勝手に地方移住計画①「もともと実家だった家」

私は今、もともと実家だった家に、妻とふたりの子ども(小6女、小2男)と家族4人で住んでいる。
「もともと実家だった家」というのは、私が大学生で親元を離れていた20年ほど前、実家から徒歩20分ほどの場所にある分譲マンションを両親が購入して以降、私が結婚するまで空き家となっていた家のこと。
私の結婚を機に、親に内装をリフォームしてもらい、「とりあえず」住み始めてから早14年・・・そろそろ卒業の季節を迎えつつある。

過去にも卒業しそうな時期はあった

これまでにも、会社の近くの中古物件を家族4人で見学に行ったことがあった。
その家は、会社に自転車で通えるほどの距離にあり、築年数も浅く、間取りもいい感じで、家族4人で住むにはゆったりしていそうだった。
その物件をネットで見つけ、妻に見せたところ、妻にも好印象。
そこで5年ほど前のある休日に、一家揃って見学に行った。

最寄駅で不動産屋に車でピックアップしてもらい、家族みんな、ワクワクしながらその家を訪れた。
中に入ると、「ドラゾンビ様に導かれ〜♪東のほとりに来てみれば〜♪」という懐かしい歌が大音量で流れていた。玄関から続くリビングスペースで『劇場版 ドラえもん のび太の日本誕生(旧版)』を観ていたのは、その家の小学3年生ぐらいの男の子。ドラえもんのキャラクターだとジャイアン系。
その奥には、ふたりの女性。ひとりはその家の奥さんで、もうひとりはその姉か妹と思われた。奥さんは「どうぞごゆっくり」と言ってから、その姉か妹と楽しそうに談笑を続けていた。

空き家ではなく、人が住んでいる物件を見学させてもらうと、その家での暮らしがよく分かる。家具や家電、教科書やおもちゃ。図面には描かれていないモノも一緒に見学させてもらうことで、住んだ時の実際の生活がイメージできた。
「この家だと、今の家とあんまり変わらないかも・・・?」

不動産屋に家の中を案内してもらっている間も、『のび太の日本誕生』は家中に鳴り響いていた。2階を見学していても、吹き抜けや洒落た室内窓で繋がっているリビングから、「翻訳コンニャクお味噌味〜!」「ギガー!ギガー!」・・・

その後、家のまわりの環境を歩きながら見て回った。妻はヒト気のない公園に取り付けられた防犯カメラに違和感を覚えた。私はその先に見えるラブホテルに違和感を覚えた。

ネットにある物件情報だけでは分からないことは、当然ある。
実際に現地に行って、目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、肌で感じることがあった。

その夜、会社帰りに時々立ち寄るおすすめの居酒屋で、家族4人夕食を食べながら、私と妻は「ちょっと違うか・・・」で合意し、引き続き「もともと実家だった家」に住まわせてもらうことにした。

狭いながらも、楽しい我が家。

結婚以来14年住み続けてきた「もともと実家だった家」。

住み始めた頃は、妻とふたり、家具もまだ揃っておらず、段ボールでちゃぶ台をこさえ両親や友人をもてなすなどしていた。ふたりで暮らすにはゆったりというか、むしろ広すぎるスペース
ダイニングセットやダイニングボード、ソファやテレビ台など、必要な家具を少しずつ、妻に連れられ家具屋で買い足していき、ちょうどいい感じの居住空間が出来たと思ったのも束の間。
娘が生まれ、色々な教材、玩具、絵本、書籍、その他諸々どんどんモノが増えていき、さらに息子も生まれ、大量の収納ケース、レゴブロックやフィギュア、トランポリン、ピアノ、二段ベッドなど、気づけば何もない壁面などなくなっていた

それでも、ライフステージの変化に応じて、古い家であることの唯一(?)の特権である「お気軽DIY」で、テレビの上のわずかな空きスペースに棚を作ったり、クローゼットを増設したり、玄関の壁に大量のフックを取り付けたり、狭小リビングに書斎コーナーを設けたり、玄関に自転車タワーを立てたり・・・細々とした工夫を積み重ね、なんとか暮らしの質を上げてきたように思う。

