見出し画像

富田 旭(とみた あさひ)

◼︎富田 旭(とみた あさひ)とは


彼と出会ったのは約3年程前、「就活アウトロー採用」というサービスを通してだ。
(「一般的な就活とは異なる就活」、そんな標榜がよく似合う。一応リンクを貼っておくが、本題から逸れそうなのでここではあまり触れない。)

この「就活アウトロー採用」の参加者はたしかに風変わりな人間が多かった。
その中でも彼は異質であった。
一般社会で馴染めないと感じている者がいるとして、そのような思いを抱えている人々が集まると馬が合う、ということもあるだろう。
しかしながらそこでもまた疎外感を感じる、そんな人間も存在する。
彼はここ就活アウトロー採用の場で大いに受け入れられているように見えたものの、彼自身がそのように感じているとは見受けられなかったことが印象的だった。

彼とはいままで、オンライン上のみでコミュニケーションをとっており、オフラインで実際に会ったことは一度もない。
このような関係性は一瞬で崩れ去ってしまいかねない、というのが通説だろうか。
私から話しかけることが多く、というか「就活アウトロー採用」の時から私から話しかけること「しか」なかったような、、、
それだけ私は彼に魅かれているということだろうか。
彼からすれば私のSNS上のメッセージを無視することで、もしくはブロックなどすればすぐさま関係を断てる。
しかしながら彼はおそらくそれをしないように思われた。
無視される、ブロックされる、無視するブロックする、恋愛だろうが友人関係だろうがビジネスだろうが関係ない。
そんなことは五万とあるわけだが、どうにも彼との間でこのようなことが起きる想像があまりつかない。

そう、もちろん私の側から彼との繋がりを断つ選択肢もあるわけだがまあそんな気も起きない。
「今まで会ったこともなく、連絡頻度も高くないからお互いを嫌ったり憎んだりするような距離感でもないしなあ」、なんて分析をしてみたりもする。
いや、この見解はあまりしっくり来ない。


◼︎火傷出来る熱


既にお気づきのことであろうが、私は自他共に認める長文erである。
彼もそうだ。
LINEのメッセやTwitter・InstaのDM、こういったテキストチャットの使い方、文量、絵文字の有無などは個人によって千差万別であり、まあ少しやりとりをすれば相手の感じも分かるというものだ。
短文erや未読無視er、スタンプerなど色々いるが、私は自身同様の長文erを好む。
短文erに長文を送っても望んだ会話は起きない、大長文でのやりとりをするためには長文erを探さねばならぬのだ。

さてそんな大長文erの私でさえも、彼の大長文には度肝を抜かした覚えがある。
ご存知の方もいるだろう、LINEで一定文字数以上(1000文字以上らしい)のメッセージを送ると、相手画面ではメッセが全文表示されなくなる。
メッセ最下部の「すべて見る」的なボタンをタップしなければメッセージの全容を確認することが出来なくなるのである。
そうである、彼とのやりとりではこの事態が起こることは至ってノーマル。
日常の出来事や思ったこと考えていること、趣味から思想哲学、彼と議論すべきトピックはとどまることを知らないのだ。
私がテキストチャットでやりとりをする人間の中でも1、2を争うレベルのエッセイスト、いやエッセイerと呼びたい。

そう、彼はエッセイを送ってくるのである!

人によってはなんやおもしろくもない、空虚な大長文を送ってくる輩もいるのだが、彼の文にはパッションを感じざるを得ない。
音楽や絵といった諸創作活動に勤しむ彼。
映画や漫画、アニメにも余念がない。
学術的知識から宗教やスピリチュアル、幅広い知識を持ち、聞けば何やら面白そうな経験の数々。
そんな彼の文章を、ついつい読み入ってしまうのであった。


◼︎おわりに


さてここまで書いてはみたものの、どうにも抽象的な読み物となってしまった。
より具体的なエピソードを交えることも可能だろうが、今回はよしておくとする。
むしろこのようなフワッとした文章こそ情報商材のオープニングアクトであるし、「じれったいねん!」と埋め込みリンクに飛びついた貴方は私の術中にまんまと嵌まっているのである。

などとここまでの展開は戦略謀略であるかの如く装うことで、私の面子は今日も保たれたと言える。

兎にも角にも、富田旭を堪能あれ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?