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大学時代に引きこもっていた話【ぼくが作りたい居場所】#694

おはようございます。

9/23 子どもたちが自分らしい人生を歩むために必要なことは「自分の思いを知る」ってことです。この思いをもって、これまで活動を続けてきましたが、同じ思いをもった人とついに出会う機会がありました。その人の話を聞けば聞くほど共感で、そんな瞬間ちょっと自分の考えをまた好きになれた気がします。 おこめさんです。


最近のぼくの中のキーワードは居場所です。


自分の過去の経験も踏まえて 

こういうのじゃないんだよなぁ

もあり

こういうのがいいんだよなぁ

もあります。(←伝わりますかね?)


今日はこれを言語化していきます。


おこめさん→10年の公立中学校勤務を経て独立。朝活×探究のオンライン塾を設立・運営。子ども~大人までを対象としたライフビジョンコーチとしても活動。半年の育休を取得した朝活大好き2児のパパ


▼過去の自分

実は大学4年生のとき、引きこもっていた時期がありました。

正確にいうと、4年生の12月から3月までです。

卒業式の前日まで 親に嘘をついてずっと家にいました。
(親は大学に通っているって思っていた)


なんか、何もかも嫌になってしまって

家でずっとオンラインゲームをやっていました。


この歳になると、これはただの甘えだったとも思いますが

当時のぼくには そこから抜け出すことができませんでした。


毎日親を見送って、そこからゲーム

親が帰ってくるまでずっとです。


親には 大学のこととかたまに聞かれますが、

「まぁ ぼちぼちやってるよ」

みたいなことを返事していました。


最初の方は、「明日こそ大学いこう!」

とか思えていたのですが、

卒論の関係で組んでいた相方に合わせる顔がなく

申し訳無さもって、どんどん家からでるハードルが高くなっていきました。

そんな中でもオンライン上には自分のことを対等に扱ってくれる人がたくさんいて、しかも誰も自分の素性を聞いてこなかったから、そのときの自分にとってはそこが居心地のいい場所でした。


それでも現実は何も変わっていかなくて

嘘をついている自分

まわりに迷惑をかけている自分

かわろうとしない自分

何もできていない自分

がどんどん嫌になっていって


どうしたら この世からいなくなれるか

そんなことを考えてる日々でした。

(書いていて今でも震えます)


でもそんなことをいくら考えても結局動き出すこともできず

その勇気さえない自分をさらに嫌いになって


自分の自己肯定感の最後を支えてくれていたのは

オンラインゲーム内でのまわりからの声でした

「おこめさんがいるから助かったよ」

「あそこに気づけるのはさすがだね」


ただのゲームです

だけど当時の自分にとってはそれが命をつないでくれた声でした。


結局こんな生活が3月の卒業式の前日まで続き

ついに親から

「明日、卒業式やね。一緒に行く?それとも別でいく?」

みたいなことを言われたときに


はじめて打ち明けました。



ビンタされました。

たくさん泣かれました。


一番悲しませてしまったのはぼくが嘘をついていたことです。


引きこもりそれ自体は別にいいと


そうじゃなく、親に嘘をついていたこと


それが一番悲しかったと



ぼくもずっと嘘をつき続けていた毎日がしんどかったです


ビンタをされてある意味ふっきれました


本当に人生の底の底まで落ちたときでした。


でもそこまで落ちたからこそ、前を向けたのかもしれません。


親に再度頭を下げて、大学5年生への道をお願いしました。


ここからは教員採用試験と卒論に向けて全力で走り抜ける一年がはじまります。
(こうして教員一年目へとつながっていきます)


▼ぼくが思う居場所

それはいろんな場所があると感じます


それぞれの人にとって、必要な居場所があるんです。


落ちるところまで落ちている人からしたら、

前だけを向いてキラキラした目で熱く生きている人たちの集まりは

ただただ苦痛でしかないだろうし
(それでもそこに居続けることができればきっといい影響があるのでしょうが)


逆に前を向いてガンガン進んでいきたい!

という人にとっては

オンラインの素性も知らない人との会話は

ただの会話でしかなくて、居場所でもなんでもないのかなと


そう考えると居場所はそれぞれの置かれている状況やその時々の想いによって変化していくもので

それぞれにあった場所があって、

それを本人が選べる環境が大事なんですね。


▼ぼくが届けたい居場所

それは その人個人個人を ありのまま受け入れてくれる場所

何かができなくてもいい(勉強や登校)

何かをしてしまっていてもいい(ゲームや漫画ばかりの生活)


それでもまずは受け入れてくれる場所
(当時のぼくはそれを求めていた。)

そういう場所があるからこそ、人はまた前を向けるし

頑張ろうと思えるのです。


何も触れられないのは確かに当時のぼくにとってはありがたかったけど

今思い返すとやっぱり寂しい思いもこみ上げてきます


触れられないのは無関心を突きつけられる感じもするから



だから、ぼくが作りたい居場所は

ちゃんとその人のことも知っていて、だけどそれも含めて全部受け入れられる場所

そして、無理やり上から引っ張り上げるのではなく、

下で支えて

それぞれのタイミングで立ち上がろうとするそのときに

しっかり押し上げていけるような

そんな居場所


それを一人ひとりに合わせて

対話によって作っていきたいです




今日もここまで読んで下さってありがとうございました。


#自分 #過去と未来 #苦しかった #それでも前を向けた #受け入れる #受け止める #今わたしにできるのは #オンラインフリースクール

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