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【小説】美しい渦

 役目を終えた小屋に火が放たれる。小さな灯火は乾いた木を食んで成長し、やがて海風に負けないほど大きな炎となる。
 村人たちは燃える小屋を囲み、赤い炎が踊り、灰となるのを眺めている。なかには酔いに任せて自身も踊る者やそれを囃し立てる者があり、かと思えば、くちを噤んでことを見守る静かな一角もあった。誰しも燃え立つ焔の赤に頬を染め、榛色の瞳に火の粉を瞬かせながら、海原へと流れる白い煙を見送る。
 これが、海辺の小さな村に続く風習であった。家族の数だけ白い和紙を家畜の形に折り、玄関に飾る。和紙は一年もするとすっかり黒く染まり、それを海辺に建てた小屋に持ち寄って一日祀り、最後に和紙の家畜もお供えも小屋もまとめて燃やす。和紙の家畜を玄関に置くことで穢れが家のなかにはいらないようにし、穢れを吸って真黒になったものを一年の終わりに燃やして海に還すのだ。きちんと海に還さないと大変なことになるのだと大人たちは言っていた。大変なことが何なのかは誰も知らないようだった。
 家によって折る家畜は違っていて、たとえば同じ牛という生き物を模していてもわずかに差異があるのだった。わたしたちの家は山羊だった。理由はわからないが、昔からずっと山羊だった。角を三重の螺旋にするのがこだわりらしい。わたしはこのまるい角を折るのが苦手で不格好な山羊しか作れなかったが、兄の折る山羊の角はいつも美しい渦を描いていた。

 ざらざらとした波音に炎のごうごうと燃え盛る音が絡まり、わたしの鼓膜を揺らす。若者が燃える小屋の周りを踊りながらぐるぐると回り、老人はただじっとその光景を眺めていた。普段は物静かな青年が酒の杯を片手に手足をばたつかせ、お喋りな向かいのお婆さんはくちを引き結んでお供えの白米が炭になっていくのを見つめている。わたしは隣に立つ兄の握りしめた。
 熱く赤い舌に舐められ、和紙の家畜が黒く縮れて形をなくす。それを眺める両親の眼球のうえに火の粉がちらつき、まるで知らないひとのような顔になる。幼いわたしは落ち着かず、ただひとりいつもと変わらぬ兄の手に縋った。兄の視線もまた荒々しい炎に向けられていたが、わたしの手を握り返すあたたかさはよく馴染んだもので、それに触れることでやっとわたしは自分を失わずに済むような気がしていたのだ。

 時が経ち、過疎化が進んだ村では小屋を組んで炎を起こすことが難しくなっていった。わたしはあまり積極的に参加したくなかったが、自分ひとりだけ手伝わないわけにもいかず、兄について小屋を建て、お供えを準備した。わたしのほかにも、そういう村人はいたようだった。とかく作業が面倒くさい。何故祀るのかもわからない。穢れなどと呼んでいるが、ただ汚れただけだろう。こんなことに意味はあるのか。そう言って、もう和紙の家畜を折らない家も増えてきた。
 小屋は年々粗末な造りになり、和紙の家畜の集まりも悪くなっていった。暮れる海辺で燃えるさまを見守る人間の数も減り、酒に酔って踊る影もわずかである。この頃のわたしは流石にもう兄の手を握ることはなかったが、それでも言いようのない居心地の悪さを覚え、兄の後ろに身を隠していた。兄は身長が伸び、たくましい青年へと成長したが、彼が折る山羊は相変わらず美しい渦を描く角を持っていて、灰になるのが惜しいと思わせた。
 塩辛い海風と熱風がまじりあい、わたしたちの肌を撫でる。柱が折れ、支えを失った小屋が崩れていく。わたしの不格好な山羊も、兄の美しい山羊も、炎に食まれ等しく無彩の灰になる。

 いよいよ小屋が建てられなくなった年、村で火事が起きた。炎は黒々とした煙を吐きながら二件の家と畑を焼いた。消火にあたった兄いわく、火元となった場所は本来であれば火の気などないという。無慈悲な炎は海辺で燃える赤より凶悪で恐ろしく、ひとが死ななかっただけ幸いだとわたしなどは思ったが、どうしてかくちにしがたく、黙したまま片づけを手伝った。同じ燃え滓のはずなのに、火事の残骸は重たく酷い臭いをしていて不気味だった。
 穢れを海に還さないと大変なことになると大人たちは言っていた。きちんと風習を守らなかったから火事など起きたのだと主張する者がいた。一方で、今回の件は偶発的に起こった事故に過ぎず、迷信など関係ないと反論する者もいた。仮に風習を守らなかったのが原因だったとしても、具体的にどうなるのかなんて誰も知らなくて、本当の重要さなど理解していなくて、だから誰も悪くない。わたしはある夜、兄だけにそう零した。兄も頷き、しかしそれは両親にも言うべきじゃないとわたしに告げる。無論、兄以外にこんなこと言うつもりはなかった。村を発つ前の最後の夜、家の裏で、わたしたちはふたりだけで和紙の山羊を燃やした。白い煙は細くか弱く、海にまで辿りつけなかったかもしれない。

 わたしが今暮らしている街は海から遠く、代わりにひとが近くて便利であった。兄はもっと静かでひとの気配が少ない場所を好むが、わたしはこれくらいひとも建物もひしめきあっているほうが好きだ。効率重視で建てられた家々の見てくれは均一で、パズルのピースみたいにぴったりとはまっているようすなんかもよい。遊びに来るたびにわたしの家を見失う兄は、今日も電話で助けを求めてきた。こんなにそっくりな家では見分けがつかないとお決まりの文句を言いながら、土産の菓子をくれる。兄は晴れ晴れとした青い海の見える街で暮らしていて、その海の青を写した羊羹が特産品なのだった。みずみずしく、かすかな塩気がアクセントになって美味しい。
 兄は玄関の隅に飾られた和紙の山羊を見て、今年も作ったのか、と言った。それは限りなく独り言に近い響きをしていたが、わたしは、そうだと返事をした。和紙で折られた歪な角を持つ山羊はもう、真黒にはならない。白いままの山羊を、毎年灰皿にいれて燃やす。か弱い煙は窓を出ていく前に失せてしまい、かつての海には届くことはない。あなたは山羊を折らないのかと尋ねると、兄は何でもないような顔をして頷いた。もう折り方も忘れてしまったよ。
 ふたり向かいあって羊羹を食う。淡い甘さと潮騒がくちのなかに広がり、漣が耳をくすぐる。目も覚めるような澄んだ明るい海の味。あの美しい渦を描く角はもう、この世のどこにも存在しない。

<終>


最後まで読んでいただきありがとうございました。
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