特に最近は、在宅勤務も多く、私自身が快適に仕事が出来るスペース(前述の書斎コーナー)を整えることで、「もともと実家だった家」の暮らしの質は、いよいよ円熟期を迎えた感がある。

小6の娘は、この古く狭い我が家を「おしゃれな家」だと真顔で言う。
確かに、この昭和テイストの家には、妻がこの家にあわせて選んだと言う、よく似合った家具や小物が揃っているとは、私も感じている。
それでも、「将来の夢は建築家」とずっと言い続けている娘の口から出た「おしゃれな家」と言う言葉を耳にすると、そこには見た目だけではない、ずっと暮らしてきた家に対する愛着や愛情といった感情が含まれているのだと察する。

一方、小2の息子は、この家から広い家に「引っ越したい派」だ。
活発で社交的。親バカを差し引いても、明るく優しい良いヤツだから、近所の友だちが頻繁に我が家のインターホンを鳴らし、中にはインターホンすら鳴らさず「あそべる?」と玄関の扉を開けて入って来るぐらい、友だちからも慕われている。
それでも、息子は「引っ越したい派」
広いマンションに「引っ越したい派」
お庭のある田舎のおじいちゃん家にでも「引っ越したい派」
友だちに会えなくなっても「引っ越したい派」
とにかく、今の狭くて古い家から「引っ越したい派」

姉と弟、同じ家族でも、「もともと実家だった家」の評価は正反対。

ちなみに妻はと言うと、
もともと好き好んで選んだ町でも家でもなかったものの、
結婚し、子どもを産み、育てる中で出会った友達も多く、
土地の言葉も板に付き、家族のために倹約しながらも、楽しそうに暮らしている(ように私には見える)

私はと言うと、
今まで深く考えたことがなかった。
もとはと言えば、前述の通り、結婚した当時空き家だった「もともと実家だった家」に「とりあえず」住み始めただけで、なんとなく、「いつかは出て行く家」だと思っていた。
「いつかは家を買う」「いつかは職を変える」かもしれないと、ぼんやり考えながら、結局14年間、この家に住み続けてきた。

今、こうして考えると、私はこの家を大好きでも、大嫌いでもない
大好きではない理由は、息子と同様、古くて狭いから。
大嫌いではない理由は、娘と同様、14年間、家族と一緒に過ごした思い出と愛着。

こうして書き出してみると、大好きでない理由は、それ以外にない。
一方、大嫌いでない理由なら、次から次に思い浮かぶ。
この家は、私の「もともと実家だった家」だ。
私が3歳の時に引っ越してきた家。
引っ越してすぐ、2つ上の姉と遊んだ公園が近くにある家。
両親が高い住宅ローンを組んで買った建て売りの家。
父が町内の雰囲気を見て気に入り、購入を即決したという家。
5つ下の妹も生まれ、家族5人が鮨詰めで暮らした家。
阪神淡路大震災を機にリフォームし、ビルトインガレージをなくしてダイニングを広げた家。
リフォームを依頼した近所の工務店が特需で手を抜き、所々に駄目のある家。
居間が、ちゃぶ台を立て、押入れから布団を出すと両親の寝室になる家。
誕生日も、クリスマスも、兄弟げんかも、夫婦げんかも繰り返された家。
酒癖の悪い父が泥酔し大声を上げると、家の端から端まで響き渡る家。

この家は、私にとっての、「もともと実家だった家」なのだ。
この家は、私にとっては、今までの人生のほとんどの時間を過ごした家なのだ。
この家を、私が、古くて狭いからという理由で、大嫌いなどというのはおかしい。

お父さん、お母さん。今まで、本当にありがとう。
ここまで書き出して、初めて気づきました。
当たり前のように住まわせてもらったこの家。
3歳から40歳になるまで、途中6年程は下宿や新しい実家で過ごしたとしても、
30年もの長い間、私はこの家に住まわせてもらっていました。
子供の頃から大学で下宿するまでの間も、結婚してから今日までも、
振り返れば、狭いながらも楽しい我が家でした。

反省。
私は、とても恵まれていた。
私はとても、恵まれていた。

私にとっては、30年住み続けてきた「もともと実家だった家」。
私にとっては、「大好きな家」

私は、この家を卒業しようと考えている。
私は、勝手に地方移住計画を考えている。

(続きます)





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