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6. 脳内に嵐を添えて

今日はどんな恐ろしい夢を見るのだろう。

明日はどんな絶望が待っているのだろう。

今日も色々と考えてしまった。

「しまった」という表現が自分の悲観性を象徴しているかのようで

それでも今日を生き抜いたことを誇ることは許されるだろうか。

ふと BUMP OF CHICKEN さんの「ギルド」という曲を思い出した。

自分を俯瞰・監視している自分が存在している、という表現において

二種の自己が存在していると仮定すると、本来の自己はどちらになるのか。

解離性人格障害? 境界性人格障害? 自己愛性パーソナリティ障害?

「障害」とは? 「病気」とは?

現代は平和か?

平和とはいつでも何らかの犠牲の上に成り立っていたのではなかったか。

書き続けるのは何故か。

双極性障害の躁状態がなせる技か?

クエスチョンマークとは?

メタ認知とはなにか?

自分はここで苦しんでいる、そんな叫びが文字となり文章となり今ここに顕れているのか。

疑問は疑問を呼び夜は深くなり明日もまた苦悩するとして

それを悦ぶ自分も存在しているような気もする。

自殺という行為はリターンが大きいギャンブルにも成り得るだろうし

「正しい漢字の使い方」に執着することの意味にも疑問はあり

法を犯す者の除外は問題の解決に寄与するのかも甚だ疑問であり

否定に直走る者を否定することもまた避けたい。

本記事のタイトルをどのように設定しようか。

上記の文章の羅列に何らかの一貫性、テーマを見出すとすれば

Netflix で 「Friends」というアメリカンコメディを観ることをおすすめする。

疑問に疲れた自己をどこか違うところへ連れて行って欲しい、そんな時に私はこのテレビドラマに頼らざるを得ないのである。

病的?🧐

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