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カニとわたしの制作記 1


突然やってきたカニブーム

年が明けて、なぜだか思い出せないけれどこれまでずっとカニを描いていました。

「ひたすらカニを描く1年があっても良いんじゃないかな」

そんなことを考えた記憶は確かにあります。だけどハダカデバネズミの連作を描くときのように、カニと向き合うことを心に誓ったわけでもなく、カニブームはわたしの中で静かにじわじわと始まっていたようです。カニを描きたいだなんてどこからこの気持ちはやってきたの?

過去の取材をもとに初めて描いたイシガニ
「STELLA MARIS」
鉛筆、金箔、顔彩、半草鳥の子紙
9.5×14cm
額装外寸20.3×25.4cm
2024年製作



好きじゃなくても描いてみる 恐怖から逃れる近道


 そもそもわたしはカニのビジュアルが苦手でした。身体のつくりは他の生物が足元にも及ばないほど複雑に見えるし、脚はすぐに外れてバラバラになりそう。お腹なんてカチカチに固まってシワが濃くなった脳みそみたい(カニさんごめんなさい)。食べるとお腹が冷えて体調を崩すので口にすることもほとんどありません。
 さらに2024年は辰年。私のような具象画家なら年末年始と2月頃まではせっせと龍を描いて世間の需要に応えるチャンスなんです。かく言うわたしも龍の小品を3点描きました。

 その合間にもこれまで集めたカニの資料をGoogleフォトからひっぱり出し、博物館に赴き、標本展示ってどうしてアングルがこうも四角四面なんだと心の中ではブツブツと文句を言いながら、それでもたくさんの資料を間近で取材できることに感謝しました。

 カニに関するネガティブな印象をあれこれ挙げてはいますが、苦手な対象を偏見のないニュートラルな感覚で観察することができる1つの方法があるとすれば、わたしにとってそれは絵に描いてみることです。作品にするという前提であるなら、描く対象にまずは無感動で向き合い、観察と理解を深め、恐怖や嫌悪感を克服できることを経験上知っています。見た目が苦手な生きものでもインスピレーションがどこかからやってきたのなら相手にするしかない。対象をよく知ればその後にやってくるのは意外なほどの親密な気持ちです。


ガザミをモデルに描いた作品

「ほしあつめ STAR COLLECTION」
鉛筆、金箔、顔彩、半草鳥の子紙
9.5×14cm
額装外寸20.3×25.4cm
2024年製作


観察がもたらす恩恵 「カニって可愛い」


 わたしたちが普段食用にしているズワイガニやタラバガニ、毛蟹などはカニのなかでも比較的巨大種のようです。ワタリガニやサワガニもけして小さいわけではなく、標本展示の数で言えばコザクラガニやヒライソガニなど、大きくてもせいぜい3cmにも満たないサイズのカニたちのほうがずっと多い印象でした。カニの世界に比べたらサモエドとティーカッププードルの大きさの差なんて微々たるもの。

 小さな身体ではあるけれど、同じ名前のついたカニのなかでも色や形のバラエティのなんと豊富なこと。「あなたも、あなたも、あなたもヒライソガニなの!?」初めてカニに興味を持って取材を始めたばかりの私にとってはなかなかの衝撃です。カニについて少しでも知識のある方、ぜひ笑ってください。ガザミという名前ですらこれまで見たことも聞いたこともなかったんです。

 小指の爪くらいの身体に、薄いピンクや黄色の透明感ある殻を持った小さな小さなヒメサンゴガニを鑑賞していると、私が感じていたカニそのものへのグロテスクな印象は徐々に払拭されていきました。それどころか、単純に可愛いではないか。「怖いと思っていたのは私が無知だったからなのね、誰かの格言みたいだけど。」そう思って調べてみたらちゃんとありました。(もちろん)

「恐怖は常に、無知から生まれる。知識は恐怖の解毒剤である。」(ラルフ・ワルド・エマーソンRalph Waldo Emerson )


取材をもとに描いたサナダミズヒキガニ
触手のような脚に回虫みたいな名前を付けられただけあるなと感心
素揚げにしたら美味しいかも

《MIRROR》
鉛筆、金箔、顔彩、半草鳥の子紙
9.5×14cm
額装外寸20.3×25.4cm
2024年製作


イメージに向かって一直線で走り抜ける困難さは取材段階ですでに始まっている


 博物館での取材はカニたちと私のインスピレーションが出会いつながるはじめての機会となりました。この日のわたしは博物館内に点在するカニの展示コーナーを、ゲームを攻略するプレーヤーのようにひとつも見逃さず効率よく巡りました。ひとつの展示ケースに10分くらい張りついたまま観察したり何枚も写真を撮ったりするわけで、他の来館者にとって自分は常に邪魔な存在。その罪悪感をなるべく無視しながらの作業です。しかも他の人に気を遣いすぎてよそ見をしていたら、誘惑だらけの優秀な国立博物館では時間がいくらあっても足りません。「大きな恐竜の骨格標本も1時間くらいかけて観察したい!あの鹿の剥製がうちの猫にそっくり…。ヤドカリっていう手もあり?」そんな感じです。

