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【気付き】「吃音」をどう理解するか|承認欲求の渇愛

「吃音(きつおん、どもり)」とは、話す時に最初の一音に詰まってしまうなど、言葉が滑らかに出てこない発話障害の1つです。

私は吃音当事者で、吃音者の多くの人がそうであるように、悩み苦しんできました。

吃音への理解を深める(=自己について理解する)ことが苦しみから解放される道なのかなと考えています。

気付き|大元は承認欲求の渇愛なのかも

吃音は、わたしたちの体の表面に現れているだけのただの現象なのかもしれません。本当に、見なければならないのは、吃音の引き金となっている、自分の心の状態ではないでしょうか。

承認欲求は、人間なら誰にでもある欲求の一つです。社会的に高い地位にいたい、学歴の高い大学に行きたい、有名な企業に入りたい。。全て承認欲求が入り込んでいます。もちろん実現したいことのために、上記のような選択をされた人もいると思います。ですが、少しも承認欲求がないと言えるでしょうか?人の動機は、単一ではなく、色々な要因が混ざっているものです。ここで、注意したいのは、承認欲求は悪いものではないと理解することです。

欲求を満たすことは悪いことではありません。しかし、求めすぎると中毒のように際限なく求めてしまう危険なものです。いくら満たしてもまた枯れてしまう。欲求の渇愛です。

吃音になるプロセス

過去の何らかの出来事をきっかけに(ある一つの出来事かもしれないし
、長年の経験の蓄積かもしれません)承認欲求を渇愛する状態になってしまったのもしれません。

欲求は、妄想を生みます。「あれが欲しい」、「これがしたい」、「こうであったらいいのに」は全て、それが実現していない現在の否定につながります。

また、吃音では予期不安という、話す前にどもってしまうのではと予想して不安なる現象がありますが、これも妄想と捉えられます。起こっていないことを、予想して自分で不安な気持ちになっているだけです。

予期不安をした結果、話すことに心のブロックが生じ、結果体が動かなくなりどもってしまう。そして、またどもったことに悩み苦しむ。。ループに入ります。

どうすれば治るのか

吃音の難しいところは、治そうと思えば思うほど吃音に囚われてしまうところです。かと言って、気にしないぞと思っても、日々の生活の中で吃音を意識する場面が多く、その度に辛い思いをします。

ただ、今回の考察では、吃音という現象にフォーカスするのでなく、根本の原因かもしれない欲求(承認欲求)に気づくことができました。このことに気づけたことは、私にとって大きな出来事でした。承認欲求は、自分には関係ない、少ない方だとまで思っていたからです。

このように、自分の心に巣食う、「さまざま思いに気づくこと」が、結果的に吃音の改善につながる気がします。

承認欲求が暴走するきっかけとなった、過去のできごとと向き合ってみましょう。辛いかもしれませんが、見て見ぬふりをしても心のわだかまりは残ったままです。嫌な思い出こそ、とことん観察して清算することです。

日々の訓練として、マインドフルネスも効果がありそうです。
妄想は思考することで生まれます。妄想した時は、直ちに妄想であると気付き、ただ観察することです。そして、これは妄想であると理解する。そ\そうして、体の感覚に集中する(マインドフルネス)。余計な妄想を止める訓練になりそうです。

まとめ

私は吃音で苦しんでいると思っていたが、吃音は表面に現れているだけのただの現象で、本当に理解すべきは心の奥で感じている「承認欲求の渇愛」ではないか?

欲求の暴走は、妄想を生む。(優秀でないと認められない、吃音だと嫌われる等)

人間は妄想を真実と思い込む癖があり、反応してしまう。(吃音の予期不安など)

結果、予期不安がトリガーとなってどもってしまう。

吃音は、承認欲求(=人間の根源的な欲求)が暴走していることを知らせてくれているだけとも捉えられる。

今後どうするか

吃音が改善する=承認欲求の暴走を沈める
以下の行動をおこなっていく。

  • 過去の嫌な思い出(承認欲求を暴走させた原因)を清算する。

  • 心のプロセスを理解する。(欲求→妄想→反応→不安を感じる)

  • 感情がただあると認める。(余計な判断をしない、判断は思い込みにつながる)

  • 感覚に集中する。(マインドフルネス)

日々、修行ですね。がんばりましょう。

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