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【小説】驟雨に古代竜

 景色が白くけぶるような雨が降ると、空き地の水溜まりに首長竜が現れる。
 自分がとうに滅びていることに気づかず、仲間を求めて啼くのだという。

 唐突に降り出した雨に気がついた少年たちは、真新しいレインコートを羽織ると慌てて家を飛び出した。
 大粒の冷たい雨粒が全身を叩き、強い風がフードを剥ぎ取ろうとする。足元はみるみるうちに浅い水溜まりだらけになり、少年たちが蹴散らした飛沫は降り注ぐ雨に紛れてきらきらと弾けた。
 レインコートの鮮やかな黄色がかすむほどの雨だ。よく見知った街は蜃気楼のように揺らぎ、少年たちはどちらからともなく手をつないだ。濡れた手はすっかり体温を奪われて、指先だけが赤く染まっている。

 かつて海だったという空き地は緩やかなすり鉢状になっていて、沢山の雨が降った日には水が溜まる。視界が白くなるほどの雨が降ると、そこに首長竜が現れるという噂が学校で流行っていた。少年たちの何代も前の先輩たちから密やかに伝わる噂で、実際に見てみたがそんなものはいなかったという者もいれば、それらしい影を見たという者もいる。
 こうして雨のなかを走る彼らも、自分の目で事実を確かめてやろうとずっとこの機会をうかがっていたのだった。

 空き地に咲いた紫陽花の淡い色は雨にとけてしまい、少年たちは見向きもしない。
 彼らのほかには誰もいない土砂降りのなか、少年たちはついに空き地の中央へとたどりついた。防ぎきれなかった雨に濡れた前髪をまるい額にはりつけた彼らはそろって目を見開く。

「あ、」

 そう零したのはどちらだったのか。鼓膜が痺れるほどに激しい雨音に紛れてもうわからない。
 まるで映画のスクリーンのごとく広がる視界で、ぼんやりとした影がうごめいていた。それは長く、確かに図鑑に載っていた首長竜のようである。
 ぽかり、と声もなく開けたくちに容赦なく雨粒がはいりこむが、ふたりとも閉じる余白などなかった。
 荒れた映像のような影の輪郭は、いつ消えてもおかしくないほどに曖昧だった。形が崩れないようにゆっくりと水溜りを滑る。そして時折、その長い首を天空へと向けた。

 ……ォオーーーーォン……
 ……ォオォーーーーォン……

 自分たちの声ですらわからなくなるような雨音の隙を縫って、低い響きが少年たちを揺らす。のちに、少年のひとりは汽笛のようだったと言い、もうひとりは鯨の声のようだったと言った。

 ……ォオォーーーーォン……
 ……オォーーーーォオン……

 鈍色の啼き声は、聴いているほうの胸を締めつけるような響きをしていた。
 探しているのだ。もうこの世に誰も遺っていないことを知らずに、家族を、友を探している。肉体などとうに朽ち、魂だけで、海と比べたらずっとちっぽけな水溜まりで彷徨っている。
 黄色いレインコートの少年たちは、雨のスクリーンに映るその影を息をするのも忘れるほどに見つめていた。

 降りはじめと同じように、激しい雨は唐突にやんだ。
 空を覆いつくしていた鼠色の雲が割れて青い空が覗く。視界は澄み渡り、まるで夢から目覚めたようだった。
 瞬きをすると、睫毛に絡んでいた雨粒がぽろりと零れる。
 少年たちは互いに顔を見やり、再び正面へと視線を戻した。彼らの目の前には大きな水溜まりが横たわっている。凪いだ水面には雨あがりの青い空が映り、眩しさに目を細めた。
 近くの樹に小鳥がとまり、高い声で囀りはじめる。空の青が範囲を広げ、肌に触れる空気の温度が高くなっていく。

 しばらく水溜まりの端に佇んでいた少年たちは無言のまま、水溜まりへと背を向けた。暑苦しくなってきてフードを脱ぎ去る。
 まだ耳の奥に、あの哀しげな響きが潜んでいた。それなのに小鳥たちは高らかに鳴いて晴れ間を喜び、太陽は黄色く輝いて冷えたからだをあたためる。
 やはり夢でも見ていたのではないか。
 少年たちは無言のままつないでいた手をゆっくりと放した。
 空き地を囲む紫陽花の大きな葉から、ぼたり、ぼたりと雫が落ちていく。それは涙というにはあまりにも明るく煌めいていた。

<終>

最後まで読んでいただきありがとうございました。
小説は以下でも公開しておりますのでよかったらぜひ。


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