 正直なところ、描きたいと思った動物を取材しに出掛けた結果ほかの個体に興味を惹かれ、もともとのアイディアは記憶の彼方に置き去りにされることは作家にとって日常茶飯事です。

 たとえばこれは良い方の経験ですが、数年前に訪れた札幌の円山動物園ではダチョウに会いに行くことが最初の目的でした。そこにはまつ毛がバシバシに生えたデヴィッド・ボウイのように美しいダチョウが展示されていて、私はその子をモデルに制作するのがとても好きです。そしてその時の訪問で、わたしはダチョウの柵から通路を挟んだ向かい側で暗幕に囲まれて展示されているハダカデバネズミの巣ものぞいてみました。
 毛のない肌がむき出しのシワシワのネズミたちが巣穴に何匹もみっちりと詰まって重なり合い、もぞもぞとうごめいています。一見したところでは絵のモデルとしての美しさは特に感じませんでした。むしろ生きものとして面白すぎるビジュアルゆえ醜さまで備えています。「なにこれ!」ショックと同時に、この意味のわからない生きものを描いてみてはどうだろうと興味をそそられ、申し訳ないけれどダチョウの構想はその場で初めから無かったかのようにハダカデバネズミの取材を始めました。
 結果、その後1年以上はハダカデバネズミばかりを描いていた時期があります。


いきなり全部は変わらない 変化は少しずつ重ねてみる


 カニの制作を続けるうちに使用する画材にも変化が訪れました。普段わたしはアルシュというフランス製の水彩紙を使っています。画材については好みがはっきりしているため、他の人から見れば頑なにと言っていいほど画材を変えることはまれです。けれど今回は、硬くて複雑な凹凸があるカニの殻の質感を表現するときに、白くて目の整った水彩紙は清潔すぎてカニの硬質さを強調しすぎるような気がしました。もう少し柔らかさが欲しい。そこで画材店で目についたのはハガキサイズに切り出された試し描き用の半草鳥の子紙です。一般的には日本画や版画用の紙として使われます。1枚ごとに漉きムラがあって、表面には若干のケバがあり、厚みも十分。鉛筆でぼかしたり強い線を描くのにはやや不向きなものの、私が求めている繊細で強すぎない描写を実現するのには最適だと思えました。これはもちろん、目的とする表現がどのようなものかによるので、その時のわたしが描きたいカニ作品のイメージに合う画材を選んだ結果だと思ってください。

 和紙を支持体にする前提だと、色を使う場合でも手持ちのアクリル絵具や水彩絵具での着彩はなんだかつまらない。そこで初めて顔彩の絵具を使ってみることを思いつきました。日本伝統の和紙に顔彩で着彩する。それこそ短絡的でつまらない手法に思われるかもしれませんが、わたしにとってはどちらも初めての試みだったので、とにかく落ち着いてオーソドックスに描き始めてみたかったのです。
(「カニとわたしの制作記2」へつづく)


アルシュ紙に描いたズワイガニ(部分)
緻密さを表現するには最適な水彩紙で宝石の形もピチッときまります
半草鳥の子紙を使う直前に完成、この硬質な雰囲気も大好き


「GRACE」
鉛筆、金箔、アルシュ紙
27.3×41.0cm
2024



半草鳥の子紙にズワイガニを描いた作品
緻密さの中にも柔らかな雰囲気を求めました
アルシュ紙の時より可愛らしさが増すように感じます
顔彩の赤も和紙の色と馴染んでくれました
「GOLD HUNTER」
鉛筆、金箔、顔彩、半草鳥の子紙
9.5×14cm
額装外寸20.3×25.4cm
2024年製作


 このnoteはわたし自身の制作の記録として執筆しています。次回「カニとわたしの制作記 2」では顔彩で描く効果や、そもそもなぜカニを描きたくなったのかについてもう少し考察を深めてみたいと思います。



記事の中で紹介した作品は全てオンラインストアにも掲載しています。プロフィール欄のストアタブからも商品をご覧いただけます。

リクエストがありましたら過去作品についてもnoteで解説しますのでコメントをお待ちしています!



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