男性の害悪性を主張することは珍しくないのだ。

 次の章でも触れるが、こういった形で無理やりにでも男性を貶めるような言説をし、矛盾点やほかの論点などを触れないというのも一つのクセである。

2 出てくるはずのない保革構造対立と思想位置の混乱


 共同親権においては、本来出るはずのない保守と革新の対立がある。そのことを指摘する話がいくつか垣間見られる。



 人によって見え方は異なるようだが、これらの資料を見ただけでもおおむね共同親権では賛成している側に多いのが、保守的な勢力というような認識しているのだ。だが、これは少し考えるとおかしいことがわかる。
 
 まず、そもそもこういった対立自体通常は考えにくい。本制度が子供の権利を考えていることが中心である。子供の利益に関して報告が上がっているものについては、下記ツイートのツリーでもいくつか出したのではあるが、こういった資料について反対側は見向きもしないのだ。

 従来、女性やLGBT、障碍者などといった弱者の保護をしきりに主張する左派ではあるのだが、共同親権の場合には突然こういった話がまるでなかったことにされる。一応はDV関連で子供の利益を訴えているつもりなのだろうが、先ほどの母親からのDVの件をみるに、子供のことを考えているとは言えない。

 また、性役割開放を訴える側としては、母親側に親権・監護権を偏らせる理由はなんだろうか?母親側にこの育児や教育を任せるというのは、男性が家事育児をしないと批判してきたわけだが、それとどう整合性を取るのだろうか?
 むしろ、保守派と思えるかのように母親側の単独親権を保持しようとするくらいであり、いったいどっちがどっちだろうと混乱してきそうである。

 そこに更に統計的差別という従来のリベラルの概念を逸脱するような理論を平気で提出(しかも、意図的な統計の誤提供、ミスリード、都合の悪い数値は無視して)するとったようなこともあり、ますます混乱するケースもあるだろう。


 従来の理論ですらも平然と自分たちの利益のために捨て去るのである。

※ちなみに統計的差別についてはこちらを参照のこと

 もちろん、海外においては普通にリベラル勢力側からも賛同を得ているものであり(一部フェミニストなどからの反発もあったようだが)、そもそもすでに導入されているので、日本のような対立すらほとんど起こっていない。


     それくらい日本では特異な対立を生み出しているのである。

 だが、これも日本の男性差別問題を扱っている人にとっては、なにも不思議ではない。
 男性差別論全般において、リベラル側が全力で対立するような問題は珍しくないからだ。そして、そんなリベラルがマスキュリズムに対して、保守層であるというようなミスリーディングもしばしば行われる。

 共同親権一つとってもそうでれば、もし思い返してわかるようであればわかりやすいかもしれないが、表現規制、女性専用〇〇、法規、慣習などに至るまで。

 ほぼすべてにおいて、対立してきたのはリベラルではないだろうか?特に、表現規制はわかりやすいだろうが、制限を受けるのはたいてい萌え絵やグリッドガール、グラビア、ミスコンなど男性が喜びそうな表現を中心に攻撃されていることを考えればいいだろう。

 同時に、同じ様な露出や基準でありそうなものでも、対象によって規範が変化することも珍しくなく、BLのようなものにはほぼ批判を向けないようなこともあるのも知っているだろう。


 そして、本件もまたフェミニズムやリベラル勢力との争う姿勢を我々はまざまざと見せつけられているのである。


 こういった思想の混乱などは、ひとたび男女の関係から離れていけば、ほとんどの場合で見ることはないだろう。保革対立の逆転や混在といった現象も男性差別論で起こるクセの一つである。

3 たとえ他国で導入・拒否されたとしても、否定する。


 共同親権制度はすでに多くの国で導入されている制度である。欧州や北米、中南米といった各地域ではほぼ導入済みである。逆にアフリカや中東といったような国でなければ、ほとんどの国は導入しているのである。

 いわば日本は周辺の国家と比べて遅れているといっても文句は言えない立場であろう。
 だが、普段なら夫婦別姓とかで海外を見習おうという人々が鳴りを潜めるのである。いや、それどころか海外のほうがおかしいとか、日本は日本といった感じでここでも保守化と思うかのような発言をすることも珍しくはない。


 共産党についてはいくつも女性差別撤廃などの政策を取り入れながらも


 これである。

 もちろん、これも当たり前のように男性差別論ではみられる話だ。女性専用車両一つとっても、フェミニストですら反対する話や、否定的な見解であふれているようなもの、似たような事例で真逆の話を展開されることも珍しくない。

そして 2017 年 6 月に深圳地下鉄での女性専用車両設置が日程にのぼっていることが報じられると、広 州新メディア女性ネットワークは、微博(フォロワー数約 16 万)でそれに対する賛否について質問した。す ると、1 日たらずの間に 3333 名の女性が回答し、そのうち 2854 人(86%)が不賛成で、賛成は 479 人(14%) だけだった。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/arws/39/0/39_21/_article/-char/ja/
より


 だが、こういったものも彼女たちが参照するようなこともない。急に海外の事例も参照しなくなるのも、あの人たちのクセなのだ。
 自分の都合のいい時には海外の進んだ制度を取り入れてほしい、都合が悪い時には触れないでほしい。徹底的とも思える二重規範であるが、これを男性差別論では当たり前のようにやる。これも男性差別論をめぐる争いの特徴である。

4 男性差別の時に出るクセが強い


 このような感じで、男性差別関連については独特のクセがある。まだまだ具体的事例や当てはまるような項目があるのだが、これだけでも見ただけでわかるほどに相当クセがあるのだ。

 すぐに男性を攻撃し、リベラルが主張してきた主張も急にしなくなり、あろうことかそれに反することも平気でする。 したい放題好き勝手な主張をしすぎて、支離滅裂というべきほかないのである。

 わかる人にはすぐわかってしまうのだが、皆が皆男性差別論に触れているわけではない。しかし、一度知ってしまえばすぐにわかるほど、特徴的なのもまた事実である。そして、共同親権においてもそのクセはよくでている。

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