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なんのための運動会?【目的から考える学校行事】

おはようございます。おこめさんです。


先日息子が来年通うことになる小学校の運動会に家族で行ってきました。

といっても学校内に入れるのは関係者だけ(2人まで?)なので、ぼくたちは外側から観戦でした。

子どもたちのおじいちゃん、おばあちゃんたちもフェンス越しに見ていて、息子は知らないおばあちゃんの横にぴったりくっついて運動会を見ていました。(ちょうど見える位置に移動したらおばあちゃんの横だったみたい)


息子が好奇心旺盛に運動会を見ていた反面、

ぼくは「運動会って何のためにやってるんだっけ?」

一人またまた難しいこと(?)を考えていました。


今日はここについてまとめていきます。

おこめさん→10年の公立中学校勤務を経て独立。公立学校を外側から支えるために、オンライン塾を運営。子ども~大人までを対象としたライフビジョンコーチとしても活動。半年の育休を取得した2児のパパ。


運動会のようす

今年の状況から、かなり学校側も考えられてつくられたのが伝わってきました。

まず、全学年揃っての開催ではなく、3学年ごとにわけて開催されていました。

1~3年生の部と4~6年生の部とです。

種目に関しても、ダンス系?と競技系を合わせて1つの種目にしている感じでした。

1年生→ダンス踊ってから玉入れ

2年生→ダンス踊って大玉ころがし

3年生→ダンス踊って綱引き

みたいなことです。
(うちの地域では、毎年ダンスをするというのが一つの種目になっていましたが、それが競技に混ざってるって形でした)

とにかく時間を短く、コンパクトにっていうのがなんとなく伝わってきました。

前半の部(1~3年生)の運動会が終わったのは10時手前

そこから後半の部がはじまり、午前中には完全に終わる、そんな流れだったみたいです。(前半だけしか見ていませんが、放送などを聞くにそんな感じ)


競技自体は、王道で

徒競走や綱引き、玉入れ、大玉ころがし、そんなところでした。


何のための?

で、ふと思ったのです。

「この行事って何のためにやってるんだろう」


保護者に子どもの成長を見てもらうため?

子どもに何かしらの力をつけたいから?

子どもの感性など、目に見えない部分を育てたい?



恐らく運動会の実施要項には、最初あたりのページに目的が書いてあると思います。

上記のことを踏まえて考えてみると

「子どもたちにチームで一つのことに取り組む良さを実感させる」

「頑張る過程に価値を感じさせる」

「運動の楽しさを感じさせる」

「何かに一生懸命に取り組むことの大切さを感じさせる」

「規律ある行動について理解を深めさせる」

「保護者にも子どもの成長過程を見てもらい、一緒に教育に携わる連帯感を育む」


そんなあたりのことが掲げられているのでしょうか。


あえてここで考えたいのが、この目的を達成するためには運動会である必要があるんだろうか、ということです。


学年ごとに行う行事にしても良さそうだし、あの形にしばられなくてもいいような気がします。


何より、先生が決めたことに従って、子どもたちが規則正しく動けるかどうか、そういったものが重視されているような気がしてならなかったのです。



どうして、毎年 玉入れなんでしょう。

綱引きだってこれまで何回見てきたか


未だに昔と同じ競技が今も行われていることに違和感を感じてしまったのです。


育てたい子どもの姿はその時代に合わせて変わっているはずなのに、その中身に関しては昔とほとんど変わっていない。


これって本当に健全でしょうか?


そもそも

学校として、どのような子どもを育てたいのか、

その最上位の目的は何か


ここが明確になっていない学校が多いのが現状かと思います。(少なくともぼくが勤務した小中学校や、見聞きしてきたすべての学校)


あなたの学校は、どんな子を育てることが最上位の目的ですか?

と聞いても答えられません(当然ぼくも答えられなかったです)


なぜなら、それについてみんなで議論し、みんなで意思統一が図れていないからです。


どこに向かうかは、それぞれの先生方の「理想の子ども像」に委ねられていて、学校としてというものは ほとんどないのが現状です。


だけど、そんないろんな考えを持つ先生方が一緒になって作っていく学校行事では、とりあえずいろんな理想的な子どもの姿があるだろうから

それらをまんべんなく網羅できそうな目的が掲げられます。

それらは大抵上記のように羅列されています。


それらの目的に対して異議がでてこない、普遍的なものであることが多いです。


でも、そもそもに立ち返ると、運動会を通して育てたい子どもの姿は果たして上記のようなものに収まっていていいのでしょうか。


例えば、

子どもたちに創造的な学びを促す

問題解決の力を培う

チームで納得解を紡ぐ力をつける


などを目的にすえることがあれば、運動会の形はぐっと変わっていけるはずです。(その手前に当然学校としての最上位の目的がはっきりしている必要があります)


こんな運動会、あんな運動会

であれば、先生が決めた種目に対して、子どもたちが規則正しく行動し練習を重ねて、本番に臨むという従来の形ではなく


子どもたちに一つのテーマだけを投げかけて、それを達成するための手段としてどのような形の運動会にすればいいか

を話し合う


そんなところからはじめてみても面白いかもしれません。


すべてが白紙、決まっているのは目的のみ


そうなると、子どもたちの創造性はいかんなく発揮できます。

その話し合いの際には、

自分だけがよければいい→みんなでやっていくことに価値がある


そんなことに気づいていく過程もうまれるかもしれません。

そのためには様々な問題が挙げられ、その一つ一つをどのように解決していくのかを話し合う活動も生まれそうです。


多数決ではない、決定


自分たちが納得いく形で運動会を作っていくために、徹底的に話し合い、

それぞれの意見の折衷案を探していく


こうして出来た運動会は画一的なものではなく、きっとその子たちにしか作れない、特別なものになるはずです。

それを考えているぼく自身もワクワクがとまりません。


現場は精一杯

でも、そんなことは理想ってこともわかります。


どの時間にそんなことができるんだ


ぼくもそう思います。


もう一刻も早く内容を決めて、そのための練習に入らないといけない

予定を決めてその予定どおりに子どもたちができることをすすめていかないといけない。


先生たちも今の運動会で必死です。


でも、だからこそ 一度 学校としての最上位の目的に立ち返る必要があるのだと思うのです。


そもそもこの行事って何のためにしてるんだっけ?

これってうちの学校が掲げる目的の達成に寄与しているのかな?


目的が決まっていれば、削れる行事もたくさんあるはずです。

やり方だって従来の形に縛られる必要はなく

簡素化できるものはたくさん生まれるはずです。


目先の忙しさに追われるがあまり、長期的な視点で見ることができず

毎年 例年通りが繰り返されてきた


それがぼくが見た 運動会の様子 だったのかもしれません。


今一度、もっとシンプルに

何のためにやるの?

学校としてどんな子を育てたいの?


基本に立ち返り、スクラップしていくときがきているのだと思います。


そのための管理職の方々や現場の先生方一人ひとりの意識が問われています。



でもきっと、ゴールから描く学校は みんなにとってキラキラした素敵な場所になるんだろうなって思います。



応援しています!!



そして、いつかまたお世話になった学校教育に恩返しができるように

今できることを精一杯、目的をもって実践していきます。



今日もここまで読んでくださってありがとうございました。



ブログ こめたか

オンライン塾 おはこや(学校では教わらないこと 哲学対話 学習計画立案サポート)

コーチング(習慣化サポート、問題解決支援、進路指導など)


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