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261. 「鞭で打たれてくれ」

そう言われたら許可するか、はたまた拒否するか。

「なぜそんな目に遭わなきゃいけない?」
ある者は言うだろう。

「もちろん、どんどん頼む。」
マゾヒストにとっては快楽だろうか。

「時給1万円ならいいよ!」
分かりやすい対価、システムだ。

さて、おそらくそこらの人々は題のような発言を受けた場合
「なぜ?」、「なんのために?」
そんな疑問を抱くのではないだろうか。

「鞭で打たれる」
それは強弱によれど「痛み」を受けることと同義。(痛覚麻痺などは例外として、鞭で打たれることで痛みを体感することは不可避である、とここでは仮定しておく。)
人間の身体メカニズムにおいてこの「痛み」は優秀である。
痛みという「身体的負荷(ストレス)」によって我々は自身における何らかの異常に気づくことが出来たりする。
そう、痛みはストレスだ。
人間はストレスを最大限避けようとする。
本当だろうか?
鞭で打たれて痛む、そんなストレスを受けることも金を貰えるならば厭わないとする者がいる。
また、痛み自体を快楽と捉える者にとってこのストレスは報酬となる。
彼らはストレスを避けない。
「ああ今日は疲れた、けど明日のテストのために勉強しよう。」
疲労の中勉強することにより受ける身体的・精神的負荷(ストレス)の代償として、明日のテストの結果を、若しくはこれに付随する未来の報酬を期待する。
そうだ、人は必ずしもストレスを避けない。
ストレスの対価として得られる何かがあれば人は耐えることが出来る。

それでは突然予期せず鞭で打たれたらどうだろう。
やはり疑問を抱くだろうか。
「なんでこんなことをする?」、「慰謝料を払え!」
鞭で打たれるのには理由が要る、代償が必要だろう。

それでは日々鞭で打たれることが恒常化している者はどうだろう。
「今日も私は鞭で打たれる、なぜこんな目に遭わなければならないのか、ああきっと私は選ばれし者なんだ、試練を与えられているんだ、これが終われば私は何かしらの恩恵を得られるんだ。」

「金銭のために鞭を打たれよう。」
これはある種自主的な選択と言えるだろうか。
彼女は、彼は実際に対価として金を得ている。
打たれる理由が分からぬ者は、自ら理由を策定する。
そうしなければ辻褄が合わない、分からないことのストレスには「耐えれらない」からだ。
マゾヒストはどのようにして生まれるのか、先天的な要因か、はたまた後天環境によりマゾヒストとして「生きざるを得なくなった」か。

「今日も私は鞭で打たれる、なぜこんな目に遭わなければならないのか、ああきっと私は選ばれし者なんだ、試練を与えられているんだ、これが終われば私は何かしらの恩恵を得られるんだ。」

このような思考は楽観的、とても平和に思える。

「私は鞭で打たれて当然、私は非道い人間なのだから、前世でも悪虐を尽くしたのだから。」
宗教によるコントロールは有用な手段だ。

「どうしてこんな目に遭わなければならないんだ、こんな目に合わせた奴らが憎い、復讐してやる。」
私は長門(NARUTOより)が好きだった。
彼の思う「痛み(ペイン)」について、世界に痛みを与え、人々にそれを理解させることで平和を創ろうという思想には一理を感じる。

人は痛みを抱えることが出来るだろうか。
あらゆる痛みを一身に引き受けて、それを受け入れた上で他者に優しく出来るだろうか。
受けた痛みを誰かに返さずに、自分を傷つけることでその場を流せるだろうか。
原子爆弾は、人々に争うことの痛みを正しく理解させただろうか。
日々苦しむ人が様々な理由で死んでいくことに慣れていくことが正解だろうか。
ああ今日も殺人事件が、どこかで飢え苦しんで死んだ奴が、自ら命を絶った彼女が…

考えることは正義か?
考え過ぎて死んでいった彼は世界に悲しみを遺さなかっただろうか。
考えないことが正義か?
もっと考えた方が良いのかもしれない、そんな思いを片隅に感じつつも酒に酔って忘れておけば今日は一安心だろうか。
考えさせることは正義か?
何一つ不安などなかった少女に世界の苦しみを吹聴することで誰かが救われたか、あるいは絶望を伝播させただけだったろうか。
考えさせないことは正義か?
「能天気に生きてられるのが幸せさ、彼らのその平和を守るために俺達考える奴だけで集まってなんとかしようぜ。」
あいつにはどうせ分からない、そう言って頼られるのは「分かってしまう」奴だ。
分かってしまう、考えられてしまうからこそもっともっと
考えさせられる案件が舞い込んでくる。

「考えすぎだろw 気楽にいけよもっと笑」
ああこいつには分からないだろうな。

それでもまだトライするか?
まだやってみようと思うならいつでも私を頼ってくれ。
私も君に頼らせてもらうとするよ。
そしたら行ける気がする。

頼られてばかりの君が頼ることが出来る存在でありたい。
頼ってばかりだ、そう嘆く君が頼られる存在になる手助けをしたい。

助けているという感覚、そして助けられているという感覚。
1:9だと自立感が持てないか。
9:1だと報われないか。
3:7ならもっと力になりたいか。
0:10こそ至高か。

孤独をかき消す為の議論なら実用性がない、か。
まあいい、10000日経った後に期待するとしよう。

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