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265. 親友はいるか?

初めから分からなかった。
この記憶は幼稚園の頃のモノか、それ以前か。

心地の良い関係性というものを見出すことは難しかった。
どれだけの時間を共に過ごそうとも、徒然を慰める以上の何かは得られなかったように思う。
スマブラは面白かった。マリオパーティーは面白かった。
周りの人間について知ることは、未知の何かに触れることはそれはそれは良い刺激だった、それは今も変わらない。

コンテンツは私を魅了する。
ビデオゲームが、本が、アニメが…
ドンキーコング64はどこでやめただろう、バンジョーとカズーイの大冒険2は怖いステージで断念したのだったろうか。
ゴールデンバナナが201本あることを知ったのは何時だろう。
ボスの倒し方を、キャラクターの台詞を真に意識し始めたのは何時だろう。
魔女の宅急便のプロットが理解できるようになったのは何時からだろう。

あのBGMは神曲だった、そうやって引っ張り出してくるプレイステーション2、ああそういえばストリートファイターEX3は技のコマンドをまるで理解していない中プレイしていたなあ。
スーパーファミコンはどこにいったかな、スーパードンキーコング2を久しぶりにやりたいな。



あの頃君は私にとって、確かに友人と呼べる存在だったのだろう。
いつから君のことを知っていたのか思い出せない、親に決められて遊んでいただけだったような気もするよ。
友人は多い方が良いらしかった。
それが喜ばれるのであればそうするさ。
ああでもいつからか君と遊ばなくなった。
そうしてまた月日が経って、久しぶりに会った君は変わっていたね。
昔は一緒に何をしていたっけね、忘れたけどまあ今は今さ。

君という人間は私にとって一つのコンテンツだ。
あの時はクリアできなかったコースを、隠し要素を、レアアイテムを。
私にトラウマを与えるようなショッキングなゲームは捨てたかな。
もっとやり込んでいたらその面白さに気づけたかもしれないあのゲームはどこにいったかな。
今やらないゲームだってまたいつかやるかもしれないだろ。

ああ彼らは永遠を欲しているようだ。
長年の友情は尊いか?
それは否めない、保持することはおそらく簡単でもないから。
しかしながら強引に繋ぎ止めようとする「それ」にはあまり価値を見出せなかった。
つまらないゲームは、やっていて辛いゲームは、あまりに悲しいゲームは、バグが多すぎるゲームは…
なるほど価値を見出す試みは出来よう、けれども時に終わりは来る。

まあまたいつかそのゲームは探すよ。
気が向いたら会おうや。
そんなくらいのノリでいい、窮屈にならない程度で。
約束を破るのは嫌だから。
1ヶ月後の予定なんて分からないさ、いや分かってしまうのも退屈だ。
その日はアイスランドにいる友人と温泉に行くかも分からないだろう、予定なんて立てたら柔軟じゃない。
それだと満足出来ないらしい人は怒り出すから、友情も恋愛も難しいことがあった。

でも生涯一つのゲームを握りしめて生きるような人をみると羨ましくもなったりする。
君のためならなんでも投げ出す、カレンダーを埋めよう。

皆そんな人を見つけたのかな。
そうだと思わないと生きていけないのかな。

誰かにとてつもなく執着できたらなあ、そんなことを韓ドラを観て思った。



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